配本開始以降の長い旅路 連載第1回 (10.10.30 - 11.3.3.)
連載第1回は、2冊目の 10.10.30. からこの冊の終わり、11.3.3. まで、約4ヶ月間を記録することになる。配本的には、第4回配本、第一巻『吾輩は猫である』を終えたばかり、次回の第5回配本、第十三巻『評論・雜篇』を着々と進めている段階である。但し、編集の現場は内憂外患で、奥附通りの日に配本されることは少なかった。
店員たちにとって最大の悲しみは、寺田寅彦の死(10.12.31)であった。當時としてもまだ若い57歳である。小宮 vs 森田、その他人間関係の調整役として、人格者として、寺田は店員たちの信頼を一心に集めていた。思い病であることは知っていたが、よりによって大晦日の日の死である。日記には、長田の筆跡で
10.12.31. ―――― 11.1.5.
〈朱で〉年末 年始 の休暇
11.1.6.
仕事始め。
となっているが、長田ら主な店員に休んでいる間などなかったはずである。5月から単身、ヨーロッパとアメリカへ、豪華な一人旅に出ていた岩波茂雄は、「12月13日歸朝」し、かろうじて寺田の死に間に合った。さっそく岩波の別部門で『寺田寅彦全集』が企画され、月報第五號には、「編纂について謹告」が出ている。
国内的に最大の出来事は、11.2.26. のいわゆる二・二六事件であったろう。この事件は、日記の同日欄に「本日未明 大事件 勃発」と記載があり、月報五號の「事務室から」にもこの事件への言及がある。
10.10.30.
○ 月報第二號 森田氏原稿 精興社渡し。お房さんの冩眞
も渡す
○ 鶴本氏に返信出す。要旨左の如し。
一 新資料の俳句書簡等、漱石自身のものは冩眞
をとる事。
一 新資料でも 印刷に付されてゐるものは書写の事。
一 所謂断簡零墨は 鶴本氏の考により撮影 書写
よろしく取り計らって頂く事。
一 資料蒐集の爲に要する費用(撮影費、筆
耕費、旅費)は当方負担の事。
10.10.31.
○ 安房勝山の西尾叟一氏(注: 10.10.23. 11.1.15. 参照) に返事を出す。
新資料と思はれる端書御持のよし
提供願ひたし。
○ 野間眞網氏 へも 明治三十八年十二月六日附
端書借用願ひの手紙を書く。
○ 鶴本氏から電話があり、新資料収集費は、預って行くか、
向ふから請求した方がいゝだらうか。と 結局預つて行つた方が
いゝといはれるので、三十圓持つて行つて頂く事にして
店へ来て頂く。
一金 参拾圓渡し。
内容見本の月報を挿入したものをもつて行かれる。
〈注: 鶴本氏の受取署名と印のある参拾圓預け文書が添付。〉
○ スチールケースが來た。
先生〈注: 岩波茂雄のこと〉の簞笥の中に入れてあつた借用品を皆持つて
來て入れる。下の金庫のものを一部分持つて來る。いづれ全
移す事。
○ 小宮先生に手紙を出す。
「心」の校正を小宮先生に送る。
10.11.2.
○ 松岡氏来店。
○ 鶴本氏来店。松岡氏と逢はれる。
みゅーぜあむ雑誌 英語青年 虚子あて 新資料を持参さる
○ 松岡氏より来信
森成氏〈注: 森成麟藏 新資料貸与者〉葉書、鶴本氏書簡を同封あり
10.11.4. 〈月曜。空白〉
10.11.5.
○ 第二回配本の口繪三枚半七渡し。 〈注:田中半七製版所 10.10.14. 参照〉
煙波縹緲、鎧をきた漱石氏、少年時代の漱石氏(他三人と共に撮影)
〈注: 月報第二號の198頁に口繪の説明がくわしくある。〉
○ 煙波縹緲を夏目家から 長田さんが借りて來て下さる。
○ 千葉の西尾叟一氏から俳句の書いてある繪葉書新資料
來る。 原稿挿入スミ
10.11.6.
○ 「豐頬細腰の人も(亦)行く」の出てゐる哲學雑誌を
借りるため、本堂さんの紹介で研究室の
中川清氏を訪る。
普及版原報〈注:月報〉第五號に 藤代氏が書いてゐたのに
哲學會雑誌が哲學雑誌に改名してからとあつたが
哲學會雑誌の時代の最後の巻にある。
催眠術師といふ翻訳文である。
伊藤先生に相談したら〈借りを消して貸し〉出しが出来ないといけないから、
明日貸してあげると中川さんがいはれるので、
「ホイツトマンの詩について」の引合せだけしてかへる。
○ 野間眞網氏から 新資料の葉書二通來る。
原稿編入スミ
○ 古川氏来店、坑夫、虞美人草 の索引カード
を持参され受け取る。
10.11.7.
○ 長田さんが松岡氏へ先達の御礼に行つて下さる。
ついでに西川一草亭氏、お多佳さんの住所も
きいて頂く。
○ 中川氏に哲學雑誌を借りに行く筈だつたのを
思想の文献引合はせすつかり失念。四時すぎに
電話をかけたがおかへりになつた。(堤の署名)
10.11.9.
