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配本開始まで 連載第5回


10.9.25.  のあとに 10.9.24.  があるが、重要な内容なので、書き加えたのであろう。25日の方は細かいことなので省略する。


10.9.24.  では、小宮から堤へ送られた森田問題に関する手紙(九月二十三日附)の写しを、長田が日記へ3頁にわたって全文転載している。小宮 vs 森田、あるいは、良くも悪くも自信満々な小宮という人間を知る上で、これ以上の資料も少ないと思われる。これと拙論、「初校ゲラを通してみた小宮豊隆の『夏目漱石』」の手入れ部分とを読み比べてみるのもおもしろい。





◎ 九月二十四日附き 小宮さんから堤さんあての
手紙。記録として丈必要であるし、
殊にすぐ要件丈控えてかへして呉れと
堤さんが仰有るので、とりあえず全文を
左に うつしておく。 差支へない文であるし、
処理すべき要件なのだから、さうする。(長田のサイン)


啓上 此間長田君が來た時に、先生の「子羊物語」の序文としての俳句を、俳句の中に入れ
る事にしたのですが、あれは同時に先生が自分の本ひとの本に書いた序文のグループの
中にも入れてはどうかと思ひます。重複してもかまわない。先生がひとの本に書く序文
がいろいろ体裁が変わつてゐる事を、序文の中に入れて見ると、一目瞭然に明らかにする事
が出來るからです。もつとも何分にも重複する事だから、一往寺田さんの意見でもきいて、
それであなたの方で適宜に取計らつて下さい。
先生の俳句で未發表のものが松山に残つてゐる。この冩眞をとつて送つてくれるやうにたのんで
置いたが、なほ念の爲、長田君にでも當人の所へ行つてもらつて、どうなつてゐるか聞かせて
下さい。當人は鶴本丑之介とか言ひます。是は長田君が知つてゐます。
明治四十年の春、上野内で博覧會があつた。是は第何回内國勧業博覧會とかいふのだらうが、
第何回何といつたものか、その期間がいつからいつまでだつたか、どつかで調べて見下さい。是は
「虞美人草」の解説に入用です。もつともなかなか分かりにくければ校正で入れても可い。
森田から手紙が來た事は長田君に話して置きましたが、返事は昨日大体かういふ返事を
出して置きました。御参考の爲にお目にかけます。是でもし森田が事をするのがいや
だと言ひ出したら、已むを得ないから、この仕事を誰か外の人(例へば林原耕三)にでもや
つてもらふ事にしてはどうかと思ひます。


御手紙拝見。僕もこの間から山形縣の田舎を少しあるいてゐて、君の手紙を見るのが遅く
れ、從つて返事も遅れた。
亮一の結婚式は十一月の廿一日ときまつた由。十一月の三日には親類の子が結婚する。一ケ月
に二度の上京は少々こたえるが、然し折角の大礼だから、出席します。
それからいろんな人の先生に関する思ひ出をこの際あつめて置く事には僕は大賛成で
ある。もう今となつては遲いかも知れないが、それでも是は是非集めて置きたい。然し
前田の姉さんだの、お房さんだのの話を、どの程度まで信用するかは問題だらうと思ふ。
ジャーナリスティックなものにならないで、夏目漱石のエッセンスに觸れるやうなものを、さう
いふ人からひき出すのは、かなり困難な仕事ではないかといふ氣がする。寺田さんが
さういふ人達の漱石観をも記録する必要があるといふ意味は分かるが、然しさう
いふ人達の漱石観を、無條件に記録するのは、反つて漱石といふものを分からなくする
所以にもなり得やしないかと思ふ。この点で君は少し考へて見てくれる必要がありはし
ないか。人選も大事だし、選まれた人の話の選擇も大事である。第一かういふ人達
は、ぼんやり經驗してゐる場合が多いから、こつちの聞き方一つでうそを事実として話
す場合も屢ある。
それから君のさうして出來あがつた夏目漱石を僕の夏目漱石と同列に取扱はれるので
ないと厭だと君はいふが「同列」の意味を君はどういふ風に理解してゐるのか、もう少し
具体的に説明してくれないと、僕にははつきりした返事が出來ない。
單行本にして岩波書店から出版する約束をさせるといふやうな事だけなら、君の方
で一冊の本にする見込が立つ限り、岩波は喜んでその約束をするに違ひない。然し
前田の姉さんの見た夏目漱石だの、お房さんの見た、夏目漱石だのを集めて、是
を僕の夏目漱石と本質的に價値的に同列に見ろといふ注文なら、假令岩波書店
が承知しても、僕は不承知である。この点は君にも考へてもらひたい。是を記録する者は
森田草平でも是は、森田草平のリエーシヨン、もしくは森田草平がデスエンドライフの
仕事として、とりかからうとしてゐるものではないんだぜ。然し僕は、出來あがりはど
んなものになるかは分からないが、ともかく、心魂を傾けてやらうとしてゐる仕事だ。
――然し同列の意味がもう少し具体的に君に説明してもらへたら、もつと別の返事
が出來るかもしれない。
寺田さんが同列に取り扱ふ事に賛成したと言つてゐるが、寺田さんにその意味
が徹底してゐるかどうかは疑問だと思ふ。それとも君はもつと同列の意味を
寺田さんの所では具体的に説明したのか。
                    九月二十三日
                             小宮豊隆
森田草平様




10.9.26.

○ 先日市川三喜先生にお願ひして頂いた事(を)の返事
を島崎さんから報告あり、左の通り。

1. 小野さん(虞美人艸)の講義は プルターク英雄傳の中の
    アントニオの言葉を引(用)いたもの。

2.   推薦文は忙しくて一寸かけないから そちらで
    文案をつくつて來て下されば目を通します。  

 以上、未解決のままであるが、記録しておく。


○ 内田百閒氏 推薦文 佐藤さを通して依頼、承諾。


○ 十年九月二十四日の項にある 二十三日付の 小宮先生から
の書簡中、明治四十年の博覧會について
調査、手許の資料で、 博覧會では見当たらず
平凡社百科辞典 イルミネーションの項と
増訂明治事物起原(石井研堂著)のイルミネーションの項に手掛のある事を長田さん発見。編輯部の小川さんを通じて上林正矩氏に
きいて頂き、
永山室富氏著 「内外博覧會總説竝に我国に於ける萬国博覧會の問題」を調べて頂き、
左の事が判明した。

一、  名称  東京勸業博覧會

一、 主催者   東京府 (会長 府知事 千家尊福) 
   
一、 開催期間  明治四十年三月二十日 ―― 同年七月三十一日

一、 開催場所  上野公園不忍池畔

而して、前記 明治事物起原 のイルミネーションの始めの項
全部と上林氏に調べて頂いた事を
小宮さんに送るべく
タイプライター
に打つて頂く。