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配本開始以降の長い旅路  連載第4回(11.7.18 - 11.11.21. )


日記の4冊目では、表紙に 「日記 4  起 昭和十一年七月十八日 新版漱石全集」、とあり、11.7.18.(土)から 11.11.21. (土)まで4ヶ月余の記録であるが、以下に書くように、最後の部分まで長田ら店員たちと松根東洋城とのやりとりは痛快である。

期間中の配本は、

第10回配本、第6巻『門』『彼岸過迄』          (11.8.13.  奥付 11.8.10.)
第11回配本、第11巻『詩歌俳句』及び『初期の文章』附印譜(11.9.12. 奥付 11.9.10.)
第12回配本、第12巻『文學評論』                        (11.10.10.)
第13回配本、第3巻『草枕』『二百十日』『野分け』           (11.11.13.  奥付 11.11.10.)


「新資料」の発見が、書簡を中心に、次から次へと頻出。店員たちてんてこ舞い。しかも、貸してくれと頼んでもなかなか応じてくれない。『坊ちやん』の場合も大変であった。

11.3.2. 長田さん 大阪へ出發 水落床兵衛氏所有「坊つちやん」の原稿と引合せの爲也。

写すだけ、「引合せ」だけならOKということで大阪までお邪魔する。他に偽物が持ち込まれるような事もあり、鑑定に手間がかかる。他に興味深い記述として、日記4冊目終わりに近い11.11.16 冒頭など、年次不詳書簡を推定するくだり。俳句では、松根東洋城、ひじょうに興味ある人物だったようで、初回から印象深いが、11.11.20 の葉鶏頭の店員とのやりとりがいい。その直後に、遅れて葉鶏頭のことを知らせる小宮の葉書が来るなんて、出来すぎたストーリー。

11.8.19.  『草枕』自筆原稿を拝借するに際しては、岩波茂雄じきじきの借用證が要求された。期間は1週間という短かさだ。〈證は、11.8.29. 貼附〉

それに、11.8.25. これまでも正成論関連でひんぱんに名を出していた島崎柳塢〈注:しまざき-りゅうう 友輔 1865-1937〉が、漱石の小學校時代のことをくわしく語ったことに驚いた。これを聞き出したのは長田幹雄で、当時まだ若干31歳であった。

11.10.6. 月報13號には、 中國譯「草枕」の序 という文章が載っているが、日記にも、
「全集中の「猫」を中華民国語に飜訳し度し、夏目家住所を教へてくれ、尚仲介の労をとらるれば幸い と。」 の書込がある。英訳その他外国語訳が多数存在するようになり、舞台や映画も活況を呈している。


11.10.16 と 11.10.19. には、松根東洋城の提案で、漱石の書簡の関係でお世話になった松山の2氏へお礼に羊羹を送る箇所がある。
○ 羊羹を 虎屋に電話にて依頼。
  夜の梅、 おもかげ、 菊の戸    各一本づゝ。
    〈注: 前の2点は現在も販売が続く。3つ目は、判読困難のため、虎屋に問い合わせて判明。詳細は 11.10.16. 参照。〉
○ 虎屋支拂  十一圓五十銭也。



11.7.18 (土)

○ 第十回 奥付原稿 精興社渡し 


○ 小宮先生から 二十三日朝來いといつて來る。
      (二十一日を変更)


○ 森田氏から 言行録二回分を送つて來る。
  〈鈴木〉三重吉氏の追悼文がなかつたので 着報の序でに書いて
  やる。 


○ 夏目家から 句校 と 詩校 二袋を御借して來る。
  借用品控帳参照。



11.7.18.(土)と 11.7.20.  の見開き2頁の間に、長田幹雄の筆で、 「一、新資料に関する事」という岩波書店用箋2枚からなる重要メモがはさまれている。

一、新資料に関する事。
イ 木村秀雄氏。 澤山あつた書簡の中、二つだけ
  手許に残つてゐる。
    薤露行 の零墨がある。お貸して行く。
ロ 松岡氏のノートから。

    (1)子規居士の二行の幅に添えたもの。
        右 森河北君所蔵の幅は亡友子規氏
        の眞蹟にて 往年余が松山奇遇中に
        かれの滿州よりの帰途 余の家に起臥せる折
        の書なり
       
          明治四十三年七月        夏目漱石

    (2)うら寒や線〈線を消して 綿〉入きたる小大名 〈注: 11.7.9. 参照〉
            (森氏藏)
  (3)御堂まで一里ばかり霞也
      (句集には 一里 あまり とあり。 森氏藏) 
  〈注: ここにある 森氏 とは、 11.10.20 を参照。〉

ハ 野間眞網氏 所有 未發表の端書 一通。

ニ 西尾叟一氏 未發表の端書 一通

ホ (1)池田一幸氏  池邊〈吉太郎〉氏宛の未發表の書
     簡一通。
  (2)五高記念式に於ける祝辞。新聞第
     六十號掲載。
     (同原稿は、五高にあつたものを 第一回全集の時、某氏を通じ
      て東京に貸し、そのまゝ返却されないと)   

ヘ 鶴本〈丑之介〉が松山へ行く。

ト 博士問題 の朝日記者筆記原稿に 漱石
    自身書き入れたもの。東朝 床崎氏藏。
   
チ 「思ひ出」〈注:「漱石の思ひで」 〉中の俳句
    二人して 雛にかしづく楽しさよ



11.7.20.

○ 口繪校正刷來る。(色刷) 要再校


○ 第十回 第六巻 門 彼岸過迄 の印刷部数 決定
  一萬九千七百部。 


11.7.21.

○ 鎌倉氏 来店
    「門」 初版本(月報挿絵用撮影爲)の
    御貸与を依頼。


○ 月報言行録 原稿 精興社渡し。
    約五頁と五行位の予定。


○ 池田弘子さんが今日から 漱石の仕事をして下さる
  事になる。
  先づ索引の普及版から決定版への飜譯を
    して頂く。


11.7.22.

○ 松根〈東洋城〉氏へ 俳句季題別 原稿 を持つて行く。
    まとめに入れるものがあるので又持つてかへる。
   
    近藤元喜氏 散策途上の句稿の冩眞をうつす
    事を承諾されたと。
    しかし 今まで誰にも撮影を承諾しなかつたので
    お断りした人に釈明をしなければならない。
    誰か句稿を提供したか、誰か冩眞をとらせない
    といつたかをしらせてくれ と。
    とにかく冩眞をとる爲にこの旨承諾したから
    よろしく頼むといふ旨の手紙が 松根氏に來た
    よし(松山の人から)
    句稿は 俳句研究から。冩眞の撮影承諾は
    ある松山で世話をしてくれた人から 松根氏に言
    つて來たる件 明日返事する旨決まる。 


○ 近藤氏に 刊行會からもう一通依頼の手紙を
    出した方がよいからそれを松山の世話してくれる
    人に渡すと。承知してかへる。


○ 鎌倉氏来店。門 初版本をかりる。


11.7.23.

○ 五巻(第八回配本)奥付 儉印済 三〇〇枚を
    大森から返して來る。


○ 小宮先生から 短冊を送つて來る。
    (福島縣飯塚温泉)              □編入スミ□


○ 小宮先生と長田さん 仙台にて左の件 決定

    日記斷片 二三二 頁
    ○ 山門ニに下る下より仰ぎ見る。
                三十八年一月十八日
    ○ あるは鬼、あるは佛となる身なり 浮世の風の出ずるたんびに
    ○ わが快く聲は秋の川   (日記斷片 二四八頁)
    ○ 山より 海より …
    ○ 生れた、生れた …
    ○ 惚れて、恨んで …
    ○ わが呼ぶ聲は  …        以上は、詩歌俳句に入れない事。
    ○ 海南新聞は重出させない事。
   

11.7.24.

○ 長田さん 小宮先生から 歸京 歸店 


○ 解説 原稿 頂いて來る。門・彼岸過迄 二つ
    合計 百七枚


○ 解説 原稿 精興社渡し。青海で組んで
    至急校正を出してほしい旨をいふ。


○ 門・彼岸過迄 の表紙撮影を大塚に頼む。
  門・彼岸過迄 初版本(いづれも鎌倉氏のもの)
    を渡す。


○ 小笠原氏に 短冊の着報 竝びに 小宮先生の鑑
  定まで確定を待たれ度き旨を葉書で出す。
  なほ、それには短冊の書かれた事情 及び年月日
    を御報を乞ふ旨 つけ添へてやる。
    〈注: 11.9.17. 参照〉


○ 第十回分 十九頁 校了。(校了になり始む)


11.7.26.

○ 口繪写真版 校了。ネーム決定。刷位置決定

    〈肖像、玄關、門の原稿、 3点のイラストと説明〉


○ 第十一回 初期の文章の初め(自轉車日記)
  一頁組んで來る。


○ 第十一回の原稿トツプ 三十八頁分を精興社渡し。


○ 第十一回分の 全体の目次、倫敦消息、マクベスの
    幽霊、祝辞、を渡す。
    これで残りは、作文、と和歌、以下。


○ 雜篇 の次 翻訳 の前に入るべき 作文 お届申候。
    これにて やうやく 漢詩文 までのギャップ うづま
    り次第にて候。


○ その次の 和歌 新體詩 俳體詩 連句   お届申ます。
                                            アト 俳句 丈


11.7.27.

○ 小宮先生来店

○ 島崎柳塢氏より、作文、正成論(原稿編入スミ)、及び 同氏宛書翰一通(大正四・
  一二・三 編入スミ)
  拝借し來る。預証を置く。

○ 右作文、書簡、小笠原氏所有俳句、寅彦氏宛書留の書
  二通 タイプ打つ。 


○ 俳句季題別原稿を松根氏に届ける。(全集も一緒に)
    新資料 九句を届ける。


○ 正成論 続き(島崎氏のところにないといはれるので、普及版
  月報に出てゐた一部分を断簡として精興社に渡した)
    を終わりまで渡す。
    これで完全なものとなる。


○ 月報校正來る。


○ 小笠原氏の短冊、本物と 小宮先生 鑑定。


○ 小笠原氏に 葉書を出す。
  短冊は 漱石書。この短冊の來経歴を詳く
    御報乞ふ と。


○ 松山忠二郎氏を 長田さん 訪問。
  月報の原稿(同氏の談話)をとつて來て下さる。
  同氏宛書翰一通(新資料)をうつして來る。
  大二・七・七             □原稿編入スミ□


○ 第十回配本丈、 本文全部校了


11.7.28.

