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書評:「図書新聞」(1999年8月7日)
高木文雄校注『六書校合 定本「坊つちやん」』(朝日書林)
「合作」とは何か――自筆原稿を底本にするということ
本書は、高木氏が一九八一年に私家版で講義用の教材としてつくられた『坊っちゃん 新校と解説』の改訂版である。本文の問題が今ほどには関心が持たれていなかった時代に、高木氏は、復刻出版されていた自筆原稿を底本にして独自の本文を作成、漱石本文の繊細な世界へ読者を導いてくれた。カタカナが読めない無学の清に宛てた坊っちゃんの手紙に中に一箇所だけ見出されるひらがなの「赤しやつ」――他版ではすべて「赤シヤツ」に統一される――に注目したり、「真面目」の「目」の脱字と片づけられてきた「真面」に対しても、「まがお」あるいは「まとも」と読む努力をするなど、漱石本文の細部にまで鋭い目を光らせた高木氏のお仕事は、本文批評の基本にきわめて忠実で、私家版とはいえ漱石研究者間に広く知られていた。「すぐれた校訂者であるためには、よき文学者でもなければならない」ということ、そして本文の校訂とは作品論そのものであるということ、をみごとに示し得た書物だったからである。
今回の改訂版は、『新校と解説』と同様自筆原稿を底本に、これを初出『ホトヽギス』、初版、旧岩波漱石全集二種、集英社漱石文学全集の計五書と校合し、本文の見直しも行ったものであるが、校異の表示は前回よりも正確で見やすくなっている。本文の見直しの中には、「返す、帰す」の書き分けや「精神的誤楽」といった独特な漱石的表現も含まれている。ただ『新校と解説』では、頭注の校異欄に本文決定のプロセスを記した「短文」が添えられていたが、今回の改訂版では巻末のわずかな補注以外省略されている。しかしこれは高木氏が漱石本文をいかに読み決定したかその経緯を示す上で必須だと思われる。幸い高木氏著『漱石作品の内と外』(和泉書院)に「新校と解説 頭注抄」が収録されているので、これを手元に置いて参照していただきた。
高木氏は、解説の中で、「校訂は、既存の異本を比較し、作者が原稿を書きながら豫想していたであらう〈幻の版面〉を追求する。…校訂者は作者の〈幻〉と編輯者の讀みとから定本を作る。新しい異本を殖やすのではない」等とみごとな語り口である。『坊っちやん』は、『ホトヽギス』に掲載された作品であり、自筆とはいえこの原稿にはその「歴史的コード」が内包されている。『虞美人草』以降の新聞小説ほどではないが、『坊っちやん』の場合も校訂にあたっては『ホトヽギス』の版面を無視できず、単純な「平成流」活字化は許されない(詳しくは、ゆまに書房から刊行の『漱石新聞小説復刻全集』の改題を参照)。高木氏はむろんこのあたりをよくご存じで、その意味で本書は自筆原稿を底本にする際の一つのモデルケースになろう。
高木氏は近代文学研究にパソコンを導入した草分けのお一人であるが、旧字体の活字化にはひじょうに苦労されている。定評のあるプロの校正者境田稔信氏に一章の本文を少し見てもらったところ、次のような指摘があった。まず、ある種の字形に不統一があること。(1)「クサカンムリ」に三角と四角がある。四角の方が多いが、菜、蔭、蚕、菓、などは三角。(2)「月」では、明は旧字なのに、期、有、は新字。(3)全、菜、歩、頻、懲、忘、などは新字体のまま。(4)割、邪、芽、観、舊、などでは旧字体が不正確。なお、高木の「高」は、明朝体では「口」なので、楷書体と混同してハシゴにする必要はない。次に、カタカナに誤認がある。いずれも初版『鶉籠』の活字であるが、11頁注8C「へッつい」のツ、28頁注2C「プラツトフォーム」のオは小さく見えるが並字(なみじ)である。
最後に自筆原稿を底本にする場合の基本的な問題を一つ指摘しておきたい。『坊っちやん』原稿に、漱石からの方言の添削を依頼された虚子の書き込みが存在するというのは以前からの常識であるが、ではその書き込みは具体的にどれとどれなのか。「漱石が書いたままの形」を読者に提供すると謳う新漱石全集が、細かい調査もしないで虚子の筆跡を一体とみなすなどどいうのはご都合主義である。筆跡の鑑定がときにどれほど困難でも、校訂者はその能力と責任において異筆を区別する必要がある。これは他版との校合におとらず大事なことで、それが無理なら『ホトヽギス』を底本にすべきである。虚子の書き込みが特定されれば、それらが漱石本文と spirit of collaboration を共有するかどうかが考察されることになる。
渡辺絵里子の研究(筑波大学卒業論文)によると、虚子の書き込みは細かく数えて八十カ所ほどあり、その中には漱石が依頼した方言の添削を越えた越権行為的な変更も認められる。しかし原稿は漱石が見る間もなく印刷に付されたと思われる。この号の『ホトヽギス』が出た後、漱石は虚子に、「中央公論抔は秀英舎へつめ切りで校正して居ます。君はそんなに勉強はしないのでせう…」云々と誤植の多さに不満を述べているが、この不満と虚子の添削に関係がなかったかどうか。虚子の書き入れのすべてが漱石を納得させるものであったかどうか。「合作とは何か」の議論も出てきそうである。高木氏はこのあたりには言及されていない。「書誌学者」