○ 坂水四郎氏を訪問。
「心」校正について 東朝編輯部長 佐藤眞一氏
に宛てた書簡二通を借りる。新資料。
□二通共に原稿編入スミ□
10.11.10.
○ ・文章世界 二、十二
・リーフレツト 明治文學 二冊
(西聲會資料)
・美ゆー・阿無
・圜藝雑誌
(上4点)小宮先生仙台へお持ちかへり
10.11.11. 〈月曜日。空白〉
10.11.12.
○ 第三刷五千部に決定し精興社、田中、中田、其々に注文す
〈注: なお、以下、田中と中田がひんぱんにまぎらわしく出るが、田中は、田中半七製作所のこと、 中田は、全集の外箱(函)を請け合っている製函会社である。 10.11.19 参照〉
奥付 發行年月日を左の通りにする。
昭和十年十月二十日印刷
昭和十年十月二十五日發行
十六日刷了のはず。
○ 中川様に哲學雜誌第七巻、大八巻、哲學会雜誌合本第五、六
冊 の 三冊を御返しする。
○ 佐藤眞一氏宛の書簡撮影を大塚巧藝社に依頼する。
10.11.13.
○ 東朝、大朝、両新聞社へ 第一回配本送本の挨拶状を出ス(K)
○ 野間眞網氏より新資料通知アリ。その葉書を小宮先生に送る。
市原義彦氏が先生の King Lear の講義をカツセル版の text へ注釋を
書きしものを所持す
○ 村上莵喜氏 (神戸市 以下略) 新資料
漱石先生より渋川柳次郎(玄耳)氏宛の書簡 原稿編入スミ
○ 浦瀬白兩氏 (注:七太郎 福岡市 以下略)
書簡一(大正3.8.25) 葉書一(明治44.6.3)
〈注: 10.1028 参照〉
○ 地崎忠雄氏へ手紙出す。京都の挨拶、
川田順氏の訂正。森本氏旧著 藝術上の理想
掲載 書簡序文についての問合せ。
○ 西村教道氏(西宮市 以下略)より通知の俳句(明月や拙者も無事で
此の通り)は前全集に編入されて居る。
○ 新海竹藏氏(滝野川区 以下略)〈注: 新海竹太郎宛書簡新資料提供者〉
返事を出す(いづれ参上拝見させていたゞきたし)
○ 坂水氏より借用の新資料 書簡 撮影済の上、坂水氏に返済
10.11.14.
○ ・森先生より 坂元氏(依頼して下さつた由、月報二部送る)
○ 大朝掲載の未發表書簡 三通 及坂水氏所有の書簡二通冩し済 □編入スミ□
原稿編入スミ 大石(泰蔵)氏宛 大正五年七月十八日
同 宛 同 十九日
湯浅兼村氏宛 明治三十九年十二月三十日
新海竹藏氏より手紙にて通知ありし新海竹太郎宛のものも冩し済
10.11.15.
○ 松岡氏来店
○ タイプ打ち済
漱石先生より塚本虚明氏宛の葉書
○ 京都からふね屋(京都市 以下略)より
京都遺墨展の冩眞十三枚到着。 〈注:10.11.26. 27. 参照〉
乾板及び請求書を頼む
○ 思想十一月號増刷につき訂正原稿を渡す。
○ 第二回部数 二萬部 申請。 二三、八〇〇 長田氏
○ 半七より(二回)冩眞出來につき ネームを入れる事を頼む。
漱石先生幼少の冩眞二枚、道草 原稿、ベランダの先生 二種
先生の繪 「煙波縹緲」色刷出來、軸戻る
原稿冩眞 全済
10.11.16.
○ 第二回外箱原稿を中田に渡す。
○ 東京朝日大正三年四月十二日「心」予告を冩す。
○ 坂元雪鳥氏より 月報原稿來る。 能楽はなき由。
○ 一回配本 三冊一回の儉印三千部をとる
○ 木下国一氏(大阪)手紙――先生の葉書二葉あり。
二十日頃上京来店の由
○ 二回印刷 二三、〇〇〇部ニ決定 〈注:二、三、〇〇〇 と表記〉
○ 坂元氏の原稿を小宮先生に送る。
坂元氏に禮状を出す
○ 二回配本の口繪色刷 校了。
10.11.18.
○ 小宮先生より二回解説到着。坂元氏の原稿戻る。印刷所渡し。
○ 小宮先生に礼電十時(カイセツタダイマハイジユカンシヤシマス)
○ 安斉四郎氏に「社會と自分」の返事済
○ 池田洗氏(九段 以下略)訪問。・・(四四・一一)冩す。
○ 井上茂氏 (福岡市 以下略)へ礼状〈注:新資料の書簡所有者浦瀬白雨氏の紹介に 対して〉
○ 遠藤雄士氏(岡山県 以下略)
「坊つちやんの眞相」大阪大和版切抜帖。 依頼ス
○ 西川一草亭氏へ手紙
礼状、冩眞・報 及その請求書をこちらへ送るやうに云つ
てやつた旨。原稿をお待ちしてゐること。
○ 山森文司氏(兵庫県 以下略)へ新資料依頼〈注: 「名簿」に野村きみ氏書簡帖から の新資料らしきものゝ紹介者、とある〉
杉田正臣氏(宮崎県 以下略)へ新資料依頼〈注: 「名簿」に杉田作郎氏宛書簡竝に俳句新資料提供者、とある〉
10.11.19.
