TOP

配本開始以降の長い旅路  連載第3回 (11.6.1. - 11.7.17.)


この第3回は、第2回に掲載した、日記3冊目の残りの部分、すなわち、11.6.1.(月)から11.7.17. (金)となります。
配本第9回(第15巻『日記』及び『断片』(11.7.10.)を終えて、第10回配本(第6巻『門』『彼岸過迄』(11.8.10.)を着々と準備している段階です。半分は乗り切りましたので、店員たちにも、多少餘裕が出て來たのでしょう。次のようなお遊びの記述が、11.6.24.(水)に見られます。

○ 君は今 南さん、おなかいたくて休む。〈注:店員 南いま〉
       「君は今」は南さんの枕言葉の爲なり。
        「君知るや」南、これは(東西)南(北)の枕言葉なり。

11.6.12. の日記には、松岡譲が持ち込んだ扇のひじょうに奇麗なカラーイラストが描かれていました〈注:いずれ冩眞でお目にかけます〉。岩波の店員たちは、大正13年版の異同表ノートのイラストもそうであったが、なかなかに絵心があるようです。〉

この回では、前回に引き続き、第11 回配本、第14巻『詩歌俳句』及び『初期の文章』附 印譜(11.9.10.)中の俳句が大きな問題となっており、松根東洋城がメインで登場します。ところが、松根が、彼は流石に鋭く、もっともと思われる変更の提言を店側へいろいろと出すのですが、店員らはなかなかその通りには動きません。従っても、しぶしぶなところが多々あります。彼等には、小宮豊隆は神様であって絶対服従のようですが、他の編者に対してはそうではないのです。店員としてのプライドが強いようです。彼等が「先生」と書くのは、小宮と時折出てくる別格な岩波茂雄だけ。他への敬称は、氏 です。

小宮は、漱石神社の神主と言われますが、岩波の店員にとっては、小宮が神様だったようです。大正13年の第三次全集においては、和田勇は、小宮と対等に渡り合うところがありましたが、それは昔のことです。


11.6.1. (月)

○ 小宮先生の月報原稿 校正出る。
  一昨日の先生の訂正は訂正すみ。  


○ 「三四郎」 「それから」 表紙冩眞 精興社渡し。


○ 第八回 「三四郎」 「それから」 の本文 昨日 刷上り。


○ 中谷〈宇吉郎〉氏に手紙出す。


○ 衣笠氏が買つて置いて下さった 「道草」 の切抜
    (完)を鎌倉氏へ貰ひに行く。
    價格 金二円也。


○ 鎌倉氏からあづかつてゐた虞美人草異版本 と
  漱石襍記 を 鎌倉氏に返却。


11.6.2.

○ 松根〈東洋城〉氏に 俳句原稿送る。
  一、海南新聞〈注: 今後ひんぱんに出るが、現在の愛媛新聞にあたる〉の写し。
  一、散策途上 にて 写し。
  一、四二年一月一日 讀賣新聞 の俳句一つ。


○ 口繪 刷上り。


11.6.3.

○ 瀧原流石氏から借りた新聞切抜(難波電化課長宛)を書留にて返却。
    〈注: 11.4.27  11.5.11.  12.  参照〉


11.6.4.

○ 月報校了。
    明後六日午前中に刷上りの予定。


○ 樋口正美氏に 漱石書簡の貸与方葉書
    にて依頼。


○ 全集になく、漱石俳句集にだけある句の中、年次
  不明の句 六句を野上〈豊一郎〉先生に出所を調べて頂くやう
    御願ひする。


11.6.5.

