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『草枕』解題
                                    山下 浩
 
 『草枕』は『新小説』(春陽堂)第十一年第九巻(明治三十九年九月一日発行、一頁から一四四頁)に掲載された。
 博文館発行の『文藝倶楽部』とともに当時の代表的な「小説雑誌」といえる『新小説』は、明治二十二年一月に「毎月一回一日発行」の月刊誌として発行されたが、翌二十三年六月には「暫時休刊」されている(第一期)。それが明治二十九年七月に復刊して大正十五年十一月まで続き(第二期)、日本近代文学史上に大きな足跡を残すことになった。漱石は『草枕』の前年の明治三十八年八月号に「戦後文学の趨勢」(談話筆記)を『新小説』に掲載している。
 『新小説』の判型である菊判については第三巻に収録の拙論「漱石の雑誌小説本文について」を参照されたい。
 『新小説』の「本欄」には毎回平均四五編の小説が掲載されたが、「第十一年第九巻」に限っては『草枕』特集といってもいいくらいで、他には正宗白鳥の『舊友』(五十二頁)が載っただけである。『草枕』は、小説の平均的な長さとしては中編であるが、『新小説』に掲載の作品としては例外的な百四十四頁に達する大作であった。
 『新小説』は当時の大手印刷所、秀英舎で印刷されているが、『草枕』を含む「本欄」の頁は、段ヌキ、四十五字詰、十七行のベタ組みである。本文は総ルビ・総ふりがな(こうした印刷用語については第三巻『坊っちやん』の解題を参照)である。当時新聞(小説)においてはすでにルビ付きの活字が開発・製作されていたが、雑誌においてはまだルビ付き活字はほとんど導入されておらず、総ルビ雑誌の『新小説』においてもルビ無しの活字にいちいちルビを付けて組んでいる。植字職人の立場からはひじょうに手間のいる作業であった。
 ルビ付きの活字かルビ無し活字かを見分ける一般的な方法であるが(例外もある)、「智(ち)に働(はたら)けば」の「働」のようなルビを三字必要とするような場合、この三字が「働」の全角のスペースにおさまらず、「働け(はたら)」のように下にはみだしていればルビ無し活字とみなしてよい。『草枕』の場合三字のルビはすべて全角の幅からはみだしている。ルビ付活字で印刷された漱石の新聞小説においては、最初の『虞美人草』から三字のルビが漢字の全角の幅の中に収まっている。
 
 『草枕』の復刻に際しては、(1)の九部を校合し、(2)に示すような異同・欠字の類を発見した。復刻の底本には保存状態の良好な日本近代文学館所蔵本を用いた。なお(2)で参照した初版『鶉籠』は山下所蔵本と市販の復刻版の二点である。
 
(1)(近代)(財)日本近代文学館、(早大)早稲田大学中央図書館、(天理)天理大学附属天理図書館、(東大)東京大学総合図書館、(東女)東京女子大学附属図書館、(都立)東京都立大学附属図書館、(日芸)日本大学芸術学部附属江古田図書館、(明文)東京大学法学部附属近代法政史料センター明治新聞雑誌文庫、(立教)立教大学附属図書館
 
(2)異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
 
・八八頁三行
 代つて□満洲の   校合本すべてで欠字。初版本は「、」。
 
・一四〇頁一五行
 見える所□現実世界   校合本すべてで欠字。初版は「を」。