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寺田寅彦に「栗(くり)一粒秋三界を蔵しけり」という俳句がある。『朝日新聞』一九八九年十月十三日の「天声人語」はこの俳句を用いて次のような文を載せた。季節を得たさわやかなな名文であった。
 
「栗(くり)一粒秋三界を蔵しけり」(寺田寅彦)▼近ごろ栽培や保存の仕方が進み、いろいろな食べ物から季節感が失われた。クリだけは孤塁を守っている。クリご飯を春に炊く家は少ないだろう。低温で貯蔵でき、菓子の材料としては一年中使われてもいる。だが、人々はクリに季節を感じ、それを味わおうとする。その頑固さや善し。クリすなわち秋、である。▼蒸す。干す。焼く。煮る。どんなふうにしてもうまい。その素朴な味には、先祖の生活への郷愁のようなものを誘う何かがある。ご飯にまぜるもよい。きんとん、ようかん、かのこなどの、こうばしい甘さ。カチグリは干して皮をむき、渋皮もとる。旅の携行食であると同時に、武家の出陣や勝利の祝いにも使われた。▼サルカニ合戦で、クリはウスやハチとカニの敵討ちに加勢した。人々の生活になじみの深い存在だったことが想像される。約四千年前の柱が見つかった富山県小矢部市の桜町遺跡では昨年、何千個ものクリの実と、建築用に加工したクリの木材多数が出土した。▼縄文人は、クリの森で食糧と木材資源を確保していた、と考古学者。そんな昔から、あく抜きの手間の要らぬクリは人々を養ってきた。当時のものは今もある小粒のシバグリだったらしい。のちに、大粒で味のよい丹波栗が出現。根っから土着、国産の食品だ▼中国や欧州のクリは皮離れがよい。渋皮のむきにくさは、なぜか日本のクリだけにある性質、と農水省果樹試験場長の梅谷献二さん。いま中国グリの血を導入して「むきやすい日本グリ」への改造を試みているという。数日前、ウィーンの街で、むきやすい縦長の焼きグリを買い、食べながら、昔のことを思い出した▼親と離れて疎開していた戦時中のこと。森を歩いてクリを四十個ほど集め、干した。カチグリにして親に送る気でいた。無念なり。当方、小学生。飢えていた。毎日ひとつずつ減った。親に届ける日、数個しか残っていなかった。
 
 ところが、それから五日後、十月十八日の「天声人語」には次のような文が載った。
 
「世の中は澄むと濁るの違ひにてはけに毛がありはげに毛がなし」。たしかに小さな点二つで意味がまったく違ってしまう。あだやおろそかにはできぬ。「ふぐにどくありふくにとくあり」という下の句もあった。▼先日、クリの話を書き、寺田寅彦の句を引用した。「栗(くり)一粒秋三界を蔵しけり」。クリは秋そのものだ、という当方の気持ちにぴったりである。あれだけの大きさのものを「粒」と呼ぶだろうか、との疑念が一瞬頭をかすめた。だが、ひろびろとした秋の大自然の中に置いて見ればクリも「一粒」かと考えた。▼紙面に出たら、仙台の読者から「あれは栗ではなく粟(あわ)です」との指摘があった。あらためて歳時記を繰る。引いた時と同じように、角川書店、講談社、文芸春秋などの歳時記を再点検した。いずれも秋の季語「栗」の項にこの句が出ている。別の出版社の歳時記も見た。「栗」で、わざわざ秀句だと解説したものもある。▼念のため、この句が初めて世に出た時の俳誌を調べることにした。東京の高田馬場に俳人松岡六花女さんを訪ね『渋柿(しぶがき)』の昭和六年十一月号を見せてもらう。寅彦は、主宰者、松根東洋城の親友だ。その関係で巻頭随筆を書き、末尾にこの句を記している。あっと驚いた。小さな点が二つ。まぎれもなく「粟」である。▼どういうことだろう。仙台の読者、大森一彦さんは東北工大付属図書館の事務長。寺田寅彦のことを実によく調べている。戦前、前後に編まれた全集をつぶさに見ると、昭和十二年に、岩波書店が随筆と分けて俳句だけを集め、年代順、季題別に編集している。この時「栗」が出現する。集める作業には大勢の人が参加したらしい。そこで点が二つ見落とされたものか。それにしても大森さんの研究に脱帽した。俳句の世界からは何の指摘もない。「栗」の秀句として定着しているためか。やはり「粟」でこその「一粒」だった。泉下の寅彦先生、これを随筆に書いているかも知れぬ。
 
 おもわず吹き出してしまう傑作な内容だが、しかし寅彦のこの俳句が、「粟(あわ)一粒秋三界を蔵しけり」のままであったらどうであろうか。現今の我々の多くにとって、「粟(あわ)」ではぴんと来ないし、少なくとも上の天声人語の名文は生まれなかった。「栗(くり)」と誤植されてこその名句ということになる。岩波書店編集者の貢献はまことに大きい。