○ 二回扉 校了
○ 浦瀬氏より返事。(手紙は屏風に貼つてある 葉書はお貸ししてもよい)
○ 茶谷半次郎氏(大阪市 以下略)
志賀直哉氏宛書翰 (西島氏より返事)〈注:10.11.25. 27. 参照 〉
○ 二回総頁決定
七五四頁
印刷部数 二三、〇〇〇部。 大森 一、三〇〇〇
寺島 一、〇〇〇〇
10.11.20.
○ 松岡氏来店
○ 第三回 小品 原稿印刷所渡し
10.11.21.
○ 小宮先生 来店
○ 二回、心 道草 の扉 全版
○ 小宮先生にお貸しした書籍四部 戻り
○ 奥村義郎、(板橋区 以下略)〈注: 「日記」に以下の書簡所有者とある〉
長田幹彦宛書簡引合せたし
10.11.22.
○ 小宮先生来店
○ 松井氏 今日より図書館にツメ。――小品(文鳥 新聞に引合せ)
〈注: この松井氏は、店員の松井義秀〉
○ 二回扉銅板再製出來 印刷所渡し
○ 大塚巧藝社へ冩眞を頼む(二回月報挿絵)
「心」序文修正刷、「心」「道草」ノ初版單行本
ノ表紙、「心」ノ奥付、「心」(新聞)ノカツト、
「道草」新聞ノカツト、雜誌「文章世界」ノ口繪
10.11.23.
● 篠本氏書翰(月報原稿)冩し、仙台へ送ル
〈注: 塚本二郎氏 月報第二號 「腕白時代の漱石君」の原稿〉
○ 石原宗助氏 一回分、こちらより送本済、入金次第小賣
ヨリ戻る筈
10.11.24.
○ 長田氏、鎌倉氏訪問
用済ノモノ二十一冊返本
〈注: 返本21冊の詳細は省略〉
なお新ニ資料借用(借用品控ニ)
10.11.25.
○ 茶谷氏より新資料(志賀直哉宛手紙) 〈10.11.19. 参照〉
□三・四・二九付。原稿編入スミ□
◎ 林達史氏ニ一回寄贈(ブツクレヴュー用。)
○ 茶谷半次郎へ挨拶状は西島さんより出して下さること。
○ 大塚より月報挿絵冩眞出來
○ 谷山に外箱背文字ヲホリにやる。
○ 中田ヘ外箱背文字校了でカエス
10.11.26.
○ 長田さん 白木屋へ、
○ からふねやから 原版送り來る。〈注: 10.11.15 27 参照〉
○ 茶谷氏所有の志賀直哉宛手紙 冩眞とる、
○ 木下国一氏来店
新資料 夏目氏より木下氏への葉書二通 冩し済、
□原稿編入スミ□
○ 二回製本部数 二二、〇〇〇 決定
10.11.27.
○ 奥村氏へ月報二部送り、
○ 二回口繪位置 決定
○ 月報原稿(腕白時代の漱石)――印刷所渡し
○ からふねやへ礼状 〈注: 10.11.15. 26. 参照〉
○ 志賀氏宛書翰冩眞出來、タイプ打つ 〈注: 10.11.19. 参照〉
10.11.28.
〈注:欄外上に、朱で、「親王殿下御誕生アラセラル」とある。常陸宮正仁親王のこと。〉
○ 大塚巧藝社ヨリ 心 切抜 戻ル
○ 渡辺良法(富山市 以下略)新資料
書翰二通の冩しを送附 (冩眞依頼)
□三・一二・一六 三・一二・二二 原稿編入スミ□
○ 浦瀬白兩氏に新資料 送附 依頼狀出す 〈注: 10.11.13. 参照〉
○ 安倍氏ニ 三回原稿「ケーベル先生」校正 飛行便ニテ送ル
10.11.29.
○ 松岡氏へ三回口繪冩眞の原稿をかりに行く ナシ
○ 一戸正三氏(青森 以下略) 〈注:名前と住所以外記述なし〉
○ 谷尾長氏(鳥取県 以下略)
新資料 借用依頼
新資料 谷尾氏宛書翰冩し 返送
□四〇・一〇・二八 原稿編入スミ□
○ 斎藤阿具氏に手紙(新資料 いづれ撮影に伺ひたし)
10.11.30.
○ 鶴本氏より返事。
○ 月報原稿 “「心」の時代” 〈注: 松岡譲の文〉 精興社渡し
○ 申込総数 二万〇五百九十九 数、 〈注:豫約者のこと〉
○ からふね屋より請求書
三十二円八十銭(十三種 三二、五〇 送料 〇、三〇)
10.12.2.