○ 奥付 要再校で出す。


○ 言行録校正(初校)を森田氏に送る。
    宗盛の素讀、及び寺田さんの談話筆記の件
    を葉書で出す。
    〈注: 宗盛の素讀と獅子狗 は月報十、十一號へ 上下で連載。〉


○ 漢詩追加原稿渡し。


○ 精興社 刷上を五日といつて來る。とんでもないと
    いふので又電話をかける。是非三日にと依頼。返事は
    後ほど 


○ 夏目家 印税計算書を出す。同時に小宮先生
    の分も。


○ ホトトギス 第十四巻 第四號 白紙の部あり 玄誠堂さん取扱方依頼


11.7.29. 

○ 子規庵を訪問。承露盤をうつす。

○ 口繪 色刷 校了

○ 奥付 校了

○ 外函 校了

○ 月報原稿料計算
    森田氏 現金渡し。
    〈注: この日記中、森田草平に対しては、他氏よりもひんぱんに原稿料等の支払記述があるが、その直筆の領収証が3点、「漱石全集 月報原稿料」に合わせて添付されている。今回の日付の金額は、100円。一回30円の執筆料と20円の足代(主に調査旅費・資料代)の2回分である。他は、11.9.9.  と 1.15.   である。〉


○ 印譜 印刷部数 半七 に通告。 一九〇〇〇 部。


○ 本文刷上り 四日と決定。

○ 大森、寺島と交渉。十四日配本に間に合
  はせる事。


11.7.30.

○ 鎌倉氏より 月報原稿 竝びに 成績表 來る。
    〈注: 漱石の成績表は月報第十號 掲載〉


○ 成績表は製版の爲 精興社渡し。


○ 解説 校正を小宮先生に届ける。


11.7.31.

○ 中谷宇吉郎氏 月報第九號の原稿料 送る。


○ 松岡氏へ 俳句原稿封筒入り 六通(山房からあづかつた
  もの)をお渡しする。

○ 索引カード 松岡氏へあげたものをもらつて來る。


○ 扉 校了   上 六分七リン五毛     下 二寸七リン五毛
                  左中出來上り中央


○ 月報校正 森田氏から帰つて來る。


○ 海南新聞 冩眞三枚、敬氣途上句稿 三枚
  計六枚 松根氏から 小林勇さんが預つてゐた
    のを頂く。(實は二三日前に 小林さん が預つてゐたもの)


○ 小宮先生に 原稿用紙 十冊 送る。 

○ 解説 校了。

○ 奥付 刷上り


11.8.1.

○ 月報 鎌倉氏原稿 精興社渡し。

○ 門・彼岸過迄 表紙冩眞二枚製版の爲 精
  興社渡し。

○ 儉印を明日行くので 印税帳を堤〈常〉ちやんに
  渡す。

○ 冩眞版 口繪は半分刷上り。


11.8.2. (日)

○ 第十回 第六巻 門・彼岸過迄 の儉印。


11.8.3.

○ 俳句原稿 中扉 と 四〇七 ― 六五八 まで(全部)
    精興社渡し。


○ 口繪順序決定。
    1    色刷り
    2    肖像
    3     家
    4     原稿


11.8.4.

○ 製本から 見返しの紙と表紙の布を入れてくれと
  いつて來る。藤森さんがお休みで 藤原さんに
  お願ひして入れて頂く。 


○ 大森 一〇〇〇〇、 寺島 九七〇〇  刷本 さ別付ける。 


○ 月報 鎌倉氏分 圖版入れて校正出る。
    〈注: 要再校で出す。 を削除〉


○ 本文 刷了。


11.8.5.
〈注: 日記上に朱で 創業記念日休日  とある。〉

南 出勤。

○ 月報 鎌倉氏分 圖版一枚不足につき
  追加。原稿精興社渡し。


○ 鎌倉氏分 要再校。森田氏分 要再校で出す。


○ 門・彼岸過迄 表紙製版 しなおし。


11.8.6.
〈注: 日記上に、「岩波チーム 今朝温泉の予定を延期して今晩との事」 〉


○ 月報 うめ草 渡し。

○ 箱 刷初めをみせに來る。文句なし。

大森、一部刷りをもつて來る。


○ 月報 明午前中に校了、八日中 刷上げ
    を精興社と約束。
   
   
朱◎ 鶴本氏から葉書來る。松山に漱石の短
   冊あり。未發表のものなりと。 


11.8.7.

○ 鶴本氏に返事を出す。
    新資料 俳句は冩眞にとつて頂き度く
    冩眞代は貴下へより先方へ、冩眞が出來
    た時にお送りする。
             御手数になりませんか。


○ 出版届を藤森さんに依頼。發行日は、
    昭和十一年八月十七日
   
   
○ 月報校了
  一萬五千を昨日中に刷り、残り四千は
    月曜日午前中の予定。
    〈注: ちなみに、今日は金曜日で、月曜日は、10日〉


11.8.8. (土)

○ 松根氏に季題別組見本を送る。
  (松根氏の言によつてなおしたもの) 

○ 表題別組み方決定。別紙貼込参照。

〈注: 11.7.3. と .11.7.27. を参照。特に、店側は、松根東洋城の以下に引用する見解に配慮したものを作成したらしい。

○ 無季題句は俳句でないから いつそ季題別から
    省いて了つた方がいゝと思ふ、といふ松根氏の
    意見なので、 類題別に並べるといふ事は
    索引の意味でするのであるから たとへ季がなくても
    無季として一括し 適当の場所に入れた方が
    いゝ。全然省いてしまつては索引の意味を
    なさないから、といつたら それでは 最後の活字
    の号数を小さくしてゞも入れたら、 といふ事に
    なる。 〈注: 然し六号より小さな を削除〉 小さくする必要もないと
    思つたが、肯う返事だけして置く。


〈注〉精興社ゲラの別紙貼込は、2枚(275 x 205 ミリ)からなり、1枚は、8月3日付「三校 2頁」、2枚は、8月10日付。後者には、「東洋城氏 閲覧スミ」とある。前者には、活字サイズや幅を中心に細かな指定があり、二つの俳句の下に、朱で 「最小○」 が入っている。後者ではそれが実現されている。このあたり私には、文字による的確な説明が出来ないので、いずれ冩眞でお目にかけたい。



○ 索引用カード 五千枚依頼。出來。


11.8.10. (月)

朱○ 夏目小一郎氏から 「日本」新聞を送つて來る。
   漱石氏の 「昔の話」 掲載、新資料。
   冩眞をとる事。


○ 松根氏へ  ○(最小丸)をつけた見本組を送るべく
  校了にしたのに入れて、速達で送る。
  ○(最小丸)を省くなら 重複させる。でなければ
  ○(最小丸)をつける。重複はさせない方がいゝといふ
  御意見也。 


○ 鶴本氏から來翰


○ 近藤元喜氏に礼状を出す爲に 松岡氏に
  同氏の住所を問合はせる。
    〈注: 11.7.22. 参照。〉


11.8.11.

○ 月報第十號 寄贈すみ。

○ 小宮先生に 蔵書中書込み俳句取扱ひ
  方をきく。


○ 「昔の話」 タイプ打つ。


○ 「昔の話」 島崎柳塢氏宛書簡、作文
    の冩眞を撮る。


○ 夏目小一郎氏にもう二三日 日本新聞 御預
  を乞ふ旨 葉書を出す。 


11.8.12.

○ 松岡氏から返事來る。近藤氏の住所不明のよし。
    鶴本氏に聞け と。
   

○ 右の件をきく爲に 鶴本氏にに葉書を出す。


○ 松根氏から 季題別の原稿を貰つて來る。


○ 海南新聞の新資料 四句 の季題未決
  定につき 旅行中の松根氏にお伺ひをたてる。
  二十七年の菊池謙二郎氏宛の手紙の中の
  二句も一緒にきく。


○ 第十回寄贈分 入品。


11.8.13.

○ 小宮先生から葉書來る。
    普及版 別冊 二四〇 頁の
   
    △ 座と・手と 襟を正して見たり更衣
   
    △  夜更て見たが家から出て見たが

の二句を三十六年? として俳句に入れる件。

    △  朝毎の法りや旅寝の一大事
   
    も 「『几董全集』書入れの中より」 とでもして
    三十六年? として入れたらよからう。
    といつて來る
    〈注: 11.6.10.  の以下参照。
      ○ 普及版 第十六巻 二二〇頁から 俳句新資料一句発見。長田さん。
          里の灯を力によれば 燈籠かな
                        □後調査、〈高井〉几董(たかい きとう)の句と判明□


○ 鎌倉氏から葉書來る。
  月報をもう一部くれ と。全集に挿入して
    送る。


○ 第十回配本 第六巻 門・彼岸過迄 の
  寄贈すみ。


11.8.14.

