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論文タイトル: 本文批評――文学研究の要件
特集「芥川龍之介の知的空間」『国文学 解釈と鑑賞』(至文堂 平成十五年十一月)
 
 本稿では、前半では外国文学研究を含む広く一般的な観点から、後半では題材を芥川にしぼって述べたい。小論ゆえ詳細については次に示すような関連の拙論を参照されたい。
 本文の考え方一般については、『夏目漱石事典』(學燈社 平成二年)に収録の「本文批判の問題」が包括的である。だいぶ前に執筆したものではあるが、「本文(批評)とは何か」の考え方について基本的・総合的な観点から解説してあり、現時点においても修正の必要はないと思われる。芥川にもよく当てはまるはずである。
 『本文の生態学――漱石・鷗外・芥川』(日本エディタースクール出版部 平成五年)においては、一般的な問題と共にその第四章において「羅生門」の本文の問題点を詳述している。『漱石新聞小説復刻全集』を含む〈漱石初出復刻三部作〉(ゆまに書房 平成十一年~十四年)における各巻の改題や内容見本中の「監修のことば」も、本文一般に広く言及している。『日本近代書誌学協会会報』(特に第三号~第六号、平成十年~十一年)には拙論以外にもさまざまな研究者による有益な論考が収録されている。その他私の本業であるエドマンド・スペンサーの本文研究のうち、新ロングマン版スペンサー『妖精の女王』(Edmund Spenser: The Faerie Queene, Pearson Education, 2001)やそれに対する英米専門誌の書評からは、今英米で何が問題になっているかについて最新の情報が得られる。これらは私のウエッブサイトからも参照できる。http://www008.upp.so-net.ne.jp/hybiblio
 芥川に限ったものとしては、『芥川龍之介 新辞典』(翰林書房 平成十五年)に収録の小文二点、「『芥川龍之介全集』の本文」、「(芥川龍之介の)新聞小説」を参照されたい。
 
 日本の文学研究は旺盛で、欧米の研究動向への関心も高いようである。しかしここにはある問題があって、それはその紹介や受容のしかたが、時に全体を見ない、ある側面だけを突出させたものになりがちだということである。一世を風靡したあの「テクスト論」などその最たるもので、「作者」を口にする者を鼻から馬鹿にするような研究者が多数出現した。文学研究にはまずは本文がありその背後には作者が厳然と存在するという自明の理を忘れたような、こうした極端な理論・批評が横行するのはいったいなにゆえであろうか。
 その原因の一つは、研究者の多くが、海外からの情報のほとんどをもっぱら翻訳やその手の紹介文に依存し、直接原書にあたることが少ないということであろう。しかも紹介されるそうした文献類にはひじょうな偏りがあり、それへの批判やアンティテーゼとなる文献の紹介はまるでなされない。必ずしも広い視野を有さない、情報発信能力に確かな信頼が置けない人たちでも翻訳にあたるので、訳語・用語に至るまでがmisleadingなものとなりがちである。流行に乗った、大向こう受けしそうなものだけが輸入・紹介されて、基本的・根本的な文献の紹介や翻訳はなかなかなされない。その結果こうしたものにしか依存できない人たちは、原書の言説の細部やその背景にまでは考えが及ばず、その結果先入観をからませた大雑把な理解・「誤読」となるのである。いまだに印象深く記憶しているのは、『文学』(岩波書店、第九巻第一号、平成十年冬)に載った座談会「出版文化としての近代文学」における一部の発言者の幼稚極まりない発言である。誤訳が目立つある翻訳物に依拠しながらも、これをさらに誤読して、支離滅裂な発言を繰り返していた(『日本近代書誌学協会会報』第四号の「編集後記」を参照)。この発言者もそれが依拠する翻訳の主も、その著書の背後にあるD・F・マケンジーなど直接読んだことはないであろうし、読む力もなさそうである。人の命に直接関わらない文学研究とはなんと気楽なものか。これが医学の世界なら、医者は間違いなく患者に告訴されて、損害賠償を請求されたであろう。
 