○ 斎藤阿具氏より手紙
○ 小宮先生へ手紙
三回解説の御願い、七日 〈注:〆切日のこと。 10.12.4. 参照〉
西園寺係の書簡並びに諸文士のはがき――冩眞 及 冩し、
雨声會の一資料 冩し 〈注:うせいかい 1907年(明治40年)、当時の総理大臣西園寺公望が漱石を含む文学者を神田駿河台の私邸に招き歓談した。〉
○ からふね屋支拂 会計へ依頼
○ 古川久氏来店
「猫」索引續き引取る 第一回配本差し上げる。
○ 森田氏より 三回言行録 來る
10.12.3.
○ 三回月報挿絵ヲ大塚巧藝社
○ 鶴本氏来店
鶴本氏の原稿返却 思想十一月號寄贈
○ 鎌倉氏来店
○ 森田氏より 三回言行録(續キ)來る
10.12.4.
○ 長田氏 夏目家へ冩眞をかりに
○ 一回 第三冊 第二回儉 五〇〇部
○ 小品 大朝、東朝 の年表ヲ作ル、
○ 外箱 刷見本 を 中田 より
○ 小宮先生より手紙 解説七日ニ書けない
○ 阿倍先生より 「ケーベル先生」 校正戻ル
○ 〈注: 以下はすべて朱で削除。 翌日に書き直しあり〉
小宮先生ニ
東朝著作年表、小品著作年表、第三回言行録冩し
送る。
○ 長田氏 精興社へ、 月報校了
○ 谷尾長氏(鳥取県 以下略)書簡送附
礼状出す 編入スミ
○ 池田一幸氏ニ 「三愚集」の序文のこと 返事を出す
○ 森田氏一人来店 三回言行録原稿料 渡し
10.12.5.
○ 小宮先生ニ
東朝著作年表、「小品」著作年表、第三回言行録冩し
新愚痴、 北海タイムスの切抜 ―― 送る
○ 大塚巧藝社ヨリ 三回月報圖版冩眞の原稿戻り
○ 仝 三回口繪の冩眞をとりに
○ 飯山氏 鶴本氏宅へ、
● 小宮先生ニ
第四回言行録 冩しと「小品年表」を送ル
○ 阿倍先生に 「ケーベル先生」――校正――御礼状
○ 新刊通報を 卸 ト 小賣へ
○ 大塚よりのオクリ
手札原版八枚(内二枚、心カツト、十一月二十八日ニ來てゐるから送りを六枚ニ訂正)
「切抜帖より」表紙 「四篇」表紙 「滿韓ところどころ」一頁、
「四篇」一頁 「夢十夜」二一頁 「永日小品」五九頁
○ 松井さん 新聞 引合済。
10.12.6.
○ 飯山さん、 鎌倉氏へ使ひに。
○ 浦瀬白兩氏ニ礼状及び葉書實物返し 〈注: 10.11.13. 参照〉
○ 谷尾長氏
書簡實物返し、漱石全集寄贈
○ 夏目家へ第一回二部と 本家より借用ノ冩眞返す
○ 大塚巧藝社 冩眞 撮影
第三回月報圖版(猫表紙カバー)
○ 大阪市今橋二丁目加賀商店 上住卯一氏ニ冩眞
代問い合せ(小宮先生のお話より)
10.12.7.
○ 佐野勤(鹿児島市 以下略)
索引、解説、月報代金として送つてきた一円(小為替)返ス
○ 第一回 預品の整理
○ 小宮先生に手紙廻送、
三十二部 定期寄贈 夏目家 8
編者 10
推薦者 11
広告部 3
四部 定期店用
以上は以前に整理済
十部預り分 内譯
狩野、 鎌倉、 精興社 古川、矢本 (索引用)
印刷広告社(一回だけ) 各一部
合計 八部
差し引き 二部 ―― 卸へ返品
○ 長田氏 夏目家 訪問
一回 天金分 四〇部 儉印、 「子規遺墨」拝借する
○ 鶴本氏ニ 「清和先生追憶記」返済(飯山さん 訪問)
○ 大橋図書館大森氏の好意により 東朝大正元年
迄ノ年表引合せをする
(注: 10.12.8. は日曜日で記載なし)
10.12.9.
○ 第二回 特製本 入品
届ケ先…… 〈注: ( )内は届けた店員の名〉
夏目家(長田) 鎌倉氏(飯山) 野上氏(飯山) 鈴木氏(長田)
松岡氏(近藤) 松根氏(近藤) 森田氏(近藤)
佐藤〈佐藤春夫〉氏 精興社
○ 月報発送
奥村氏(二回 二部) 瀧田氏(一、二回 各一部)
小林氏(一、二回 各一部)
○ 佐藤春夫氏 第一回分返品
○ 夏目家ヨリ借用の冩眞に番号をつける
〈注: 次は赤の◎で、欄外上には、朱で、「コノ分以外ノ新資料提供者ヲ三回ノ月報ニノセル事」と書かれているが、提供者等の名前は、月報第二號の最終16頁にある。〉
◎ 村上兎嘉氏(神戸市 以下略)
漱石先生書簡は額面ニ仕立アルニヨリ冩シヲ送ラル。
コレヲ信用シテ冩シトレテ、収録スルコト ―― 礼状
○ 小宮先生より返事 ―― 三回解説ヲ十六日マデニ送ル
○ 二回送本 ―― 矢本、古川、東朝、大朝、小宮
○ 圭室氏ニ新資料 ―― 俳句 依頼。
〈注: 圭室諦成氏 10.12.23. 参照〉
10.12.10.