○ 島崎〈友輔〉氏へ 正成論を借りに 島崎さんに行つて
  頂く。
    〈注: 同じ苗字でややこしいが、後者は、店員の島崎菊枝のことか。〉
    日本橋何とか へ出して、かへしてもらつた
    やうに覚えてゐるがどうしても見付からない。
    或は夏目さんへでも行つてゐるのではないかしら、 と。
    (然し 夏目さんにはない事は確なり)
    ○ 書簡の巻物に仕立てたものが一通ある。と。
    未發表故、そのうちに 拝借に出る事。           スミ


○ 文章 初学者に与ふる十五名家の箴言のうち
  新資料として紹介された漱石のものは 書簡として
  全集に収録されてある事を発見。


○ 圖版(日記斷片)の改版の爲(二箇) ノート
    一冊精興社に渡す。

○ 卸部からの申出によつて製本部数を 三〇〇 減じて 二〇〇〇〇 部
  とする。儉印した奥付は後で引き取つて置く事。  


11.6.6. (土)

○ 小宮先生から手紙來る。
        日記斷片の中、順序を改むべきもの。
        伏字を起すもの。
        原 を附すもの二つ。
       
        〈注1: 伏字については、月報第九號「事務室から」に「決定版の校訂に當り、既刊全集に於て伏せられてゐた字句を出來るだけ復活させる方針をとりました結果その大部分を生かし得ました。」〉
        〈注2: 原 については、同月報「日記及斷片」凡例 において、「原」はすべて原(もと)のママなる事を示す。主として、重複せる字、書き違えへたる字等に附したが、……〉
       

○ 鎌倉氏に 朝日小觀によつて 鳥居素川の洋行年
  月日を調べて頂くやう依頼。
    月曜に御返事下るよし。


○ 圖版を改作する爲(二つ)ノート一冊精興社渡し。
    〈注: 全体を削除して次ぎに書き直してある。〉

○ 圖版一つ新しく作る爲にノート一冊精興社渡し。


11.6.8.(月)


○ 松根氏から電話あり。
        海南新聞は個人の所有にて門外不出のよし。
        調査の結果
        馬子二人      は     馬に二人
        片側町       は     かたがは町
        たく蝋燭      は     たゝ蝋燭
        ・・        は     印刷不鮮明にて不明 亀 か
        われは都の     は     これは都の(但し 己 の字の読誤り
                                    かもしれぬ)
        他に 同年九月二十七日に
          便船や 夜を開く戸のあとやさき  
        の句があると。新資料也。


○ 鎌倉氏から 左の三冊借用

  一、大阪朝日新聞五十年の回顧
  一、草枕 詳釋
  一、新記 草枕

  これによつて鳥居氏洋行は四十四年四月と判明。 


○ 松根氏 海南新聞を見なければ不安のやうで
  冩眞をとつたら と云はれるが 一句の爲に一枚づゝ
    とるのも煩はしいし それだけの必要があるか。
    松根氏の依頼をうけて調べて下さつた人は十日に
    滿州に出發のよし。どうするか至急返事を
    したいとの事故、・・新聞支店の
    西田氏に本堂さん〈注:10.11.6.   11.4.4. 参照〉を通じて有無をきいて
    貰ふ。ないよし。
    上野図書館も調べてなし。
  
    一、新潮 四十年十月號もいずれにもないよし。


○ 出版届出す。
        發行日  昭和十一年六月十二日
        〈注:第五巻 三四郎 それから の奥付は 6月10日。 11.6.11.  12. 参照〉


11.6.9.

○ 松根氏に昨日の新聞のない事を報告したら
    昨日 調べてくれた人に手紙を出して、件を引き
    うけて調査してくれる人を依頼してくれと申し
    やられたよし。
    新聞が借りられるものなら借りたいといふ事も
    書いてやられた と。
    一先づその返事を待つ事にする。


○ 小宮先生から来信
    普及版 日記斷片 下巻 の伏字 その他
    について。各訂正 すみ。
   
    北海道大學の橋本左五郎氏に 「漱石の思ひで」を頼んで
    ある。〈注:今月中にと頼んであるから を消して〉日記斷片にのせたいから
    もし間に合はなければ初期の文章でもいゝ と。
    〈注:日記斷片は第九回配本。初期の文章は、第十一回配本〉
   
   
○ 精興社から ノート一冊 返却し來る。


○ 林達夫氏に いつか何かを書いてくれと頼んで置いて下さつたよし。


11.6.10.