○ 松根氏(留守先)から 海南新聞に出た漱石
    の句のうつし を送つて來る。
    明治二十八年十月から年末までのもの。
    くれぐれも絶対の信用はおけない。必ず冩眞に
    当る事 と松根氏の言葉あり。
    全集を校合。新資料なし。
   
○ 右に礼状出す。


○ 新聞 「日本」、島崎柳塢氏宛書翰、
  遊歩会作文第一號(正成論)の冩眞
    焼付來る。
   
○ 新聞 「日本」 をもう一担 焼付依頼。 


○ 新聞 「日本」 の冩眞を小宮先生に送る。
    他に、俳句新資料 書抜、子規の英文、マードック
    先生の評(共にミユーゼアム誌掲載)
    第十四回 初期の文章の目次 を共に送る。


11.8.15. (土)

○ 鶴本氏から 近藤元喜氏の住所を知らせて來る。
  近藤元喜  松山市〈注: 以下略〉 


○ 松根氏から手紙、返事來る。
      明治二十七年
      春雨や柳の中を …
      屋響の只 …
    の二句は 季題別では独立して扱はない事。


○ 第十一回配本 「詩歌俳句及初期の文章 附 印譜」
    の印刷部数申請
      一九一〇〇 部 印刷
      一八八〇〇 部  卸入用部数


○ 松根氏へ伺ひを出す。
        春の川 …  その他説によつて季題の
        (秋)       變るものゝ取扱ひ方。 


11.8.17. (月)

○ 近藤元喜氏へ  句稿冩眞撮影を許
  諾された御礼状を出す。


○ 小宮先生から 「昔の話」 の冩眞、タイプ原
  稿 返つて來る。
    これは談話なり。と。


○ 小宮先生から 右記のものと一緒に
    橋本左五郎氏の談話原稿來る。
    月報第十一號のトツプ原稿。
    〈注: 橋本左五郎先生の談話。執筆者は、田内静三〉


○ 第十一会分 俳句 年代順 まで組上る。
    七九〇 頁。


11.8.18. (火)

○ 松根氏から 十五日の伺ひの返事來る。

○ 第十一回配本 印刷部数 決定
    一九一〇〇   印刷
    一八八〇〇   製本


11.8.19. (水)

○ 松木喜八郎氏から 草枕 原稿 拝借
    し來る。(下谷 尚美社)〈注:名簿には細かい住所等あるが省略〉
    一週間の 約束なり
    八月廿六日に返却の事。
   
〈注: 同日付 岩波茂雄直筆の借用証(340 ミリ x  250 ミリ 和紙)が四折りにされ、当時からのさび付いたクリップ止めで、実際に原稿を返却した11.8.29. の項に添付されている。この借用証は、原稿の返却によって、返されてきたのである。以下にその全文を載せる。〉


              證
             
一、夏目漱石自筆 草枕 原稿 壱部

右 漱石全集決定版編纂校合
用トシテ正ニ拝借仕候間爲念一札
如此御座候 也

      昭和十一年八月十九日
     
         神田区一ッ橋二丁目三番地
            岩波書店   岩波茂雄 〈岩波の実印 12ミリ四角〉
           
松木喜八郎 殿

〈注: 月報第十三號 においては、 決定版『草枕』の校訂について と題して自筆原稿を校合した結果を詳細に記録している。〉



○ 小宮先生 解説の原稿 二十三日お送り
    下さるよし。


○ 夏目小一郎氏に、 新聞 「日本」を
    書留小包にて返却。
    〈注: 本日付郵便物受領證が添付されている。〉


○ 季題別俳句 春の部(植物を省く)
    を精興社に 渡す。
   
   
○ 第四回配本 「猫」 追加儉印  参百部。


○ 季題別目次 組見本 の原稿渡し。


11.8.20. (木)

○ 第十一回配本 第十四巻の口繪 五枚(四・)
    を半七渡し。(但し使 來ず 明日也。)
    1.  肖像      原寸  タテ 二寸九分     ヨコ 一寸九分五厘
    2.    ・
    3.  木屑録        タテ 約一寸九分八厘   ヨコ 二寸七分
    4.  句稿         タテ 約一寸九分八厘   ヨコ 二寸七分
    5.  漱石の部屋  1/2      タテ 一寸五分      ヨコ 二寸二分
    6.  外觀     1/2      タテ 一寸五分      ヨコ 二寸二分
   

口繪五枚ではあまりに多すぎるので 木屑録と句稿
を一枚に組合はせる事にする。


○ 大塚巧藝社 冩眞撮影
      ○ ホトトギス 四冊 表紙
    ○ 歌舞伎 表紙 (山房藏)
   ○ 印   八枚
    ○ 論文 二冊 各表紙 目次第一頁
      ○ 作文 二つ


○ 第十一回配本 第十四巻 の奥付原稿渡し。
    昭和十一年九月五日   印刷
    昭和十一年九月十日   發行  


○ 松岡譲氏に 月報原稿依頼す。
   印譜に関するもの。
   枚数は不問。
      二十七日頃までに。


○ 月報 原稿(言行録)精興社渡し。
    約三頁と一段位の予算。


11.8.21. (金)

○ 鶴本氏から 新資料として 俳句二句
  報告あり。
   
     春三日吉野の桜一重なり     愚陀佛
         三階の隅の …
          稲妻に近くて眠り安からず     漱石
     
    但しいづれも 旧資料。礼状にその旨
  書き添へて出す。 


○ 松根氏 訪問
    海南新聞冩眞二十八枚借りて來る。
        季題別目次組見本をお見せする。
       
○ 季題別 俳句 目次 原稿 全部 渡し。


○ 口繪原稿 半七渡し。

○ 奥付校了。 日曜刷上りの予定。
        大森製本  一〇一〇〇     製本 九八〇〇
        寺島 〃   九〇〇〇          〃   九〇〇〇 


11.8.22. (土)

○ 南さん 夏休

○ 小暮前 第十一回の儉印の日取を決める。
     廿六日(水)
          廿七日(木)
         
     月曜に長田さんから夏目家へ その旨 電話を掛て頂く。


○ 中田〈製函所〉より、「初期の文章」の〈函〉校正來る。


11.8.24. (月)

○ 「江湖文學」 第四號の發行日を上の〈上野〉図書館で調べる。


○ 「英文學叢誌」第一輯 (カリツクスウラの詩)(セルマの歌)所載 … 引合せの
  爲 上野、日比谷に行きしが、無し。
  〈注: 11.7.14.  参照〉 


○ 本御座の猫の番付を鎌倉氏から拝借。
    〈注:月報12号の4頁に、三崎座上演「猫」番附 の冩眞が掲載。「借用品控」に、本日付記録があった。11.9.28. 参照。〉


○ 奥付來る(第十一回分)


11.8.25. (火)

○ 島崎柳塢氏へ、同氏宛漱石書簡及作文
  正成論 を返却。輿寄に出張して
  畫をかいてゐられるところに行き 御手渡しする。
  預り証は 後で御破棄下さいと いつて來る。  


○ 正成論の作成年代を確かめるべく 島崎氏の話
    をきく。
   
    「この題は 明十小學校の吉江といふ先生が出され
    たものである事 は確かな記憶がある。
    明治十年に立つたから明十といふのだけれど
    二年位ですぐ廃校になつてしまつた。
    で、漱石も 私も 上等をこゝで卒業しなかつた。
    二月十七日といふ日付があるから 多分 十一年の
    事であろう。十一年だと 十二才になりますが、
    それでは十二才でせう。この包紙の十一才と
    いふ書入れは 確な資料によつたものでなく
    凡そこの位だらうといふ想像で一寸書いたものです。」
   
    「それでは 明治十一年、十二才の作としてよろ
    しふございますね」 と念を押したら
   
    「よろしい」 といはれた。
   
    上等小學校は、明十小學校一つだけだつたので
    東京中の者が此に集まつた。
    市谷小學校でも 漱石と自分は同級ではなかつた。
    漱石が一年位下だつたと思ふ。只 自分の
    父が漢学の師匠をしてゐ〈たので〉て、漱石がならひに
    來てゐたので 親しかつた。明十でも 同級では
    なかつた。明十が廃校になる時、自分の受持の
    先生が本郷小學校に行かれたので 先生について
    自分も本郷小學校に入つた。當時 漱石は一緒
    でなかつた。どこの學校に行つたかしらない。
   
    「 「錦華」ではなかつたでせうか。」 「年表にさうあるのな
    ら多分さうでせう。」 
   
    市谷へは入る前に 牛込原町にある 新原小
    學校、(これは、手習師匠で、公立の學校ではない)
    には入つてゐた事も 年表に 書いてありますか。       ありません。
   


○ 一つの記

  正成論所載 遊歩舎 作文 第一號
  半紙 半裁にしたものを二つに折つてある。 
    表紙・目次 一枚 (表紙の裏に目次あり)
    扉一枚 (これは半裁を更に二つに切つたものゝ一枚)
    本文七枚(最初の頁は半頁切りとつてある。)
    目次一枚(半裁を二つに切つたものゝ一。 (朱書の頁記入)〈イラスト〉
   
    目次つゞき一枚
    白紙   一枚
              一枚(表面 裏に落書あり)
    表紙   一枚

        計 十四 枚 (横 四寸、  縱 五寸五分)。


○ 夏目家 印税計算。 堤〈常〉ちあん 持つて行く。
  印税帳には (受取の) 印を押して下さらなかつた由。 


○ 季題別俳句は 二十六日中に組上りの予定と
  精興社から申出る。


○ 解説 原稿來る。礼状もすみ。(一〇七 枚)
  直に精興社渡し。


○ 大塚 冩眞 持つて來る。


11.8.26. (水)

○ 今日と明日の二日で儉印。

○ 函 校了

○ 季題別俳句 組上り。 八七四 頁。

○ 漱石山房から借りて來た 印 を皆 松岡氏へ持つてゆく。
  月報に印譜の事を書いて頂く爲。
    印 の冩眞八枚も届ける。これは返してもらふ事。


11.8.27. (木)

○ 解説 組上り。 九二 二 頁

○ 鎌倉氏 来店。


11.8.28. (金)

○ 松山の葛木冩眞館に 句稿及び海南新聞
    の冩眞代 弐拾参円也を振替で支拂ふ。


○ 松岡氏から 月報の原稿が來る。
  印も返して來る。


○ 古川〈古川 久〉氏来店。左記のものを持参さる。

    索引用 彼岸過迄
            それから・門
            三四郎     及び同カード 一四三 頁まで。
            故事 の書抜き。


○ 印譜で読めないのを 狩野〈享吉〉先生に伺ふべく
  訪問。不在につき 校正刷だけ置いて來る。
    明日伺ふ事。
   

○ 月報 言行録 校正來る。 三頁と上段と三行。
    森田氏へ送る。


11.8.29. (土)


○ 狩野先生に印譜を読んで頂く。

○ 狩野先生によんで頂いたのを 松岡氏へ持つてゆき
  原稿を直して頂く。


○ 松岡氏 原稿を精興社に 渡す。
  題は 「印譜を讀む」 とする。


○ 草枕原稿を松木氏に返却す。
    (追加記述  草枕 の冩眞をうつす。)
    〈注: 11.8.19. 参照。結局、1週間(26日返却)の約束が本日になった。
    なお、月報十三號 6 - 7 頁に、今回の校合のことが詳細に出ている。〉