朱◎ 村上富美子(兵庫県 以下略)
名士実話――青年勉強中 (新資料ニ非ズ)、
全集には 中學生時代トシテ、別冊( )ニノツテイル
○ 和辻先生へ第二回届ケ、 第二回並製戻り
○ 長田さん 寺田先生 訪問 第二回届け
○ 福田安宏氏(小石川区 以下略)
新資料所在通知、(前田夕暮氏 杉並区 以下略
漱石先生より前田氏に宛てた手紙)――禮状出ス
□三九・一〇・二四 原稿編入スミ□
〈朱〉当人からの依頼により新資料紹介者として月報記載を
せぬ事。(十二月二十三日)
10.12.11.
○ 鎌倉氏ニ返事 (飯山さん届け)
猫 四冊、 硝子戸の中 四冊、
○ 長田氏 夏目家 訪問
全集届け
煙波縹緲、 子規遺墨 返品 〈注: 1.11.5. 参照〉
○ 小宮先生ニ手紙
子規の東菊の冩眞 送る。
10.12.12.
○ 岡倉氏ニ 一、二回送り
眞鍋氏、寺田氏、市川氏、内田氏、
久保田氏、佐藤氏 ―― トドケ
田島氏分 ―― 布川さんに渡し済
本多氏分 ―― 長谷川さんに渡し済
池田氏分 ―― 廣告部へ渡し済
○ 午前中 大橋図書館にて年表引合せ
○ 古川氏 第二巻の索引持参
10.12.13.
〈注: 日記の上に、「岩波先生 御歸朝」とある。詳細は、拙論、昭和10年の決定版と編集日記(配本開始まで)連載第2回 十年八月一日 の項を参照〉
○ 小宮先生より来信。
10.12.14.
○ 小宮先生に葉書を出す。
篠本氏の 「五高時代の夏目君」を月報第三號に
掲載につき 小宮先生名をどこに出してよいか
御教示を伺ふ旨を書いて出す。
○ 田中製版の藤原氏来店。口繪校正を火曜
夕方 出すよし
〈注: 田中製版は、正確には、田中半七製作所。この日記中全体的に、田中、半七、等まぎらわしく使われている。 10.11.5 参照〉
10.12.15.(日)〈注:筆跡は長田。日曜出勤といっても要件は以下の如し。10.12.19. 参照〉
○ 玄誠堂に 漱石の書簡を見に行く。
一、三四郎の題名及び豫告の原稿を書いたもの一、
ペン書 山房用箋一枚。 原稿作製スミ 年次不詳
一、虞美人艸に関する端書(官製) 墨書
四〇・七・一九・
原稿編入スミ
他に 二葉亭四迷 の書簡 墨書 二通
合せて 四通 を三十五円のよし。
10.12.16.
○ 矢本氏より 文學論の索引カード 郵送して來る。
礼状出す。
○ 森田氏に 一読者より來た言行録に関する希望の書簡を
送る。
○ 同氏に先般申越の 月報 各 十五部づゝ送る。
○ 山田孝雄氏より 第一回配本分 郵送して來る
着報出した。
○ 小宮先生から来信
「尾頭(をがしら)」その他について。 それについて照会の手紙を
長田さん認め投函。
10.12.17.
○ 索引カードの出來てゐる分を全部 松岡氏に届ける
用意をする
猫
短篇小説上
虞美人草
坑夫
こゝろ
道草
文學論
○ 五高時代の夏目君 の發表形式について小宮先生から
返事あり。
今回は篠本二郎氏の名にて出せとの事。
そのやうにして印刷所に返しすみ。
○ 村上富美子氏より返信あり 礼状すみ 〈注: 10.12.10.〉
書名 名士実話 青年勉強
發行所 東京市神田区亀住町 六 安倍書店
大正三年十二月二十日 發行
○ 夏目家より 第一回配本並製本 七部 長田
さん 持帰る。
○ 鎌倉氏より電話あり。〈注: 以下の●は鎌倉幸光氏の電話の内容〉
● 高田新聞十二月十一二日に 森成麟藏氏の談話(多分ラジオ放送)
中に四五年六月中旬 長野縣で英雄崇拝論とかを
講演したとあつたよし。森成氏に照会してくれと申されたが
一應高田新聞を見る爲に、宮沢さん〈注:店員 宮沢勝二〉に周旋方依頼す。
○ 第三回の口繪校正 明日午前中まで延びる。
○ 言行録 要再校 で出す。
○ 奥付 原稿 渡し。
○ 遠藤雄士氏より 「漱石先生と坊ちやん」の大朝大和版の切抜
送附して來る。礼出す。月報毎月ほしいとの事。これは未決。〈注:10.11.18. 参照〉
○ 寄贈本は 並 一〇、 特製 四〇 共に大森製本所でする事。
○ 〈注:以下はわかりにくいが、森田の言行録中の文字の読み方についての問合せ〉
言行録中 末富(富に○印)或は 末広、 芝野 柴野 文色(あいろ)につき乞教示の
手紙出す。
○ 池田亀鑑氏より 第一回配本を広告部の藤森さんが持つて
來る。カードがはつてある。
10.12.18.