○ 斷片一葉(金曜日渡し分) 精興社から
    返却し來る。


○ カンザシ の圖 作りなほしの爲 ノート一冊
  精興社渡し 


○ 製本出來。大取次店の分だけ。渡し。


○ 第八回 寄贈 すみ。

○ 「それから」原稿 第一刷 三浦直介氏に返却。
    第五巻 三四郎 それから を お礼に寄贈。


○ 普及版 第十六巻 二二〇頁から 俳句新資料一句発見。長田さん。
    里の灯を力によれば 燈籠かな
                        □後調査、〈高井〉几董(たかい きとう)の句と判明□
    〈注:几董の句とのメモ紙が添付。「普(及版)16. 220 〉


○ 鎌倉氏 切抜帳 1.  3.  をお持ちかへり。


11.6.11.

○ 木部氏〈注: 木部守一 11.3.14 参照〉に  熊本の高等學校卒業記念の冩
  眞を拝借に行く。木部氏不在の爲わか
    らず後で送つて下さるよし。
 

○ 野村傳四氏に 俳句の事をきいてやる(手紙)


○ 第八回 今日 地方発送。


11.6.12.

○ 精興社から 斷片のノート一冊返却し來る。
    これで全部返つて來た事になる。


○ 森田氏から葉書來る。
  風邪をこぢらしてまださつぱりしない。
  月報の原稿は十五日までに送る。つづいて
    次の分も執筆のつもり。と。


○ 松岡氏の使がこの扇を持つて來る。
  松岡氏も疑問を残して居られる。
  句集 全集になし。

    風鈴に猫も横寐の暑かな
    漱石出畫
    於柳光亭席上
   
    〈この日記の中に、ひじょうに奇麗なカラーイラストが描かれている。岩波の店員たち、大正13年版の異同表ノートのイラストもそうであったが、なかなかに絵心がある。〉
  

○ 第八回 三四郎 それから 今日配本


11.6.13(土)

○ 松岡氏より葉書。第八回の口繪をほめて來る。


○ 小宮先生から葉書。ご上京の通知。

○ 小宮先生から電話あり。
    解説は二十日に届くやうに書く。それより早くは
    一寸むづかしい と。


○ 第九回 第十五巻 日記斷片 の扉金版 精興社に
  渡し。


11.6.15. (月)

○ 森田氏から 言行録の原稿來る。
  校正を見せよ といふ葉書も來る。
  礼状出し、校正承諾の旨 返事。
  精興社渡し。約三頁と二三行の予定。 


○ 「心」 露譯 についての神西氏の原稿をどうするか、と
  長谷川さんが心配なさるので 長田さんに 藤森先生
    に相談して頂いて、原稿を文學にあげる。
    〈注:文學は昭和8年4月に創刊されていた。広告部の藤森さんはこの日記でおなじみだが、藤森先生 は初見。〉


○ 扉 校正が出る。


○ 詩歌俳句 及 初期の文章 附 印譜 の 扉の
  原稿を半七に渡す。左の通り作りかへる
  爲なり。


○ 日記斷片に入れる口繪の芭蕉の繪は 夏目家に
    あるよし。明日午前中に頂きに行く事。

11.6.16 (火)
   

○ 木部氏 に 口繪用冩眞 貸与依頼の葉書を出す。

○ 口繪に入れる芭蕉の繪を夏目家に借りに行つて
    下さる(長田さん)。しかし、震災で、春陽堂で
    焼けてしまつたよし。
    漱石遺墨の中からとる事にする。
   
    〈注: 二つのイラスト。「色刷」と「アミ版」〉
   
    以上二つ 半七渡し。


○ 野村傳四氏から葉書來る。
    同じ布に色をかへて二枚つゞきにふくさが染めて
    あつて 選ばされて 「日毎ふむ …」 の方を預つた。
    色も異つてゐるから 句もちがつてゐたかもしらない
   
    それが來た人の記憶に残つてゐたものであろう と。
    因に野村傳四氏は 奈良縣立図書館に
    勤務さるよし。
    〈注: 11.5.30. 参照〉
  

○ 第三回配本 「小品」 第四回配本 「猫」 の追加
    儉印 各二〇〇部 宛。


○ 本日第九回の部数申請
  二萬百部。

○ 次回原稿 門 初め(六九七頁)― 八四〇頁まで精興社渡し。


11.6.17.