○ 矢本貞幹氏から 文學評論のカード來る。
    礼状すみ。
    〈矢本は、古川と共に索引編纂の協力者〉
   
   
○ 本文校了。


○ 解説〈注:解説の校正のこと〉を小宮先生に送る。


○ 刷上り 三日中と約束。

○ 印譜 校了。

○ 口繪校了。ネーム共。 


11.8.31. (月)

○ 小宮先生から 解説の校正 送つて來る。
  礼電すみ
  解説 そのまゝ校了。


○ 森田氏から校正かへつて來る。礼状すみ。

○ 右校正 要再校で出す。 


○ 小宮先生から長田さんに葉書來る。
    文學評論の予定の返事を 代りに出して置く。
   

○ 精興社から電話。
    總がゝかりで刷つてゐますがどうしても 四日まで
    にして頂き度い。三日といふ御返事は
    確定的のものではありませんでした。 と。


○ 月報原稿、一つ渡し。 約四頁と下段に二三行。
  橋本左五郎先生の談話。田内静三
  〈注: 11.8.17 参照。〉  


○ 鎌倉氏来訪。
    文壇名家書簡集 を持参さる。拝借す。
    書簡新資料 (大正四年)九月二十五日 徳田
    秋江宛書簡 掲載 (一寸御約束が致しにくいの
    ですが)
   
    タイプ原稿にする件を依頼す。
                  (後記に實物なしとあり。原稿編入スミ 二・一二・七・)


11.9.1. (火)
〈注: 上欄に朱で、「関東大震災 記念日」とある。〉


○ 鎌倉氏 来店
  カバー付の文學評論 を拝借する。

○ 函 厚さ 校了。


11.9.2. (水)

○ 「文壇名家書簡集」 と同書所載、徳田秋江宛書(新資料)タイプ原稿を
  小宮先生に送る。


○ 本文 四日校了にて、大森、寺島と交渉、十四日配本と決定
    する。
   

○ 印譜 刷了。

○ 月報 松岡譲氏分 要再校。田内氏分 要再校で出す。
          森田氏分 要三校。


〈 ○ 口繪ネームつけて校了 を削除〉

口繪位置決定
  一、肖像       二寸五リン上り。  左右出來より  中央
  二、光佛寺町の家   天地左右出來より  中央     (文字ヌキ)
  三、松山の家     〃                 〃       〃
    四、句稿・詩校    九分五厘上り  左右出來上り   中央


11.9.3. (木)

○ 月報挿絵冩眞 精興社渡し。


○ 第十二回配本 「文學評論」 原稿  五五六 頁 (大型版〈注:版を消して〉
  判の頁)… 第一編全部 精興社渡し。


○ 口繪順序決定
    1 肖像
    2 光佛寺町の家
    3 松山の家
    4 詩歌・俳句
      

○ 扉刷位置決定
    下一寸四分五リン強アキ。


11.9.4. (金)

○ 大塚巧藝社に、去る五月廿一の撮影の、東朝切抜 「東人 西人 … 
  難波電化課長曰く …」 の焼増し一枚をたのむ。 


○ 月報挿繪分 要再校で出す。


○ 大村西崖氏宛書翰(新資料)を佐藤さんより受け取る
  タイプに打つ。四〇・四・二三             □原稿編入スミ□
    〈注: どちらの佐藤さん? 店内には、 佐藤佐太郎 と 佐藤隆一〉


○ 「文學評論」 原稿 五五七 頁 ― 六〇八 頁迄 精興社渡し。


11.9.5. (土)

○ 大村西崖氏宛書簡タイプ原稿を、決定版原稿に挿入。


○ 三四郎異版本 及び 伊藤悦太郎氏あて〈書簡 を消して〉端書
    を左記へ返却(書留小包) 礼状出す。
    〈注: 大阪市 以下の詳細な住所は省略〉


○ 表紙金版 校正 來る。
    十六巻 とあるのを直させる。〈注: 文學評論 は 第十二巻〉


○ 「文學評論」 六〇九 ― 六四八 (大型頁数)まで
  原稿渡し。
    〈注: 何度も出てくるが、大型 とは、大正13年版全集のこと。〉


○ 同原稿 六四九 ― 六六〇 まで渡し。


○ 月報 校了。 全十二頁


11.9.7. (月)

○ 月報 第十號 原稿料計算 発送。


○ 「文學評論」 原稿つゞき 精興社渡し。
    大型頁、 六六一 ― 六九六 まで
   
○ 「文學評論」 原稿つゞき 六九七 ― 七五二 まで
    精興社渡し。


11.9.8.

○ 出版届執筆を後藤〈栄蔵〉さんに依頼。


○ 「文學評論」 原稿 七五三 ― 八三六 まで精興社渡し。

○ 右 仝 八三七 ― 八五六 まで精興社渡し。


○ 文學評論 圖版 大きさ  ヨコ 一寸四分(八行 アキ)
   (タテ 一寸二分、 十六字分 アキ)  あけて組むべく指定。  


○ 文學評論 原稿 八五七 ― 八七八 まで精興社渡し。

○ 右 仝 八七九 ― 八八八 まで精興社渡し。


11.9.9.

○ 文學評論 八八九 ― 九六四 まで渡し。


○ 鎌倉氏来店。
    文學評論 縮刷 初版 拝借
   

○ 森田氏 使 来店。第十二號 言行録 原稿 受取る。
    同原稿料 と次號 用紙代 を現金にて渡し。


○ 書簡新資料 鎌倉氏 切抜より発見。
    (黒木氏宛 三九年? 二通)   タイプスミ
                               編入スミ

○ 九六五 ― 最後まで 精興社渡し。


○ 月報 精興社より届く。(第十一號


11.9.10.

○ 出版届 大森製本に渡す。 本日 納本。
      昭和十一年九月十日   印刷
      〃        九月十四日  發行


○ 月報 寄贈
    例月の外、瀧原流石氏に一部寄贈する。
   

○ 文學評論 校正出初める。


11.9.11.

○ 文學評論 圖版 原稿渡し。(一版)


11.9.12. (土)

○ 第十一回配本 「詩歌俳句 及 初期の文章」 寄贈分 入品
    夏目家分(八冊)を残し他全部発送。


○ 鎌倉氏来訪。「初期の文章」を渡す。


11.9.14. (月)

○ 文學評論 圖版 校正 來る。汚いので
    要校〈正〉でかへす。


○ 文學評論 口繪寸法 決定
  一、肖像      ヨコ 二寸五分(タテ 三寸七分五リン)
  一、南町書斎    タテ 二寸六分(ヨコ 約三寸五分)
  一、南町書斎外觀の冩眞を入れる。
    (この前製版したのがあればそれを使ふ事) 


○ 矢島祐利氏に 月報原稿 二十二三日まで
    に 四〇〇字 十枚位をお願ひする。
    承諾
    〈注: 月報十二號 寅彦の日記に現はれた漱石〉


11.9.15. (火)

○ 草枕原稿全部 精興社渡し。

○ 小宮先生から 葉書來る。
        名家書簡集 遂に紛失。
        この書簡は確に漱石のものなり。入るべし。


○ 二百十日 原稿全部 精興社渡し。


11.9.16.(水)

○ 奧村氏から 葉書來る。月報第十號を
    一部くれと。送る。


11.9.17. (木)

○ 「野分」 原稿渡し。(全部)


○ 短冊(行く人に留まる人に帰る雁)を
    小笠原徳治氏に返却。書留小包にて
    送る。
    〈注: 11.7.24. 参照。なお、本日付郵便物受領證添付〉


○ 書簡新資料 前田夕暮氏宛
    を前田氏宅にて書写  タイプ打つ。
      三九・一〇・二四                 □原稿編入スミ□


11.9.18. (金)

○ 樋口正美氏を訪る。
  明後日曜に來てくれ と。
〈注: 正美は、樋口龍峡(秀雄)の息子。書簡は、大正2年2月22日。〉


○ 松崎哲郎氏を訪る。
  書簡實物なし。同棲十三年
  (松崎 天民 著)からのうつし也。
  同書を借りて來る。
     〈注: 大正2.11.12  書簡〉 


○ 長谷川さん が 徳田秋聲を訪ねて
    新潮座談会に出てゐた徳田氏宛書
    簡をきいて下さる。
    転居をしたりして どうなつてゐるかわから
    ない、さがしてみませう と。
  

11.9.19 (土)

○ 文學評論 組上り
  五二〇 頁 (裏白)


○ 田内氏の原稿料は左記に送るやう
  小宮先生から注意あり
   台湾〈以下 住所略〉 
      田内正昭様
      〈注: 11.8.17 参照〉


○ 文學評論 圖版 校了。

○ 既刊の奥付 各四枚 づゝ 大森製本渡し。
    原本用いて。


11.9.20. (月)

○ 樋口正美氏より 樋口秀雄〈龍峡〉様宛書
  簡(大正二年二月二十一日付) 一通 拝借し
  來る。
    まだもう一通は弟のところにあります。後ほど
    話して置きませう と。
    刊行會の名刺の預り証を置いて來る。


11.9.21. (月)

○ 松根氏に 俳句季題別の抜刷 三部
    小包にて送る。


○ 解説の原稿 小宮先生から來る。六十三枚。


○ 解説原稿 精興社渡し。おそくとも廿三日朝には全部
    校正を出してくれるやうにと依頼。


○ 口繪校正來る。校了
        ネーム決定
        明治四十一年十二月   撮影
        早稲田南町書斎
        早稲田南町書斎南縁  


○ 小笠原徳治氏から 短冊着報來る。


○ 龍峡氏宛書簡タイプ打つ。(大正二年
  二月二十二日付)                                  □原稿編入スミ□
    〈注: 11.4.4. の詳細注を参照〉


〈注: ○ 池邊三山死 十一月二日付書簡タイプ打つ。  を削除〉


○ 言行録校正來る。三頁と少し。


○ 日記を昨日から全部四冊 通覧。
  新資料につき 未決の分には 赤紙貼附、
    書簡 新資料 原稿に 記入済はそれぞれ
    の箇所にその旨 記入。


11.9.22. (火)