○ 松岡氏へ索引カードを届けた。(昨日の記事参照)
冩眞を一枚借りて來る。
○ 小品の解説 午前中に到着。精興社渡し。明日中に組み上げるやう
精興社と約束。
それをもつて 明晩 仙台へ 長田さんが行かれる筈。
○ 田島道治氏から 第一回 返品あり。
○ 小品 扉 各 四ケ 精興社 渡し。
○ 解説 初校 出 初む。
解説 原稿 着報 電文 左のとほり。
オゲンコウ ハイジユ カンシヤス シヨコウト ネコヲモツテ 二〇ヒア
サツク
○ 森成氏の話の中の 明治四十五年 長野縣教育會 並びに中学校
にて 漱石の講演した事に関して詳しく知りたい爲 森成氏に
照会の手紙を出す。 〈注: 10.12.17. 参照〉
10.12.19.
○ 月報挿繪一部精興社渡し。
一 硝子戸の中 切抜 タテ 約三〇一 リン ヨコ 四一分 二枚。 一 四篇 表紙 タテ 二〇五 リン
一 四篇 扉 タテ 二〇五 リン 他に同大 四枚
○ 小宮先生から葉書來る。
かな と がね の事を月報に書いてもいゝと。
お願ひしてみることになる。
〈注: 論は月報第三號に収録〉
○ 口繪のネームを決めて半七渡し。
但し 菊屋の部屋 は面白くなく、詩碑 の方が
却つていゝやうにも思はれるので 小宮先生に相談して
下さる事になる
○ 月報 挿図ネーム決定
○ 漱石の書簡 二通 引きうけかねます。借りたいから
御配慮を乞ふ旨を玄誠堂に葉書出す。 〈注: 10.12.19. 参照〉
○ 第三回扉 校正 來る。 天 十二ポ六字半分アキ と決定
○ 解説組上り
本文総頁 六百二十頁
○ 長田さん 仙台へ向け出發
10.12.20. 〈空白、但し、金曜日〉
10.12.21.
○ 長田さん 仙台から歸京。
別冊借用品控帳記載のものを御借し來る。
〈注: 上の控帳には、10.12.20.に、「哲學雑誌」4冊を含む12冊の記入あり〉
○ 新資料提供者 岸重次氏、太田正雄氏(加賀商店) を月報第三號
に記載の事。
〈注: 同月報最終頁にその他2名と共に記載あり。〉
○ 深田康算氏宛書簡の おつれ を探してもらう事を
仝あさ氏(注: やすかず氏の夫人)に依頼すべし。
○ 坊ちやんの原稿料を調べる事。
○ 法學協會雜誌掲載の漱石原稿冩 小宮先生より
かへる。
○ 「かな」 「がね」 について月報に御執筆下さるよし。
〈注:小宮のこの記事は、月報にぎりぎり間に合った10.12.23. の日付あり。10.12.24. の項参照〉
○ 森成氏より 四十五年 長野地方講演に関する問合せ
の返事來る。四十四年のよし。
〈注:10.12.18. 参照〉
西尾先生か、・教育會関係の人にきいてみる事。
○ 口繪二枚(富士登山記念、 母 ちゑ)の刷位置
決定。
菊屋二階及び 修善寺日記を組合はせて一枚にする事
を小宮先生と相談決定し、そのやうに寸法をきめ
半七に渡しすみ。
10.12.23.
○ 圭室諦成氏より 漱石書短冊 「年古りし磯辺涼
しや松の琴」 の表装せるもの拝借。
〈注:圭室氏の寓居連絡先が書かれ、以下の伝言〉
序があつたら松岡氏に箱書を依頼してくれとたのまれる。
○ 木村秀雄氏より松岡氏宛 葉書が廻つて來る。
書簡並びに葉書を返却せよとのよし。この機会に
済んだものを返却する。
〈注: 以下に、木村氏、茶谷氏らへの書簡、葉書の書留郵便物送り證 10.12.23. 差出人 岩波(漱石)を添付〉
○ 西尾氏所有 繪葉書、並びに 野田市所有 繪葉書 を
大塚巧藝社に撮影依頼の爲渡す。
○ 右記 繪葉書 二通 大塚から返却し來る。
○ 新資料 文學講義を 斉藤昌三氏が発見 鎌倉氏
を通じて貸与されるよし。その時 三四郎 の異本も貸して
下さるよし。鎌倉氏からも電話あり。又電話がかゝつて
來る筈。こちらからは、小宮先生から借りた、瀧田氏の漱石書簡冩し
を鎌倉氏に届け。引合はせて頂く事。
10.12.24.