○ 中谷氏から 月報原稿來る。長田さんから礼状
    出して下さる。


○ 木部氏から 五高卒業記念冩眞 送つて來る。
    礼状すみ。


○ 右冩眞 漱石の分を手札に拡大。斷片
    の口繪に入れる分を一緒に大塚で写す。


11.6.18.

○ 本文組上り。八七八頁。 


○ 門 原稿 全部 渡しすみ


11.6.19.

○ 野上先生から葉書來る。
    五高年次不詳の句は 餘り日時が経つたのでかりか
    ねます。


○ 大塚巧藝社から 口繪用の冩眞二枚焼いて來る。
    その中五高時代の方は大塚で間違へて、手札に
    五六人位は入るやうに複写して來る。
    これを修正して手札一枚に漱石を拡大
    するやうにいつてやる。


○ 第九回配本 日記及斷片 印刷部数
        二〇〇〇〇 部と決定。


○ 明治百俳家短冊集を玄誠堂から借りて來る。
   初文(手紙)があり、新資料なり。
  別冊補遺に入れる事。  


11.6.20(土)

○ 本文校了になり始む。二 ― 十一 頁。 


○ 口繪二枚半七渡し。
  一、雜篇  ヨコ三寸。凸版
  一、坪井町の家と漱石〈注:寸法付イラスト〉


○ 第九回印刷部数 精興社に通知


○ 月報森田氏原稿校正來る。三頁と四行。
    但し 細工をして一行減らす。残り三行を出來たら
    中に繰入れて頂き度ひ旨を書き添へて校正を
    森田氏に送る。
   

○ 口繪の紙 アート三枚 上質一枚 の件 藤森さんに通知。


○ 大石泰蔵氏から 先日申し上げた事は如何の都合
    にやと再び葉書來る。
    〈注: 11.4.28.  参照。文藝懇話會 四月號 購入 夏目漱石との論争 大石泰蔵
   右論文(書簡新資料)掲載。〉


○ 第九回奥付 精興社渡し。
    十一年七月五日    印刷
    十一年七月十日    發行


○ 彼岸過迄の原稿  一 ― 九二まで渡し。

○ 彼岸過迄   一〇八 まで渡し。


○ 初期の文章及詩歌俳句附印譜の 扉 金版 半七より
  出來て來る。


○ 明治百俳家短冊集は鎌倉さんが買ひ上げ。
    当編輯部に預かり。


11.6.22 (月)

○ 森田氏から 月報校正刷かへつて來る。
    書込み訂正あり。三頁におさめる爲に 附記
    を六号で組む事にする。要再校で出す。


11.6.23. (火)

○ 扉 校了にする。


11.6.24. (水)

○ 君は今 南さん、おなかいたくて休む。〈注:店員 南いま〉
       「君は今」は南さんの枕言葉の爲なり。
        「君知るや」南、これは(東西)南(北)の枕言葉なり。


○ 午前十時 小宮先生 來る。第九回配本 「日記及斷片」
    の解説持参、午後精興社に渡す。


○ 大塚巧藝社か口繪用冩眞來る。(五高時代)
  少々の不出來なれど、これ以上良くする事は不可能との事。


○ 次回 「門」 初校出始る。

○ 小宮先生の指定を得て、伏字の殆ど全部を生かす。

○ 小宮先生との打合せの上
            ○ パラソルの話
            ○ 細君・謡の話    を入れる。

          借家賃のメモ入れる。
          十一日の詩も入れる。
          斷片を日記及斷片とす
      

○ 山でつつころがした 松の木でろ(原)た。  これが
            松の木ごろた。    である事に氣づく。 


11.6.25 (木)

○ 〈空白〉

○ 彼岸過迄 の原稿。一 ― 三七一(全部)精興社渡し。


○ 奥付校正 來る。

○ 「二十四號紙片ノート」 から 斷片に入るべきものを見出す。
  小宮先生に伺つて補遺として入れる事にする。


○ 松岡氏から書簡來る。  大阪朝日営業部の夏目小一郎
  氏からの手紙を同封し來る。それによれば 下田將美氏が
  新聞 日本 三十九年一月一日 に 漱石の 「昔の話」 と
  いふのが出てゐるのをお持ちのよし。前の全集には収めて
  ないよし。或は新資料か。 