○ 樋口龍峡(秀雄)氏宛書簡(大正二年二月二十二日付)
  原稿に編入すみ。
    〈注: 11.9.20. では、 二十一日付 となっている。〉


○ 漱石書簡 上田敏宛 三通 うつし。加治隆一
  氏より小林さんを通じて送つて來る。

    ○ 年不詳         (一)    (四〇・一二・二一)
    ○ 三三?(三八)・十一・一〇 (一)
    ○ 四四・四・二〇         (一)         □原稿編入スミ□
     

○ 第十二巻 文學評論の奥付 原稿渡し。


○ 杉田正臣氏に 九月七日付の書簡の年
    三八?・九?・ を問ひ合はせる。
    〈注: 11.9.28 参照〉


○ カナザワヒロシ氏に 大村西崖氏宛書簡
    書留小包にて返却。
    〈注: このカタカナのカナザワヒロシ氏 は初出〉


○ 松根氏から 俳句 海南新聞 冩眞
    六十二枚 頂く。
    同 冩眞代 の請求書も來る。
    本文俳句に 海南新聞からと入れてない
    句あり と書抜いて下さる。これは、承露
    盤から出た句にだけ入れたので 句稿か
    ら出たのは付けない方針だつたのである。
    但し、後で頂いた冩眞によつてわかつたのも
    あつて わかつてゐれば入れなければならな
    かつたのも数句ある。


○ 大森製本所に 右刷本を請求す。
      第一巻 猫     一七  ―  三二
                          三三  ―  四八
                          六五  ―  八〇
                          八一  ―  九六
                          五一三 ―  五二八
                          五四五 ―  五六〇         六台分

   第十巻 小品     五二九 ―  五四四
             五九三 ―  六〇六         二台分
   
      第十三巻 評論雜篇   四九七 ― 五一二
                              五二九 ― 五四四
                              五七七 ― 五九二
                              五九三 ― 六〇八
                              六〇九 ― 六二四
                              六二五 ― 六四〇
                              六四一 ― 六五六
                              六七三 ― 六八八
                              六八九 ― 七〇四
                              七〇五 ― 七二四         十台分
                             
  
      第十五巻 日記及断片  八八一 ― 八六九         一台分  


○ 印刷部数 申請          一八三〇〇
        (卸部 入用部数)      一八二〇〇
       
       
11.9.23. (水)
〈注朱記: 秋季皇霊祭〉

○ 海南新聞 撮影代 一金参拾壱圓也 振替にて
  葛木繁冩眞館に支拂。
  〈注: 11.8.28. 参照〉 


○ 大森製本から   原本製本來る。
        第一回   第四巻   虞美人草 坑夫           二
        第二回   第八巻   心 道草              二
        第三回   第十巻   小品                二
        第四回   第一巻   吾輩は猫である           二
        第五回   第十三巻  評論 雜篇             三
        第六回   第二巻   坊つちやん外七篇          三
        第七回   第十一巻  文學論               三
        第八回   第五巻   三四郎 それから          三
        第九回   第十五巻  日記 及 斷片           二
        第十回   第六巻   門 彼岸過迄            二
        第十一回   第十四巻  詩歌俳句 及 初期の文章 附印譜    四

これで原本が全部四冊づゝ揃つた事になる
但し、「日記 及 斷片」 一冊 不足につき直に 注文。
虞美人草 一冊あつた筈が見つからず。


○ 解説 組上り。
    全 五四六 頁
    奥付二頁入れて 五四八 頁 


○ 右 藤森さんに通知。


○ 新海竹藏氏訪問。不在。
    〈注: 「名簿」に、新海竹太郎宛書簡 新資料提供者 とある。〉


○ 近藤茂吉氏 長田さん 訪問 旅行中
  二十八日歸京のよし。
    〈注: 「名簿」に 内田魯庵宛書簡 新資料提供者 とある。〉


○ 中村星湖〈將爲〉氏訪問。漱石書簡新資料
  拝見。書写。タイプ打つ。               □原稿編入スミ□ 


○ 加治氏から來た上田敏宛書簡三通
  タイプ打つ。疑問の点二三あり
    実見 したし。


11.9.24 (木)

○ 第十二回配本 第十二巻 文學評論 印刷
  部数 決定
  一八三〇〇    印刷
  一八二〇〇    製本 


○ 夏目家 小宮先生 印税勘定書
    提出


○ 新海竹藏氏 訪問。書簡新資料
  実見。うつしと引合はせすみ。
  二字 読めないところあり、借りるか冩
  眞をとる事。 


○ 奥付 校了
          昭和十一年十月五日      印刷
          昭和十一年十月十日      發行


○ 矢島氏 月報原稿頂く。〈注: 11.9.14. 参照〉 小宮先生に
    解説 校正と共に送る。月報に使つていくか
    うかゞふ爲也。

○ 解説 校正 小宮先生に送る。


○ 文學評論 校了になり初む。


○ 精興社 青木さんに紙の催促を今日
  してくれるやうに依頼。 


○ 草枕 校正 出初む。


○ 鎌倉氏 来店

  一、瀧田氏から提供された書簡新資料
        の、封筒、消印 等 もう一度 瀧田氏に
        きいて頂く可く依頼。
       
    一、中村星湖氏宛書簡うつしを鎌倉氏
        にあづける。新聞撮影と引合はせて
        頂く爲なり。


○ 夏目家から借用のノート 其他を
    明日返却すべく整理。
    蔵書目録 二冊を残し 他を返却
    すべし。


11.9.25. (金)

○ 妹尾〈福松〉氏宛書簡 消印 を谷本勉氏に問合はせ。
    〈注: 名前は、「名簿」による。〉


○ 奥付 刷上り交渉
    明二十六日中に刷了。
        大森   九三〇〇
        寺島   九〇〇〇


○ 夏目家 借用品 返却。(控帖 参照)

○ 夏目家 印税 支拂。

○ 新海氏の書簡はもう見る必要なし。

○ 口繪ネーム 共に校了。

○ 本文 校了になり初む。


〈注:この日付に以下のような俳句に関するメモが貼り付けてある。長田の筆跡。〉

鷗外の手紙の中に(明四一・四・二五)
          穴のなき 銭を袂に暮るゝ 春       漱石
          行く春を 只べたべたと印を押す      鷗外
右〈小林〉勇さんから。俳句の巻に既載。但し字句相違。よつて未だ手許に
あつた『手帳』を見るにはつきり全集既載の通り
          穴のある 銭が袂に暮の  春
それにしても鷗外のは鷗外の記憶違ひか、後に漱石の直せるか。


11.9.26. (土)

○ 湯浅兼〈村 を消して〉孫 氏宛書簡 拝借方依頼。
    拝借出來なければ冩眞でなければ
    うつしを送りましたから引合はせ下
    さい と、依頼。


〈注:「名簿」には、湯浅兼村 のまま。〉


○ 森田草平氏に 月報校正送る。


○ 西島、長村氏、青海に出張。本文校
  了

○ 長田さん 斉藤阿具氏 訪問。〈注:10.12.2. 参照〉
  新資料 書簡書写 数通。
  なほ、「猫」を高藤氏に贈るにつきて
  扉に書かれしものあり。これも新資
  料。
  右 すべてタイプ打つ。  


○ 田内氏より 月報二部 請求し來る。
  送る。


○ 本文刷上を交渉したが 青木氏 後で返事
    をするといつてとうとう返事來ず。


11.9.28. (月)

○ 森田氏から 校正かへつて來る。精興社に
    要再校で渡す。


○ 小宮先生から 解説校正來る。
  矢島氏原稿も戻る。


○ 矢島氏原稿(寅彦の日記に表れた
  漱石 二十一枚)を精興社渡し。


○ 塩田良平氏に 伊澤元美氏の住所、
    でなければ 巌谷氏の住所を教へて頂き度い
    旨 手紙を出す。
    〈注: 「名簿」によると、伊澤は雨声會資料発表者、巌谷〈栄二〉は、巖谷小波(いわや さざなみ、1870.7.4. - 1933.9.5.)の次男。なお、日記や「名簿」中に、英次とか栄三と書かれる場合もあるが、誤記。〉


○ 杉田〈正臣〉氏から返事來る。作郎氏あて書簡
  は 三十七年 なりと。
    〈11.5.11.    11.9.22.  参照 〉


○ 湯浅兼孫氏から返事來る。
  書簡は大朝に掲載された他に
  三通あり 共に送つた と。
  短冊 三つある中、俳句一つは新資料
    らしい。
    書幅三つの中 一つ新資料らしい
    (漢詩なり。)
 

○ 大塚巧藝社に 文學評論 と 三崎座
  番附 を渡す。(都合キャビネ四枚うつす
  事)
    〈注: 月報12号の4頁に、三崎座上演「猫」番附 の冩眞を掲載。これも、鎌倉幸光氏の所有である。〉


11.9.29. (火)

○ 近藤茂吉氏を長田さん訪問。内田魯庵氏
  宛書簡新資料を撮影。                  □スミ□
    〈注: 11.9.23. 参照〉


○ 近松秋江氏を訪る。
  新潮社発行 名家書簡集の中にある
  同氏宛書簡は震災で燃失した。
  もう一ついゝ手紙をもつてゐたが当方は
  新潮社の森矢岩雄といふ人に借して
  (二葉亭のも一緒に)それつきりかへして
  くれない。と。 


○ 湯浅兼孫氏から 漱石書簡新資料
    四通送つて來る。中一通は大阪に
    發表されている。               □原稿編入スミ□
    礼状を出す。と一緒に、俳句新資料
    及び 漢詩新資料一 をも御貸与方
    依頼す。


○ 扉 校了
    上から七分五リン下り。(評論雜篇に同じ)
  

○ 嘉冶隆一氏から 漱石書簡三通借用、
  鷗外も一緒。鷗外は一応佐藤さんに渡し、
  再びあづかつて スチールケースに入れる。
  〈注:11.9.22 参照。なお、嘉冶 は 加冶 となっている。〉 