○ 鶴本氏から みゆーぜあむ雜誌を借りて來る。
○ 玄誠堂にある漱石の書簡をみせてもらへないか
きゝに行つたが主人留守。今晩か明朝なら
わかるやうにしておくよし。
〈注: 10.12.15. 10.12.25. 参照〉
○ 第四回配本 猫 の原稿を初めから三四頁
(原版頁数)まで精興社渡し済み。
○ 小宮先生から月報原稿 「かな」と「がね」と
が來る。二〇〇字用紙十六枚。
葉書にて礼状出す。
○ 右原稿 精興社渡し。
○ 子規の圖畫 あずま菊 の冩眞 精興社渡し。
寸法 ヨコ 一寸八分
〈注: 月報三號の7頁掲載〉
○ 猫 原稿 引続き 一〇九頁(原版ナンバー)まで
渡す。
○ 深田あさ氏 小宮先生から借りた以外の書簡が
あつたら御貸与を乞ふと手紙を書く。投函
〈注: 10.12.21. 参照〉
○ 猫 原稿続き 一四〇頁(原版頁数)まで渡し済み。
10.12.25.
○ 夏目家に印税支拂。長田さん持参
第四巻の 五〇〇部
第八巻の 二一五〇〇部 印税帳参照。
〈注: なお、配本開始までの連載第1回で示した「漱石全集 月報原稿料」には、小宮や森田への支払金額が細かく記録されているが、これと印税帳とは別である。〉
○ 松岡氏に月報第二號の原稿料 一金拾圓也
を(現金) 飯山さんが届ける。
圭室氏所有短冊(表装せるもの)を一緒に持つて
行き、圭室氏の依頼により松岡氏に箱書き
をお願ひする。 〈注: 10.12.23. 参照〉
○ 「猫」原稿 二〇六頁(原版ナンバー)まで精興社渡し。
○ 玄誠堂にある資料 書写の件。所有者に
相談の上返事する、数日待つべし、と葉書
來る。
○ 小宮先生に 猫 の疑問を普及版に記入し、切り
取つたものを送る。昨日同じものを送つた事と
日時同様にしてお送りする事を書いて手紙
を同封する。
○ 「猫」原稿 二三八頁まで渡しすみ。これで上〈了り。〉全部渡しすみ。
○ 今年中の儉印も済ますべく、その爲に奥付の
校正の催促をする。原稿をなくしたよし。
新らしく出してもらふ。
昭和十一年一月二日 印刷
昭和十一年一月七日 發行 〈注:第三回配本 第十巻 『小品集』〉
校了にする。
明日中に印刷の約束。
○ 函 催促したが 金版が來てないといふ、藤森さん
に頼んですぐ渡してもらふやうにする。
○ 今夕 校了
第三回 配本 小品
10.12.26.
○ 猫 つゞき 三二六 まで渡す。
○ 第三回の奥付 今夜 刷了の予定。
○ 西尾氏所有並びに野間氏所有の葉書 組合
せ冩眞出來て來る。
10.12.27.
○ 「猫」つゞき 三八〇頁まで 精興社渡し
○ 外箱 見本 出來。 校了。
○ 圭室氏の 漱石書 短冊 松岡氏より返り來る。
出所 来歴 には困る。函書をする勇気がない
旨の手紙が添へてある。その手紙を添へて
返却するつもり。
○ 昨夜刷り上がつた奥付を 大森に早朝引き
とつてもらひ、断(た)つてすぐ店へ届けてもらふ。
午後一時から儉印に行く。八千部儉印
すみ。
○ 口繪 刷了。大森製本に行く分だけ 一二、〇〇〇
店に届く。すぐ大森にやる。
○ 鎌倉氏より 三四郎 異本 の冩眞送つて
來る。電話あり。玄誠堂の新資料を
全集の爲に サカ立チ して買はうかと 思ふ と。
○ 猫 校正出初める。
10.12.28.
○ 「猫」つゞき 四三二頁まで渡しすみ。
○ 口繪 刷位置 製本 順 決定。
1. 母 2. 予備門時代 2. 修善寺日記
○ 鶴本氏から来信。冩眞撮影代金拾五円領収書
送り來る。
川島陸相の文藝春秋二月號掲載のを、少しかへて
月報に書かせてくれと。お願ひする。
(注: 川島義之(かわしま よしゆき、明治11年(1878年)5月25日 - 昭和20年(1945年)9月8日)。最終階級は陸軍大将。愛媛県生まれ。松山中学で夏目漱石の教え子だった。)
○ 猫 つゞき 六〇六頁(原版)まで渡し済み。これで 猫は
をはり。
○ 何とかいふお坊さんから來た手紙(猫 の事について
いつて來てゐるもの。小宮先生にお見せすべきもの也)
がどうしても見つからない。
○ 三四郎 異版本 鎌倉氏より拝借す。
井上仙之助氏の所有。
10.12.29. 〈注: 日曜日〉
○ 九時半出勤。午前中は店で、午後精興社に
行つて月報を校了にする。
10.12.30.