 文学研究は、ある面から大別すると、文芸批評(理論)と本文批評(理論)になる。この両者はいうまでもなく相互依存、interdependentな関係にあり、プロ意識を持った研究者であれば、片方の理解だけで済ますわけにはいかない。英米では、十九世紀末から、紆余曲折を経ながらも、このあたりの調和がうまくとれるようになっている。文芸理論と本文編纂・理論は互いに他方を意識しながら発展するようになっているので、片方にどのような極端な理論が現れようとも、他方によってしかるべくチェックを受ける。日本のように極端な方向へ流れっぱなしになるといった状況は生じにくい。
 日本でもかくありたいが、しかし後者のどちらかといえば基礎的な研究分野を地道に学ぶためには、できれば若い時からの段階を踏んだ勉強が必要で、流行の文献一、二点を読んだだけでにわか文芸理論家を気取るようなことはできない。そのためか、「効率」を重んじる研究者は、どうしても手を抜いてしまいがちになる。私のような立場の人間の啓蒙運動不足もあるかもしれない。
 ただ気になるのは、一部ではあろうが、文芸理論の輸入には熱心でも、こと本文の問題となると、やたらに日本(語)の特殊性を強調して、英語と日本語では事情が違うなどと宣う向きがないわけではない。言語に違いはあっても、本文や編纂の考え方は文芸理論同様に普遍的で相通じる面が多く、世界をリードする先進国から学ぶ姿勢は大切だと思われる。
 さもないと、日本の文学研究は明治の一時期の開国を除いて再び鎖国したのかと錯覚するような一面も出てくる。日本文学関連のカリキュラム表を見ると、「(日本)文献学」という名前の科目を見つけることがある。この「文献学」とは、その昔上田敏がPhilologyに相当するドイツ語から訳したもののようだが、とっくの昔に英米のBibliographyに駆逐されて、今では影も形もない。カリキュラムに英訳を添付する際はどういう英語にしているのであろう。今のPhilologyは通常「英語史」の意味なので誤解を生じる。今日、日本で使われている「文献学」とは、その実態は英米のBibliographyに近いので、今後は科目名は「書誌学」、その英語は Bibliography とするのが望ましい。
 ただしこの「書誌学」の意味も誤解されがちで、英語のBibliographyからの訳語のようだが(長澤規矩也『書誌学序説』参照)、訳された当初から誤解されていて、それがいまだに根深く残っているようである。日本文学研究者からは、「学」をはずした「書誌」という言い方をよく耳にするが、この「書誌」には Bibliographyと「書誌の作成(法・技術)」の両方の意味が合わさっている場合が多い。しかしこのBibliography は、一言で定義すれば 'A Study of Transmission' (情報伝達学)のことである。同じ綴りの A Bibliographyに 'A List of Books'、すなわち「書誌」の意味があるので、誤解を生じがちではある。W・W・グレッグらが十九世紀末にこの「新しい」学問をこう名付けたのも誤解の元であった。両者はひとまずは別物と認識してスタートする必要がある。わかりやすく説明すれば、誰かがあるテーマに関する記事や出版物を新聞や雑誌、あるいはパソコンの検索によって集め一覧表を作成するとしよう。そうした一覧は一種の「書誌」とはいえても、必ずしも Bibliographyとは関係しない。それがBibliographyと関係するのは、その作成過程において各種資料の存在・成立経緯に関わるBibliographicalな考察、すなわち「物理的・実証的考察」が行われ、それをよりどころにした「編纂」が行われた場合である。(『日本近代書誌学協会会報』の特に第六号のパネル報告「書誌について考える」を参照)。
 カタカナ語の氾濫が社会問題になっているが、文学研究領域においてもひどい状況にある。この点は上に述べたような生半可な外国文学理論の輸入・紹介と密接な関係にあるようで、特に目に付くのは「テクスト」の頻出である。テクスト論を論じる際に「テクスト」と書くのはやむを得ないとしても、その同じ文中で、意味のまったく異なる、「物理的存在」たる、本文、文献、等の意味に対しても同じく「テクスト」と書く論文がやたらに目に付く。どちらを指しているのか区別がつかない場合が少なくない。というよりも、しかと両者の区別ができないまま、口当たりの良さだけでなんとなく「テクスト」と書いているような執筆者もいて、学術論文におけるこのあたりの杜撰さはもはや無視できない段階に達している。深刻さの度合いは日本文学関係よりも日本語・英語双方の認識を欠いた英文学関係者の方にさらに大きいようである(『英語青年』のある特集をコメントした拙稿、『英語青年』研究社 平成十四年九月号、'Eigo Club' を参照されたい)。