○ 大塚から 文學評論 と 猫番附 かへして來る。


○ 塩田良平氏から電話。伊澤元美氏の
  住所をしらせてくる。
  麻布区〈住所 以下略〉


○ 谷本勉氏から 手紙來る。妹尾氏の所宛の書
  簡消印の件は 妹尾氏より返事あるべし。
  なほ、別の件ながら 書簡集だけでも妹尾氏に
  寄贈してあげては、 と。承諾の旨返事す。 


11.9.30 (水)

○ 第十二回 第十二巻 文學評論 儉印。
    (今日と明日と)


○ 〈平井〉晩村宛書簡の年代 封筒年を長谷川
  偉平氏に問合はす。
    〈注: 11.10.7. 参照〉


○ 第十二回 第十二巻 文學評論 函校了。


○ 矢島氏月報原稿 三頁と七行。


○ 飯山さん 図書館に行き、書簡年次不明にて
  雜誌に掲載されたと思はれるものを調べる。
  判明せず。


○ 印税帳 夏目家から かへつて來る。去る二十
  五日 印税と一緒に届けたまゝになつてゐたもの。



11.10.1. (木)

伊澤元美氏訪問不在。

○ 月報原稿料 計算 発送すみ。


○ 月報の圖版原稿 二枚渡し。(猫 番附)
    〈注:月報12號4頁に掲載されている通り、上が全体、下がその左側を拡大した図のイラストと寸法。〉


○ 手紙講座をみる
    年次不詳は、新資料ならず。
    四十二年 安茂氏 宛のものなり。


○ 第十二回分の儉印すみ。

○ 扉 上七分五リン下


○ 口繪順序
    〈注: 口繪3点の図と寸法。〉


○ 伊澤元美氏より電話あり。
  巌谷氏の住所を伺ふ。 巌谷栄二
    芝区〈注: 以下の住所と電話は省略〉
   

○ 上田敏宛書簡三通、湯浅兼孫氏宛書簡
    四通 撮影。


11.10.3. (土) 

○ 月報挿絵「文學評論」のカバー表紙
    二枚 精興社渡し。


○ 書簡七通 (上田敏宛三通 湯浅
  兼孫氏宛四通) 焼付來る。


○ 田島氏 電話にて 書簡 拝借方 依頼。
    月曜日 八時半 お借に行く事。


11.10.5. (月)

○ 田島道治氏を訪問。書簡五通、葉がき
    二通拝借し來る。                   □原稿編入スミ□
    父の七十の賀の時(大正二年?) 句を
    頂いて、その時 こんな詩も出來た といつて
    手紙に書いて下さつたのがあつたが どこに行
    つたか どうしても 見つからない。
    (句が出來なくて詩が出來たが書いて
    あげるほどのものでもないといつて 手紙に
    書いて下さつたのかもしれない と。 どちらか
    はつきり 覚えていらつしやらない)       


○ 山房から借りて來た漱石宛書簡の
    中から十枚(寺田先生の分)を鈴木
    さんに渡し。
    〈注: 鈴木 とは、寺田寅彦全集担当の店員・鈴木三郎 のことか。〉


○ 小宮先生から葉書來る。
    池崎〈忠孝〉氏 近日中に上京。急が〈な を削除〉しければ
    都合 岩波に渡していくと の由。 さうして
    くれと返事を出して下さつた 由。


○ 草枕 二百十日 野分 組上り
  五二四 頁。


11.10.6. (火)

○ 樋口正美氏より借用の 漱石書簡(樋
  口龍峡宛)を返却。
    他に樋口氏宛書簡を 伊藤信愛氏 所
    蔵のよし。樋口氏より紹介状を
    頂いて來る。(逗子町〈以下、住所略〉)


○ 巌谷栄次に電話〈注:栄二の誤記〉(頌栄女學校)
  雨声會の資料を拝借し度き旨申し
    承諾さる。探して 二三日中に送り
    ます と。


○ 月報 校了

○ 伯・日語学院より 葉書來る。
    (神田三崎町一丁目一番地ノ一)
    全集中の「猫」を中華民国語に飜訳し
    度し、夏目家住所を教へてくれ、尚仲介
    の労をとらるれば幸い と。
    住所を教へ、一方、夏目家にもしらせる。
  

○ 書簡集原稿、 一頁 ― 十二頁 まで
  精興社渡し。 


○ 嘉冶隆一氏より拝借の 漱石書簡を
  鷗外のと一緒に返却。 飯山さん。
  朝日宛に持参。 


11.10.7. (水)

○ 新資料書簡 平井晩村宛の、疑問の部をきいて
  みたが やはりうつし通りとのみの返事だつた(長谷川
  偉平氏より)


11.10.8. (木)

○ 妹尾福松氏より返事。(同氏所蔵 同氏宛書
  簡 新資料 の消印 うつし) 


○ 三須佳木氏から 書簡二通 拝借
  三須鉚氏宛、一通だけ新資料。     □原稿編入スミ□
    〈注: この 三須鉚 氏とは、大正13年版第三次全集の「編集の現場・讀者からの手紙」の(5)に紹介した博識の人物のことである。」 〉


11.10.9. (金)

○ 出版届 執筆を 藤森さん に依頼。


○ 新資料書簡を借りるべく 徳田秋声氏を
  訪る。不在。


11.10.10. (土)

○ 徳田秋声氏を訪る。不在。


○ 月報 寄贈すみ。


11.10.12. (月)

○ 出版届をなす。


○ 新潮 四十二年二月號 「余の描かんとする
  作品」(別冊)掲載誌を購入。 


○ 巌谷栄二氏より 雨声會資料 端書
  二通 拝借。二通共新資料 也。
    四〇・八・四    巖谷小波 宛
     四〇・一〇・九   巖谷小波  田山花袋 宛
     

○ 追加儉印
        第二回  第八回 心・道草      二百 部
        第三回  第十回 小品        二百 部


11.10.13.(火)

○ 小宮先生から来信


○ 口繪原稿渡し。
    〈注: 2点の原稿のイラストと寸法〉
   
    他に覚書
    一、夏目家写真集
    一、遺墨集  二冊
    一、冩眞帖  一冊
   


11.10.14.(水)

○ 書簡集原稿 渡し。
  一 ― 九六 頁に附 〈斉藤〉阿具氏宛(五六頁)新資料。


○ 見本組 校了


○ 書簡原稿渡し 九七 ― 一二八


○ 草枕 校了になり始む。  


11.10.15. (木)

○ 中田製函に 函の校正を出すべく依頼。


○ 第三巻 扉 金版 渡し


○ 第十六巻 書簡集 の圖版原稿 五ケ分
    (第一次全集 第十二巻一冊)渡し。
   
    二一二頁ノ圖     ヨコ一寸五分八リン弱        一〇行分
    二一四頁ノ圖     ヨコ二寸四分五リン      一五行分
    四三九頁ノ圖         ヨコ九分           六行分
    五五五頁ノ圖     ヨコ九分           六行分
    七四二頁ノ圖     ヨコ一寸五分八リン弱      一〇行分   


○ 鎌倉〈幸光〉氏から 熊本峠の茶屋にある書簡新資
  料 冩眞 送つて來る(山梨日々 に掲載のもの)
    但し 封筒は二通あるも、中身は同じものを
    二枚送つて來る。取りかへ方 鎌倉氏を通じて
    依頼。
    右冩眞代 六円也、送る。
    (熊本市 〈以下住所略〉
    峠の茶屋 松本改三 宛)
    〈注: 上の六円分の郵便物受領證の他に 一金六圓也 の小為替金受領証書 を貼附〉


○ 月報十三號 言行録 原稿 森田氏より來る。
    原稿料 並びに 足代 計五拾円 渡し。
   

○ 古川〈久〉氏 来訪。
    普及版 第二巻 の索引カード追加を頂く。


○ 松根氏から電話あり。
  海南新聞に関して御尽力下さつた
    森荘之助、村上萬壽男 氏に礼状と
    何か寸志を送つてくれと、 承諾。


11.10.16. (金)

○ 森田氏原稿(月報) 精興社渡し。
    約三頁半になる予定。


○ 第三巻奥付 校了


○ 第十六巻 書簡集の 版権免許の冩眞
    (第三次の原稿からはぎとる)を精興社渡し
    下の印の幅の ポ八倍(八分五リン)に縮尺。


○  森荘之助、村上萬壽男 両氏に送るべき
    羊羹を 虎屋に電話にて依頼。
  夜の梅、 おもかげ、 菊の戸    各一本づゝ。
    〈注: 前の2点は現在も販売が続く。3つ目は、判読困難のため、虎屋に問い合わせて、判明。
  以下のようなご説明をいただいた。歴史の古さに改めて感服。御礼申し上げます。
      お問い合わせの羊羹の菓銘ですが、「菊の戸」と考えられます。
      私どもには、大正8年(1919)には記録のあるお菓子でございます。
      意匠は、縦二色で右が緑、左が黄というものでございます。
      〈注: 値段は、11.10.19. 参照〉


11.10.17 (土)

○ 逗子の伊藤信愛氏を訪る。
    新資料書面 拝見。書写し來る。
    大正二年一月二十三日 樋口龍峡氏に宛て
    たもの。
    〈注:住所の詳細は略〉


○ 森氏、村上氏へ、今朝虎屋から発送。
  挨拶状を出す。


11.10.19. (月)

○ 明暗 原稿 池崎〈忠孝〉氏より拝借。  〈注:11.10.5. 参照。大阪在住〉
  池崎氏 上京 御持参につき 長田氏受取り
    に行く。(朝倉市宅にて受取)
    預証を入れる。
 

○ 鎌倉氏来訪。
      遠藤雄士からあづかつた切抜を 鎌倉
      氏に貸す。
  

○ 虎屋支拂  十一圓五十銭也。


○ 書簡集原稿 五九二 頁 (三十八年 全部)ま
    で渡し。


11.10.20.(火)

○ 松山の村上氏気付いて 松根氏に右の件 依頼。
  一、新資料 幣原坦宛書簡発信年次、
   〈注: しではら・たいら 1870.10.12. - 1953.6.29.〉
  一、三十九年 森次太郎氏宛の伏字