11.6.26. (金)

○ 解説 組上り。全三十六頁。 


○ 渡邊良法氏から 漱石書簡 新資料 冩眞 送つて
  來る。礼すみ。
              (大三・一二・一四・    大三・一二・二二・)


○ 奥付校了。


○ 追加 補遺原稿 (斷片)を精興社に渡す。


11.6.27. (土)


○ 今朝六時 鈴木三重吉氏 帝大真鍋病院内科に於て
  逝去。
    〈注:1882年(明治15年)9月29日 - 1936年(昭和11年)6月27日。53歳。ちなみに、全集にとってもっと最も重要、寅田寺彦の死は、その死が大晦日であったせいか、日記中でいっさい報じられなかった。〉


○ 昨日送つて來た 渡邊良法氏宛書簡冩眞をタイプ打
  つべく預ける。(二枚)


○ 右書簡 タイプ出來。


11.6.28. (日)

○ 長田、島村、西島氏 出勤。第九回の校了を急ぐ。


○ 斷片 追加校正來る。同凸版も出來。

    〈注: この日の頁に、本日附けのカレンダー1枚添付。 南様 名古禪の参拝
   日付有  明43, 7, 25 也 へ日記  529 p  と記載がある。〉


11.6.29. (月)

○ 長村、西島の両氏 青海〈注:精興社〉へ朝から出張。


○ 口繪四枚共 校正來る。


○ 第八回の夏目家の印税を計算す。


○ 鎌倉氏から電話。知人が大朝の切抜を買つたら
  三山の追悼文を漱石が書いてゐると知らせて
  來たが御存じか と。
  調べたところ 小品の中に 三山居士といふ一文あり。
  これではないか と返事をして置く。  


○ 第九回の奥付を一両日中に刷り、
  上げる約束をする。


○ 第九回總頁  九四六頁 と決定。
  藤森さんに通知し、製本所と中田製函所の方
    への通知を依頼する。


○ 解説 再校を夏目家の小宮先生に届ける。
  仙台へお持ちかへりになるよし。
    〈注: 夏目家の小宮先生 とは、夏目家に小宮が宿泊 ということか。〉


○ 渡邊良法氏に 書簡の消印 御報知願はり
    度き旨の葉書出す。 大正九年の・・・あり、時間も
    知り度き爲なり。 


○ 第九回 日記斷片 校了  但し補遺及び解説
    を残す。


11.6.30. (火)

○ 口繪位置 順序決定。

○ 本文刷上り 四日中。 と決定。 


○ 製本所に十五日配本に間に合はせてくれるやうに
  交渉。諾。


○ 野上先生来店。補遺の英文疑問の点を
    解決して頂く。


11.7.1. (水)

○ 小宮先生から 解説 帰つて來る。要校で出す。

○ 奥付 刷上る。

○ 月報 中谷氏原稿 精興社渡し。 

○ 口繪ネーム 校正來る。

○ 函 見本 校了。

○ 本文四日刷上りの報告書 精興社から來る。


11.7.2. (木)

○ 第九回目次 補遺の分訂正。

○ 月報 原稿 凡例 及び 事務室から を精興社渡し。

○ 解説 校了。

○ 目次 校了。


11.7.3. (金)

○ 松根氏から 俳句季題別の原稿を貰つて來る。
〈注: 以下、松根氏からの説明が詳細に記述されるが、その内容は流石だと思われる。〉

   確定の分 南〈注: 11.6.24〉 受取
一、全集 第十五巻 一冊、  書込新資料三十二句を含む。
一、讀賣新聞より、 一句
一、思ひ出す事など  二十句
一、子羊物語  十句
一、草枕より  十七句(内 三句 改作)
一、反省雜誌  五句
一、その他新資料書写  年次確定  十三句   年次未確定  八句
一、季題原稿
一、季題別要項
   