 海外の研究動向に関心を持つのはけっこうであるが、プロの研究者を自認したいのであれば、中途半端ではなく、地に足のついた研究体勢をとりたい。これほどのエネルギーを注ぎながらも、海外へ発信できるほどの独創性を持った研究法や理論が日本で生まれにくいのは、その原因の一端には、基礎的・抜本的な面の勉強不足があるように思われる。国際的な研究動向を理解するためには、翻訳類だけには依存せず、自ら重要文献を原語で読む語学力も養ってほしいものである。そうすれば、文芸批評と本文批評の関わりの大切さやその実際について、もっと理解できるようになるであろう。
 
 意外に知られていないのは、日本における「全集」の意味が独特で、これに相当する英語はちょっと見つけにくいということである。というのも、日本近代文学の「(個人)全集」では、書簡や日記、断簡零墨の類までを収めることが多く、文学作品だけであれば、『漱石文学全集』(集英社)のようにそれと断る必要も出てくる。英米の「全集」の書名は通常Works of (作家名)となるが、この 'Works' は 'Works of Art' の短縮形であって、そこに収録されるのは本文の校訂を経た「作品」だけである。ときに書簡を加えた「全集」が編纂される場合もあるが、その場合のタイトルはWorks and Letters of (作家名)と特記されることになる。しかし、そもそも書簡や日記、断簡零墨の類は、本文の校訂など必要としない、極力原形のままを提示すべき「資料」(Document)なのであるから、英米では通常これらを出版する場合には写真版に翻刻や解説を添えた別形態の出版物とする。万事理詰めな英米の一流全集に比べて、『漱石全集』(岩波書店の各版)に代表される日本の文学全集はおおらかであるが、研究者ではない一般の読者にとってはこの方が何でも手軽に見られるという点で便利ではある。近代文学の研究者の中には、「個人全集とは、単なるテクストデータではなく、伝記である」、「全集とは、作品よりも作者という大きな物語を読む行為である」といった言い方をする人がいるが、こうした日本流の全集からはなるほどとも思われる。
 (個人)全集という以上は、通常、「作者の意図、すなわち作者がどう書いたか・どう書きたかったか」を中心課題として、すなわち 'the author-centered critical edition' として編纂されるが、日本近代作家の全集ではこれに加えて「編年体」というユニークな編集方針が幅をきかせている。この点でとりわけ特異なのは、新しい『芥川龍之介全集』(岩波書店)で、小説、翻訳、一ページ程度の詩、さらには編集後記の類までがまったく区分されずに発表順に収録・掲載されている。旧菊判全集の「編年体」をさらに一歩押し進めたものとなっている。
 旧菊判全集と同様に『新芥川全集』でも、名誉ある第一巻冒頭を飾っているのは、「バルタザアル」という見慣れない「作品」であるが、どんな内容なのかと見てみると、アナトオル・フランス(一八四四~一九二四)の作品を芥川が訳したもの(英訳からの重訳)であった。ところが驚いたことにその訳文は、初出『新思潮』(大正三・二・十二)発表時の本文ではなく、その十二年も後に芥川が大幅に改稿した『梅・馬・鴬』(新潮社、大正十五・十二・二五)から取られていた。「同じ作品」なら、どれほど時間がたっていても、どれほど本文が違っていても、冒頭に置いていいということなのであろうか。
 「羅生門」においてもことは重大である。三番目の短編集『鼻』(春陽堂、大正七・七・八)に収録された「羅生門」(初出は『帝国文学』、大正四・十一・十)の大幅な改稿は、「偸盗」(『中央公論』、大正六・四・一)を無視しては考えられないと主張する研究者が少なくない。筆者にも事実その通りだと思われる。しかし旧菊判全集と同様、『新芥川全集』においても、この『鼻』版の本文が初出『帝国文学』発表の時点に置かれている。
