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和田は、第3巻『虞美人艸』については、すべて赤インキで書いている。7カ所からなる異同表一覧を示して、小宮に採決を仰ぐようにしたあと、以下のような

『道草』の假名遣ひに就いて。と題する、根本的な問いを発している。

道草原稿が來れば起らない問題ですが、現在原稿の無い儘に初版によつて校正を進めつゝ或る塲合に当り、初版と全集との假名遣ひの相違を如何取計ひませうか。(送り假名や漢字等を漱石文法によつて直されて或る部分を初版通り(原稿に近い)に正すのは勿論ですが。――――)

相違の箇所に於いて原稿にルビの有無が分かりませんから起こる問題ですが、原稿にルビが振つて或るかないか判明しないから 初版通りにするか、又は原稿にルビが振つて或るかないか判明しないから、夛くの塲合初版より文法的に正しい全集通りにするか、(全集に間違ひの或る塲合は例外としてそれを訂正するとして) 以上二通りの何れを採ったらいゝでせうか、右御伺ひ致します。

例○      (初版)         (全集)
                窮(きゆう)       窮(きう)
          入る(はいる)     入る(はひる)
これは「はひる」がいゝと思ひますが全集は「はいる」に全巻を通じて統一されてゐます。尚先生にも「心」等に夛く「はいる」とルビが振って或ります。

         忠(ち・う)       忠(ちゆう)

尚ほ全集に 「彼を深い眠りの境(さかひ)に誘(いざな)った」とあるに、初版には
「…境(きやう)に誘(さそ)った」 (三四八頁、十一行)と或り
「… 帽子を持つて夫を玄関迄見送つて…」と全集には或れど 三四九頁、六行 には「帽子を持つて」なる文句なし。

右の如き相違は果して 如何にして起りしや、の疑問がおこります。全集第一回の校正の際は何にもつて校正されしや。其等の点がはつきりしませんが、先生の御記憶にございましたら御教へ願ひます。

小宮:

「きやう」に「さそ」つたの方がよささうに思はれますが。是も原稿を見てからの事にしたいと思ひます。
もつとも新聞がどうなつてゐるか。新聞にはルビつきの字をつかうから時々とんでもない事になる。新聞を一度見て下さると可いとも思ひます。
「帽子を持つて」も一度新聞を見て下さい。新聞にあるとすれば、先生が切抜でなほした(削りとつた)と見た方が可りさうに思はれます。
速達の校正は原稿を参考につかつてやつたのですが、漱石文法で統一するといふ事と校正で色色な讀み方に関する趣等とでそう几帳面に原稿を注意してゐない事とも思はれます。もつとも「帽子を持つて」は原稿にあつたので、さうして初版になかつたので、私にはあつた方がいいと思つて入れたのではないかと想像されます。「帽子を持つて」はリアリスティックではありますが一方から見とすこしアムビギユアスな處もあります。


再び和田から『虞美人艸』について。異同箇所を、前のように、原稿、初版、全集、(それに小宮の採決の欄)、を抜き出して小宮へ質問する。


虞美人艸
              原稿          初版         全集
三一 一及二 御同(な)い年(どし)  同(おな)い年(どし)    初に同じ
(注: これに対して、小宮は、 御(ルビを振る箇所へ原、と書き込んでいる)

挨及、 羅馬、 沙翁、 安図尼、 ・錐塔(ピラミツド)、 等のルビは先生はすべて平仮名を振つて居られます。それ故振り仮名なき 羅馬 も平仮名に統一いたしました。よろしきや。
然らば 振り假名なき 露西亜 停車塲 等は如何に致すべきや。

三六 一〇  不要意(ルビなし)    不用意(ふようい)

不用意(ふようい)が本當と思ひます。原○に從ひ 不要意 とした時のルビは如何にいたすべきや

小宮: 用(よう)

三九 七   容齊(ルビナシ)     容齋(ようさい)

此例の如き、全集 初版に正してある固有名詞は、全集 初版によることにしてよいと思ひますが 初版、全集とも保存された固有名詞の漢字がありました塲合には如何いたしませうか。

小宮: 是は既に新聞に出たときに片仮名になつてゐますから片仮名でよからうと思ひます。すべて片仮名で統一する事にするのです。略字と見られない塲合のみ 原 を使つた方が可いと思ひます。

渡辺華山 などは 侭に 崋山 を 華山 と書きますから 華山 のまゝにいたしますか。

小宮: 華

四三 一四   八反     八端(はつたん)   〔八反(はつたん)デヨロシキヤ 原 の必要ナキヤ〕

小宮: 八反(反に 原)

四七 八   ゴージアン、ノツト   ゴージアン、ノツト   ゴージアン・ノツト

小宮:   ・   で統一してありはしませんか是迄

一五 一  原○ あとは静(しづか)である  静(しず)かなる……   静(しづ)かなるうちに、

……静か(しづか)……  静(しづ)か……  静(しづ)か… トスベキヤ(和田)

小宮: 是は「静」であるとして置いて 静かなる の時は 「静か」なる とした方が可いと思ひます。

(注: 小宮は、続けて、別件について書く。)

『虞美人艸』の先生が手を入れた切抜をお届けします。どうか是も参照して下さい。夫から石原ハ昨日とう(とうの繰り返し記号)たづねて來なかつた。昨日隣のうちの人に名刺をたのんで置いたから或は今晩でないと石原の手に入らなかつたかとも想像致します。
今日あたり來るかも知れないといえ彼に一寸云つて置いて下さい。
            十二月六日                  小宮豊隆
和田様


『虞美人艸』に関する和田から小宮への質問は、次回、連載10回へ続く。