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監修のことば――あらたな地平を切り拓くために
山下 浩
 
 漱石初出復刻全集シリーズの出版も三回目となり、これで漱石の初出本文の大部分が復刻されることになる。一回目は朝日新聞へ掲載された『新聞小説』全十一巻(一九九九)、二回目は各種雑誌へ掲載された『雑誌小説』全五巻(二〇〇一)であったが、今回はこれ以外の、評論、講演、翻訳を中心に全八巻、二百点の大台を超える資料群である。この中には通常ではめったに見られない、おそらくは 'unique copy'(一点しか現存しない)と考えられるものも含まれている。
 復刻の方針はこれまでと同様に、すなわち東京と大阪の両朝日新聞に掲載されたものについては、その両者を詳細に校合、異同の記録につとめ、雑誌類に掲載されたものについては、複数部を照合・校合し欠字等の補訂につとめている。
 復刻版を製作する一般的な目的は、希少な原典の代用をなすことにあるが、本復刻全集シリーズにおいては、これに加えて通常の全集との併用ないしはその代替リーディングテキストとしての使用を念頭に置いていたので、初出原典の調査には例外的な手間をかけ、「理想本」(出版物の完成形態)の姿を提示できるよう努力してきた。
 しかし当復刻全集シリーズもそれなりのまとまりを見せてきた今、当シリーズ製作の元来の目的が実はもっと別なところにもあったということを告白しなければならない。それは、漱石の著作群が、どのようなメディア形態に拠って、どのように編集・印刷され、発表されていたのか、そのありさまを従来のどんな形式の年表や解説よりも一目瞭然に、臨場感豊かに伝える、そのためのいわば「鳥瞰図」を描く試みであった。
 「書物史」の研究が世界的規模で充実してきた。従来の「出版史」(history of books) が、メジャーな出版物・出版社等の個々具体的な考察を主たる任務としたのに対して、「書物史」(history of the book)とは、「テクスト」(写本・印刷本・地図・楽譜・その他パンフレット類)の名で総称されるこれらの情報伝達メディアが、人類の歴史上・文化史上に果たしたさまざまな役割('the role of the book in history') を分析し明らかにすることである。 英国は、フランスよりも後発でありながら、最近、D. F. マケンジーらの尽力によって、外的証拠に依存し過ぎなフランス的方法の弱点を、同国伝統の「本文書誌学」(Textual Bibliography)的方法(内的証拠)の導入・併用によって克服し、フランスのロジェ・シャルチエらからも高い評価を受ける精緻で完成度の高い書物史を誕生させた。
 日本においても、今後こうした高度な書物史を誕生させるべくさまざまな方法論が模索されるであろうが、私は、従前からそのための環境整備の一環として、上に述べたようなコンセプトの復刻版製作を考えていた。貴重な資料の個々及び全体が、製作から受容に至るまで、いかなる有機的交わり方をなして、いかなるコンテクスに置かれているか、これは書物史研究の出発点であるが、この種の情報を少数の研究者に独占させるのではなく、特別な専門的知識を持たない一般読者多数に至るまでに容易に供与できる、そんな文献の必要性を強く感じていたのである。