 英米の編纂に携わる筆者のような立場からは、こうした編集方針はまったく理解できない。しかしなんとかこの「編年体」につじつまを合わせるとすれば、「バルタザアル」であれ「羅生門」であれ、現在の収録位置には初出の本文を置き、『梅・馬・鴬』版や『鼻』版の本文はそれが出版された時点に置くしかないであろう。複数の本文を提示する余裕がなければ、編者の判断によってより重要と思われる本文一点を選びそれをその発表時点に正確に置く。他の本文については注釈を付してその旨しかるべく断る。
 断簡零墨までも収録する「生粋」の個人全集であれば、さらなる問題も生じてくる。「羅生門」についていえば、さまざまな書誌学的証拠から推定して、『鼻』版の本文に生じている異同には、作者による改稿の結果以外に、明らかに造本過程で生じた誤植や改竄の類が多数含まれているのである(詳細については、『本文の生態学』の第四章を参照)。初出の方は、当時の自筆原稿(現存しない)をそれなりに忠実に活字化しているのであるが、現行の全集類はどうしても芥川の「最終的意図」たる『鼻』版を底本にしたいようである。
 是が非でもそうしたいのであれば、そして、「伝記」「作品よりも作者」――つまりは芥川が読者に読んでほしいと願った本文の提示――を重視するのであれば、誤植の多い同版をそのまま全集の本文として定着させる(しかもこれを初出の時点に置く)のではなく、せめても、芥川が同版出版の際に印刷所へ提出した「最終的(意図を反映した)手入れ原稿(現存しない)」の姿を、書誌学的考察を積み重ねて、可能な限り再構成したものにする必要があるのではないか。これは二十世紀の英米で最も影響力を行使した「グレッグ底本理論」の考え方である。作者を重視するこの全集の通常の読者であれば、『鼻』版のような不備の多い本文に満足できるはずはないのである。筆者が『本文の生態学』で試みたグレッグ底本理論適用の「実験的本文」が成功しているかどうかはともかくとして、'the author-centered critical edition' を編纂するという以上は、我国においても抜本的な編纂方法・理論構築の検討が必要とされる。
 『新芥川全集』の「編年体」の実態についてもう少し言及すれば、この全集は、同じ初出でも雑誌とは比較にならないほど多くの人の目に触れた、芥川の代表的新聞小説、「戯作三昧」(『大阪毎日新聞』夕刊、大正六・十・二十~十一・四)、「地獄変」(『大阪毎日新聞』夕刊、大正七・五・一~五・二十二)、「邪宗門」(『大阪毎日新聞』夕刊、大正七・十・二十三~十二・十三)においてすら、作者のその後の手が多少入ったという理由だけで、作品の収録位置は新聞初出の時点のまま、収録の本文を後の単行本『傀儡師』(新潮社、大正八・一・十五)の本文で差し替えている。このあたり、'Reader's Response' を重視するという今日流の批評からもかけ離れたものとなっている。テクスト論関係の論文がこの全集の本文を引用するというのも論外で、そうした批評の立場なら、この全集などその存在意義すら否定しなければならないのである。
 文学研究が真に学問に値し、その域に達するためには、以上に述べたことは必要最低限な要件であろう。最後に、冒頭にあげた『夏目漱石事典』の拙論(第一節 「本文」「本文批判」とは何か)から、本文に対する基本的心構えを説く次の箇所を引用しておきたい。
 
  というわけでひとくちに「本文」といってもさまざまである。一概にどの版がいいと
 も信頼できるともいいきれない。各人各様に違った結論に達することもありえよう。し
 かし以上のような観点を総合すれば、各版には他にない独得な成立経緯があり、独得な
 特質、独得な世界が存在するとはいえるであろう。したがって本文批判で大切なのは、
 信頼できるどれか特定の一版を選ぶというよりも、むしろ各版が有しているこうした特
 質を知り認めることだともいえるのである。各版に作者と他者がどのようにどの程度関
 与し、どこまでが作者の手入れでどこからが他者のものなのか、その実態も把握しない
 でおいて本文の信頼云々もないからである。各人はこうした努力を積み重ねしかるべき
 結論を得るにいたってはじめて「最も信頼できる版」を口にする資格もできるというもの
 である。しかしこの点については筆者は多くを述べない。それは各人が最終的にどの版
 を選ぼうとも本文成立の実態を知りその責任において行うのであれば、もはや何人も口
 を出すことはできないと思うからである。筆者は「本文」「本文批判」とはかような性質の
 ものではないかと考えている。
                         (やました・ひろし 書誌学者)