   未定 松根氏に残し置ける分
一、海南新聞(内 要調査 二句、  新資料 一句 あり。)
一、九月十三日 散策途上にて  二五句


なお 要調査の句 三句 あり。反省雜誌 虚子の歌
御手紙や 去れ  の 去 の字。    


○ 鶴本氏の俳句研究には 海南新聞に載つたのは
    九月七日からとして、あるが、実際はさうでな
    い。海南新聞の九月以降同年末(二十八年)
    まで調べたところ 九月は六日から出てゐて、
    全 十七句、 十月から十二月まで 四十五句 計
    六十二句あつた と。(九月六日 ― 十二月二十八日)
    海南新聞に子規の関係の句が載り出し
    たのは 二十八年三月三日からであり、その後四月に
    漱石は松山に赴いてゐる。だからそれ以前に出てゐる
    事はおそらくなく、又、子規が漱石のところに同宿し
    てから句を作り出したものと見れば おそらく 九月
    以前には出てゐないだらう といふ推定である。が念
    の爲にその前も調べて見る、 と。
   
   

○ 無季題句は俳句でないから いつそ季題別から
    省いて了つた方がいゝと思ふ、といふ松根氏の
    意見なので、 類題別に並べるといふ事は
    索引の意味でするのであるから たとへ季がなくても
    無季として一括し 適当の場所に入れた方が
    いゝ。全然省いてしまつては索引の意味を
    なさないから、といつたら それでは 最後の活字
    の号数を小さくしてゞも入れたら、 といふ事に
    なる。 〈注: 然し六号より小さな を削除〉 小さくする必要もないと
    思つたが、肯う返事だけして置く。


○ 先日依頼してあつた 名士禪 (色気を去れよ
    漱石) が來る。四十銭也。編輯部備付。


○ 飯山さん 上野図書館にて 新資料発見。
  作家としての女子(女子文壇 第五年第二號  明治四十三年二月 發行)


○ 無季題の句 控
    23年  ―   4
    24               8
    27               3
    28               5
    29               4
    32               1
    43               2
    大5              1
    ――――――――――
                    28 句


11.7.4. (土)

○ 月報 校了。

○ 口繪 刷上り。

○ 大森、寺島 各製本所 口繪順序 寸法 決定

〈注: ○ 函 校了  を削除〉

○ 作家としての女子 タイプ打つ。

○ 俳句 熊本高等學校雜誌の内 〈空欄〉 の句 タイプ打つ。  


11.7.6. (月)

無事。


11.7.7. (火)

〈上欄に「七夕」と首記、あとは空欄〉


11.7.8. (水)

○ 松岡氏から葉書來る。
     稲妻に近くて眠り安からず
    の句の呉蹟短冊を鶴本氏が持つていかれたよし。
    新資料と思ふ、とあるので調べると
    四十四年 大阪湯川病院に於ける句として
    既に出てゐる。


11.7.9. (木)

○ 松岡氏に 昨日の俳句の新資料でない事を
  云つて やる。 序に 「うら寒や 線入きたる 小大名」
    の 線 は 綿 の間違でないかときいてやる。


○ 鎌倉氏から 新声 第十五編 第六號 借用。
        談話 新資料 あり。


○ 井上仙之助氏より 葉書 來る。
    漱石の葉書を鎌倉氏に送つて置いた と。
    新資料らしい。


○ 布川さん 今夜 仙台に出發。
  小宮先生の用を御伺ひする。


○ 印譜 原稿 半七渡し。

○ 口繪色刷原稿(東松西・)半七渡し。(遺墨
  集による。實物なし) 


11.7.10. (金)

○ 森田氏に 月報第九號の原稿料、並びに
  十號用本代 計 五拾円 渡し。(来店、
  堤さんから渡して頂く)。 (トルストイ全集 代 二十一円、
  鷗外全集 代 二円五十銭 計二十三円五拾銭 差引)。 

○ 森田氏 言行録の原稿は二十日まで待つてくれ。


○ 松根氏に連句の新資料 (タイプ)控を送る。
    もし他にこんなもので 御気付のものがあつたら
    御教を乞ふ。旨を云つてやる。
  

○ 月報 精興社から届けて來る。

○ 執筆者並びに定期寄贈者に送る。

○ 第十回配本 第六巻 門 彼岸過迄 組上り
    七〇〇 頁。


11.7.11. (土)