    以上二つを 森次太郎氏に伺つて頂く事。
    〈注: この伏字とは、 明冶39.7.11. 付書簡の冒頭部分、「昨日は失敬致候 お尋ねの ○○○○ と申す男は……」の部分だと思はれる。〉


○ 谷尾長氏に お取・〈引 らしい字 左は 奇 に見える〉の ・ の字の
  うつしを頂き度き旨 依頼狀出す。
    〈注: 11.10.24 参照〉


○ 野間眞網氏に 書簡集伏字と、新資料 繪はがき
    の落款を問合はせ 手紙出す。
   

○ 草枕 二百十日 野分 の奥付 刷上り。


○ 本文刷上 二十五日 と通告。精興社から來る。


○ 月報 中谷〈宇吉郎〉氏のものを裏書きする 寺田先生の
    談話を 幸田道隆氏 筆記したものを
    小林さんを通じて頂く。
   

○ 月報 言行録の校正來る。 三頁と上段
    (但し三行アキ)


○ 津田清楓氏 森田草平氏、中川芳太郞氏
    にそれぞれ書簡伏字を伺ふ。(切取同封
    にて送付)


11.10.21. (水)

○ 月報校正を 森田氏に送る。


○ 徳田秋声氏訪問。〈注:11.9.18. 以來3度目でやっと在宅〉一部分さがしたが見つか
    らない。全集で忙しいが まだ探し残り
    の部分をさがして、あつたら速達で送る。 と。


○ 鈴木三重吉氏遺族から電話がくる。
    四十四年四月二十三日付の手紙がどうしても
    見つからない。近々 小宮先生が來られる
    さうですからその時 伺つてみます と。


○ 野間眞網氏に葉書出す。
   三十七年十二月二十二日 同氏宛書簡中
  摂津大〈掾 が木へん〉は 掾 ではございませんか と。

    〈注: 竹本摂津大掾  たけもと‐せっつだいじょう 1836 - 1917。なお、漱石の筆癖において、手へん と 木へん は区別されない。『坊ちやん』の 損ばかりして居るなど、木へん。〉


11.10.22. (木)

○ 解説原稿來る。 一二二 枚。
    直に精興社渡し。
    青海で組むやうに頼む。
    二十九日 再校を東京でおみせするやうに手
    配すべし と。


○ 小宮先生 早朝上野着。八時新宿を発つて
    信州へ。長田氏一緒に汽車に乗つて 書簡集の
    件につき伺ふ事を相談。
    一、田島氏宛書簡 全部入れる事件。
    一、今井みとしも生かす事。
    一、無人島の君に … の浜崎氏宛書簡は、
        七月三十七日の一つ前にいれる事。
    一、四十五年四月十八日付 虚子宛は、その日の処に
    繰上げ、すべて ホトトギス 四十五年五月號
    による事。(漱石氏を 私にはこの手紙 記憶なし) 
    一、斉藤阿具氏へ贈つた幅の見返に書かれ
        たものは、別冊に、雜篇の補遺として
        入れる事。


○ 今日と明日で儉印。 〈注: 13回配本 第三巻〉


○ 口繪 校正 二枚だけ來る。
          ネーム決定
          一路萬松
          山下隠棲
          明冶三十一年撮影 熊本市外大江村の家
          〈注:月報13號5頁参照。 11.10.28. に現物クリップ。〉
         


11.10.23 (金)

○ 徳田秋聲氏から 大正四年八月 同氏宛
    書簡一通拝借。あづかり證の名刺を
    置いて來る。
    勿論 新資料なり。
   

○ 口繪校正(組合はせ分)來る。修正がよく
  ないので改版を依頼。  


○ 津田清楓氏から  ○○ の問合はせの返事來る。
  この伏字は伏字として存在するもので
    それを明らかにすべき性質のものでない …
    といふ返事なり。
    原が ○○ なら 勿論 ○○ とすべきである。
    〈注: 11.10.20. 参照〉


○ 遠藤雄士から 又月報の催促來る。


○ 上司小剣氏に 高踏氏を御存じなら御教へ
  頂き度いといふ手紙を出す。
  大森区〈以下の住所は略〉 


○ 解説 組上り 全五六八 頁。 +奥付二頁
          計 五七〇 頁


○ 長田氏 新資料 発見。
        如何にタゴールを見る乎
            風采が立派      夏目漱石
            新潮 大正五年七月一日 發行  第二十五巻第一號

       應問か、談話か、小宮先生に伺ふ事。        □續書簡集編入スミ□


11.10.24. (土)

○ 森田氏から 月報校正 かへつて來る。


○ 野間眞網氏から 書簡端書について其他問合はせ
    全部の返事 來る。


○ 村上萬壽男氏から礼状來る。松根氏の件 言及してない。
  

○ 谷尾長氏から 返事來る。            書簡中
  「寄」の字についてなり。うつし來留る。  


○ 松岡氏を訪る。草枕評の有場所をきく。
    硝子戸の中 か 文鳥  の中にある筈 と。


○ 口繪組合せの分 校正來る。
    もう一度製版をやりなほしてもらう事を藤
    原さんに相談すべく電話をかける 不在。


11.10.26. (月)

○ 夏目漱石山房に行き 草枕の評をまとめた
    ものを長田さんが探しに行つて下さる。見当らず。
    当時 石印の捺したもの(篆刻家から來るもの)
    を借りて來る。


○ 森田草平氏 月報の再校刷をもつて行かれる。


○ 佐々木信綱氏から 漱石書簡五通 借りて來る。
  控は 借用帳〈借用品控〉参照。 


○ 中川芳太郞氏から 返事來る。
    〈注:11.10.20 参照〉


○ 上司小剣氏から返事來る。
  高踏氏は 相馬・也氏也 と。 


○ 松根氏から返事來る。
  森次太郎氏は、東京在住らしい と。
  

○ 藤原さん来店。
  口繪について相談。冩眞帳をもつて行つて
    もう一度製版しなほしてもらふ。


○ 口繪 刷位置 決定。  下 五分二厘五毛


11.10.27. (火)

○ 函 校了  大きさ。


○ 圖版 原稿 二枚渡し。
   地図の圖  と  印 と。


○ 矢來の圖版版下 かき直し製版直し依頼。


○ 鎌倉氏来店。
    田村豊久氏に 漱石の書簡あるかもしれず
    聞いて見よ と。承諾。


11.10.28.(水)

○ 第十二回分 印税、 第二回、第三回 の追加
  儉印の印税 届ける。 


○ 寅彦宛書簡 全部引合はせすみ。


○ 小宮先生来店。


○ 鈴木三重吉氏宛伏字  小宮先生より
  判明。それぞれ記入すみ。


○ 四三年三月十六日 大塚楠緒子宛新
  資料書簡 追加原稿 精興社渡し。


○ 口繪組合せ分の焼付冩眞 半七から來る。
  夏目家から借用の冩眞二葉も半七から
    返して來る。


11.10.29. (木)

○ 口繪組合せ分 改版不良につき 第二回の分
    を用ゐる。  校了。  刷位置  〈注: 刷位置のイラスト〉


○ 森次太郎氏を訪る。不在。明後朝伺ふ事。


○ 森田氏から 月報再校かへつて來る。
  要再校 で出す。


○ 鎌倉氏 から 別記借用品控 記入の
    ものを 文學の爲に拝借。
   
    〈注: 鎌倉幸光氏については、別稿で改めて書く予定であるが、氏なくして、決定版全集の篇纂はない、といっていいほどに、岩波書店は、氏の所蔵品の貸与並びに新資料探索に多くを負っている。 「借用品控」には、千点を超える資料が記入されているが、その過半が、鎌倉氏からの借用といってもいいほどである。本日の借用分は、「鎌倉氏より 文學のために」〉として、26点ほどが記入されている。もちろん、岩波店員らの事務処理はしっかりしていて、この26点は、12.10.15. に返却された、と朱書きされている。
      

○ 柳下道政氏といふ人來たり。 宮寛といふ
  人にあてた漱石書簡がある。お送り
    しますと。
    〈注: 宮寛 と太書きして、柳下氏の埼玉県の住所を記したメモ用紙が貼附。〉


11.10.30.

○ 小宮先生 御出発。
    その前に 新潮 大正五年七月號、 タゴール
    に寄するものをおめにかける。
    他の人のに日付があつたりするから 書いたもの
    らしい。書簡に入れるべし と。


11.10.31.

○ 別冊索引カード 矢本〈貞幹〉氏より送り來る。

○ 森次太郎氏を訪る。
    年次不詳 幣原坦宛書簡は、明冶四十
    二年まで、四十三年といふ事はない。四十二年か
    四十一年と思ふが どちらかといへば 四十二年らしい と。
    三十九年七月十一日 森次太郎氏宛書簡
    中 伏字は 菊池寿人 なり と。
    但し 伏せておいてくれ と。 


○ 奥村義郎氏から電話あり。四十年四月三日
    渋川〈柳次郎〉氏宛 葉がきあり、送る と。
    來る。但し 四十五年の誤りなり。
    これは既に新資料としてタイプ原稿
    入れすみ。
    〈注: 奥村については、「名簿」に、「門 原稿 所有者の秘書」とある。〉


○ 寺島製本 口繪順序決定。
  一、大江村
  二、一路萬松
  三、山下隠棲
    〈注: 11.10.22 参照〉


11.11.2.

○ 野間眞網氏 三十七年 同氏宛書簡中
  俣の字が 人篇 か月篇 かをきひて
  やる。
  〈注: 野間への書簡・はがきは、三十七年だけで、長短10点ほどあり、そのうちのどれを
  指しているのか特定できないが、3日後、11.11.5. の返事では、ニンベン の由 とある。
  ちなみに、同年7月20日の書簡では、 「俣野大觀先生」 「俣野大觀日野村傳四半転びを
  やる」 等が出てくる。 〉 


○ 評論雜篇の抜刷の不要分を大森届け
    て來る。


11.11.3. - 11.3.4.

三日・四日は 店の遠足にて 休業 (箱根行き)


11.11.5. (木)

○ 熊本の森田氏から左如き電報來る。

      センセイノアタラシキハヨリハツケン モリタ


○ 森田氏 留守宅から電話。
        木部氏から 月報の冩眞の説明が間ちがつて
        ゐたから訂正を送るといふ電話があつたので、
        当方は留守だから 岩波の方へしらせてくれと
        申して置いたからその旨含んでほしい と。 


○ 野間眞網氏より 葉書來る。
  同氏宛書簡の 俣野 は 脵野 にあらず
    俣野 であると。五高名簿も ニンベン の由申し
    來る。


○ 北海道小樽市の一愛讀者より
  北海道銀行の加藤守一氏が漱石の弟子で
    書簡並びに額を所蔵のよし。当地の新聞に
    出てゐたからしらせる といつてくる。
   
    小樽市 北海道銀行内として
    加藤守一氏 拝借又は写真撮影の旨 依頼狀
    出す。 


○ 二百十日 サイン を凸版製作に精興社渡し


○ 英譯草枕挿絵八枚 アミ版製版出す。


○ 帝國大學図書館 一戸務氏から 中國譯
    「草枕」 の序 の原稿來る。
    〈注:明日の日記にあるように、月報第十三號に掲載〉
   

○ 大型六一一頁(書簡集)の圖版 改版のため
  原稿渡し。


○ 鎌倉氏来店。
    スクラツプ 6 7 並びに 當刊行會のスクラツプ
    合はせて三冊持帰られる。
   
  
○ 書簡集 組上り  八〇六 頁。
    但し 後で一通書簡挿入。 これより少し
    増す筈。


11.11.6. (金)

○ 一戸氏原稿、月報トツプとして精興社渡し
  漢譯の表紙も製版の爲 草枕 一冊渡し 


○ 矢本貞幹氏にカード二千五百枚渡し。


○ 決定版漱石全集 第十四巻 初期の文章
    を索引用として矢本貞幹氏に送る。


○ 月報原稿 及び圖版原稿 精興社渡し。
    これで原稿は全部 すみ。


11.11.7. (土)

○ 書簡集索引見本組二頁分 精興社渡し。


○ 森田氏から 手紙來る。
  行徳二郎氏〈五高の教え子〉氏  切抜帖より に 漱石
  自筆の俳句新資料あり、送る、 と。
    なほ 「切抜帖より」 には 漱石書き入れの誤植
    訂正などあるよし。
    なほ 大正三年頃 漱石が半切の画箋紙に
    葉鶏頭を二本描き、
    葉鶏頭高さ五尺に育てけり              〈注:「渋柿」大正7.12〉
    といふ句を賛されたのを、行徳氏 手帖に控
    へて置かれしよし。 今日その繪は誰の所有か
    不明 と。
    大正四年十一月 行徳俊則〈次郎の兄〉宛未發表の書
    簡ある由。内容にさしつかへあり今まで發
    表せざりしもの。今日はさしつかへなからん と。
    〈注:世田谷区 以下 俊則の住所は略。内容は、漱石からの借金。〉 


11.11.8. (日)

○ 長田、南 出勤。


○ 月報第十三号 校了。午後八時半。


11.11.9. (月)

○ 行徳二郎氏から 「切抜帖より」 送つてくる。
  礼状出す。
    漱石自筆(・筆書)の俳句五句 貼込み
    あり、いづれも新資料。
    文は、誤植訂正数カ所(漱石筆)あり。


○ 鎌倉氏の話により  関村豊久氏の遺族を
  訪る。
    豊久氏の 妹らしき人ある。漱石の書簡は一通
    もなし。小泉八雲氏のものはあるが貸して
    ある と。
   

○ 塚本虚明氏に 斑〈文 でなく リ〉鳩 か 斑鳩 か 御教
  示乞旨の葉書出す。
  〈注: 手元の資料では、塚本虚明は、没年が、1929 (昭和4年)となっている。〉   

○ 徳田秋声宛漱石書簡 並びに 漱石
    宛 岩波茂雄先生葉書を撮影。


11.11.10. (火)

○ 小宮先生から葉書來る。
  岩瀬文庫に 池邊三山の手紙一本と
  趣味の原稿紙に書いた 「文壇の趨勢」 と
  いふ原稿が一綴あつた と。村岡氏から話があつた と。
  冩眞にでもとつてはどうか と。  


○ 徳田秋声宛書簡一通。切抜帖より
    (行徳氏のもの)、岩波先生から 漱石へあてた
    葉書二通 を冩眞にとる。


○ 書簡集、續書簡集 の新資料
  一揃を 小宮先生に送るべく 長田さん
    に渡し。


11.11.11. (水)

○ 口繪四枚 半七 渡し。


○ 「切抜帖より」 にある俳句 タイプ打ち、別冊
  原稿袋に入れる。


○ 第十三回 寄贈分 入品。


11.11.12. (木)

○ 口繪最初の書簡 の原稿 第一次の方を半七
    の藤原さんに渡し。


○ 書簡集奥付原稿 精興社渡し。
      昭和十一年十二月五日  印刷
      昭和十一年十二月十日  發行 


○ 巌谷栄二氏から借用の漱石端書二通
    (いづれも雨声會資料)書留郵便にて
    返却。


○ 奧村義郎氏から借用の端書(渋川柳次
  郎 宛 四五・四・三)を郵便書留にて
  返却。
    〈注: 11.10.31. 参照〉


○ 第十三回 寄贈 すみ。


11.11.13. (金)

○ 本日 第十三回 配本


○ 徳田秋声宛書簡。行徳氏藏 「切抜帖
  より」  岩波先生より漱石へのはがき 二枚
    各々二枚づつ 焼付來る。


○ 「切抜帖より」 の右の冩眞 各一通づつ
  小宮先生に送る。 


○ 三須佳木氏より借用の 三須鉚氏宛
    書面二通返却。


○ 行徳俊則氏藏 同氏宛書簡一通拝見。  〈朱で〉新資料 大四・一一・二二
    うつして來る。
    一通しかないから 初対面の人には貸与しか
    ねる。森田氏へもまだ面會した事がないが
    森田氏からの手紙でもあればその節は
    郵便でゞも御送りします と。


11.11.14. (土)

○ 月報 精興社から届く。


○ 月報 定期寄贈すみ。


○ 行徳俊則氏あて書簡 拝見。書写の件
    につき、御礼と 報告 の葉書を 行徳二郎
    氏に出す。

○ 行徳俊則宛書簡 タイプ打ち、原稿挿入。


○ 徳田秋声宛書簡 返却。


○ 行人 原稿渡し。
  三七三 頁(初め) ―  五二二 頁 まで。


11.11.16. (月)

○ 岩瀬文庫の高木氏から書簡來る。
    書面書写し 來る。
    年次不明 封筒は 單に 池邊吉太郎様
    夏目金之助 とあり、切手 貼附なく
    スタンプなし。中に 四月二十四日 とあり
    文面に 今日は日曜云々とあるによりて
    明冶四十三年四月二十四日と推定。
    勿論 新資料なり。
    タイプ打ち。原稿挿入。


○ 第十四回 部数申請
  一万七千八百部    印刷
  一万七千七百部    製本 


○ 小宮先生に 左記二冊送る。
  神泉   第一號     一冊
    本 御社會評            一冊


○ 彼岸過迄 の献辞をタイプ打
  つ。
    別冊補遺に入るべきか。


11.11.17. (火)

○ 木部守一氏から 月報第六號所載 五高卒
  業記念冩眞説明につき 訂正をいつてくる。
    六人目 奥太一郎 は 七人目 の誤。
    同列 十三人目 は 神郡豊太郎 と。


○ 行人 原稿 つゞき 五二三 頁 ― 五九二 頁 まで渡し。


○ 行人 原稿 五九三 頁 ― 七一四 頁 まで渡し。


11.11.18. (水)

○ 柳下道政氏に 宮寛 宛書簡貸与方 催促の
  手紙出す。
  〈注: 11.10.29 参照〉 


○ 森田氏から 葉書來る。
    月報原稿は 廿二三日まで待つてくれ と。
    承知の旨 返事出す。


○ 第十六巻 書簡集
    印刷部数 決定。
    一七八〇〇     印刷
    一七七〇〇     製本
   

11.11.19. (木)

○ 第十六巻 書簡集 扉金版 精興社渡し。


○ 岩瀬文庫から冩眞來る。


○ 行人 校正 出初める。


○ 第十六巻 書簡集  ・・ 校了
  


11.11.20. (金)

○ 松根〈東洋城〉氏に 電話をかける。
    鹿島松壽櫻氏 が 鹿間 か 鹿島 か、本命は?
    ときく。鹿間ならん、現在 東京にあり
    碁か将棋の先生をしてゐる。二三日待てば
    きいてみよう と。お願ひする。
    〈注:11.11.21 の頁に、朱で 「鹿間千代治」 現住所その他を記したメモを添付〉
   
    それから 全集にない俳句が一つ自分のところに
    あるのだが、人が來て、自分のところでみた掛物
    の句が全集にないが … といふ。手近なもので
    載つてゐるものと思ひ込んでゐた と。もしや
    葉鶏頭の句では? ときくと さうだといはれる。
    渋柿にもつかつた事があると思ふ と。
   

○ 小宮先生から 葉書來る。
  葉鶏頭の句は 渋柿 の表紙に使つた事がある。と。
  解説は 二十四日朝 手に入るやうにするつもり。
  出來なければ 二十七日 上京の時持つて行く と。 


11.11.21. (土)

○ 行徳二郎氏に 葉鶏頭の句の報告をする。


○ 三十九年五月七日付 野間眞網氏宛葉がきの日付
  を問ひ合はせる。   


○ 文壇の趨勢 は談話から抜いて 補遺(第十三巻の)とする事
    と小宮先生からいつて來る。さうする。


○ 鹿島松壽櫻 は 鹿間松壽櫻 で 本命は
  千代治。明冶十三年生。赤坂区〈注: 以下個人住所 略〉。
  と 改造社より返事あり。 


○ 坂元三郎氏に 四十年七月十四日、 と 十三日
    といづれか問合はせの手紙出す。
   

○ 紙を入れてもらふべく 伊藤さんに依頼。


〈注: 以上で5冊の日記中4冊目が終わっている。〉