○ 出版届を 大森製本に渡す。
      十五日    發行

○ 布川さん 仙台から歸京。
  一、俳句の年次不詳はもう一度調べて大体の見当を
    つけてみる。
  一、野村傳四氏のふくさの冩眞はあるから後で送る。
  一、鶴本氏の 月報原稿は 初期の文章に入れる。
  一、今度の分は 門 彼岸過迄 をかく頃 朝日に辞意
    を出してゐるから その事を 楚人冠に書いて
        もらふ。その依頼狀は小宮先生から出す。
        〈注: 杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん、明治5年7月25日- 昭和20年10月3日〉
  

○ 井上氏所有の 葉書 新資料 鎌倉氏 から
    送つて來る。タイプ打ち すみ。
    伊藤悦太郎氏 宛 葉書
               (四〇・一一・一二 付)    □原稿編入スミ□
     

11.7.13. (月)


○ 小宮先生から来信。
 彼岸過の日記を序の項に入れる事を
 云つて來る。
 倫敦消息の原稿が手許にある。いそぐなら
 二十一日の朝取りに來い と。
 

○ 渡邊良法氏から 書簡新資料のスタンプを
    うつして來る。             □コレニヨツテ訂正、編入スミ□    

○ 鎌倉氏から 手紙雜誌 第二年 第九號
    送つて來る。
    筑紫の候へば ― の書簡初出誌なり。


○ 次第十一回分 原稿一部渡し。
      倫敦消息 二、三、   原稿二九頁 ― 一八四。
      自轉車日記       第三十九頁から組む事。
    評論


11.7.14. (火)

○ 第十一回分原稿一部 精興社渡し。
    一、トリストラム・シャンデー 以下、大型全集 一八五 ― 二六八 まで。
    一、飜譯 英譯方丈記 扉 中扉 本文 三二七 ― 三五一 まで
    一、飜譯 つゞき 催眠術、 詩伯テニソン、セルマの歌 カリツク
    スウラの詩まで
    飜譯はこれで全部。   


○ 小宮先生からの来信によって 英譯方丈記を 飜譯の最後
    に持つてゆく。次に英詩が來るやうに。
    譯の字を翻に直す事。


○ 第十一回原稿 一部 精興社渡し。
    英詩            漢文漢詩    (今までの漢詩分から改める)
      |                            |
    二七五 ― 三〇〇          三四七 ― 三四八
      大型全集〈注: 大正13年版〉頁。


○ 夏目小一郎氏に 新資料らしき 「昔の話」 を貸与方
  依頼狀出す。


○ 松岡氏から 夏目氏の提供新資料の件につき問合
  せ來る。依頼狀を夏目氏に出し、その旨返事する。


11.7.15.

○ 小宮先生から 来信。

○ 小室・氏から 門の原稿所在につき知らせ來る。

○ 第九回分を配本。
    〈注:第15巻『日記』及び『断片』(11.7.10.) 〉


○ 俳句 季題別 組見本原稿 精興社渡し。 


11.7.16 (木)

○ 寺田寅彦宛 自筆水彩畫繪葉書
    二枚 発見。新資料。
        (三八・一・二三   三八・一・三〇・)
                                □共に原稿編入スミ□   
○ トリストラム・シャンデー に入る凸版 精興社に
  渡す。


○ 昨日 來た小室・氏 所有の俳句と、四十五年
  作の句と比較して、少しちがつてゐる事を
  発見。
    實物貸与方 依頼の手紙を出す。


11.7.17. (金)

○ 俳句四つ、新発見。   ノートの
  句輯の中より。
  〈注:この四つの俳句を書いたメモ用紙が添付されている。〉

   見るからに涼しき宿や谷の底
   むつとして口を開かぬ桔梗かな
   乾鮭や薄く切れとの仰せなり。
   佛畫く殿司の窓や梅の花
                   32年 

○ 第十回分 口繪四枚(三枚分)渡し。
  一、肖像      ヨコ二寸五分
  一、家       タテ二寸五分
  一、門 原稿二   各タテ二寸七分


○ 第九回に繪用として拝借の木部守一氏
    所有 五高記念冩眞を本日書留便にて
    返却。
    なお木部氏の申越により 月報 六・七・九
    號 各四部づゝ一緒に送る。
     


〈注: 以上で5冊の日記中3冊目が終わっている。〉