○ 吉例の大掃除。
○ 深田あささんから返信。他に手紙はないよし。前のも
借して頂き度いといつてやつた事については何とも
いつて來ない。
○ 鶴本氏から来信。来春早々 月報の原稿を
持つて來られるよし。
〈注: 月報第六號 「漱石先生と松山」を執筆〉
○ 寺島に、口繪 位置 順序 をきめ、一部刷を見て
かへす。特製不要の事も書き添へてやる。
○ 大森 表紙を持つて來る。位置が一厘ばかり
上りすぎてゐる感あり。注意をして藤森
さんに見てもらひ校了。
一部刷を持つて來る。
○ 圭室氏に例の短冊を 松岡さんの手紙を添えて
返却に行く。
年古りて磯辺涼しや松の琴 漱石
10.12.31. ―――― 11.1.5.
〈朱で〉年末 年始 の休暇
11.1.6.
仕事始め。
朱○新 廣島の女子専門學校の谷本勉氏より 新資料
書簡(妹尾福松氏宛)の冩眞を四通送り來る。
但し 内二通は新資料にあらず。
着報出す。
□三八・一〇・二三〈注: 未収録?〉 三八・一〇・二一
三九・八・一三 三九・一二・一〇
原稿編入スミ□
○ 鎌倉氏より電話
明日午前中に行つて書簡を借て來る事。
11.1.7.
○ 坂崎・氏に 特製本 第一回 第二回 各一冊 づゝ寄贈。
朱○新 読書法うつし。文藝批評論。 渋川氏宛葉書 書簡各
一通を鎌倉氏より借用。 □原稿編入スミ□
読書法うつし は同日 速達にて返却。(まるみや宛)
○ 社會と自分 を南宅より持参。長田さんにいはれるまで
店のをかりて行つてゐた事を忘れてゐる。どうしても思ひ
出せない。
○ 出版届をかいてもらふ。明日届ける予定。
11.1.8.
朱○新 硝子戸の中 の扉の文は漱石の文なる事を
岩波先生保証。新資料分に入れる。 □原稿編入スミ□
(注: 「日記」10.12.13. の欄外に「岩波先生御歸朝」の報はあったが、編輯にかかわる かたちでこのように言及されるのは、今回初めて。今後ときおり名が出る)
○ 出版届、大森製本に渡し。
○ 小宮先生 午後四時すぎ上野着。
朱○新 渡邊傳右衛門氏宛 漱石葉書一通持参。同氏に返却方
を依頼さる。(タイプ)にうつしをとる事。
□三・一〇・二四 原稿編入スミ□
朱○新 詩伯テニソン の文をみたい爲 中川氏に電話をかけたが
今日は來られないよし。 〈注: 10.11.6. 7. の中川清氏。〉
○ 鎌倉氏から電話。 読書法の掲載誌をかして下さる
よし。明朝頂きに行く事。
○ 長野縣講演の事を(岩波)先生にきいた。奥さん(未亡人)にきいて
みる事。
11.1.9.
○ 中川氏を通じて 哲學雑誌合本二冊借用し來る。
詩伯テニソン をみる爲。
○ 鎌倉氏より 新文壇(読書法 漱石)をかりて來る。
夕方 飯山さんが持参、返却す。
右の書は 斉藤昌三氏所有のもの。鎌倉氏より借用
し同氏に返却す。 〈注: 斉藤氏については、10.12.23. 参照〉
朱○新 松崎哲郎氏より 松崎市郎氏宛書簡 冩し
を送り來る。いつか訪問して実見引合する事。
新資料なり。 □二・一一・一二 實物ナシ ウツシトシテ原稿編入□
○ 小宮先生所有の・・うつし、漱石書簡等、鎌倉
氏より返送して來る。
○ 小宮先生から依頼をうけた 漱石襍記、及び、漱石葉書
を書留便にて、渡邊傳右衛門氏に、送る。
〈注: 11.1.9. 郵便局受領證 添付〉
○ 月報第三號 五十五部 精興社より届く。
11.1.10.
○ 小宮先生 朝から来店。初期の文章、評論雜篇
別冊等 新資料の入るべき場所を決定の爲。
全部を通じて、篇纂方針を決め、それぞれ
分類、決定。
○ 鎌倉氏 来訪。
○ 例の圭室(諦成)氏の短冊をかりて來て 小宮先生にみて頂く。
ほんものにあらず と。
11.1.11.
○ 第三回配本 天金 四〇部、 並製一〇部
大森製本より入品
堤さん、先生のところへ、各二冊づゝ持つてゆく。
○ 松崎哲郎氏に礼状出す。実見の事はいはず。
(注:11.1.9. 参照。 いつか訪問して実見引合する事、となっていたが、手抜きか? ちなみに、「名簿」によると、松崎氏の住所は、東京の近郊、大森区である。)
○ 昨日小宮先生に決めて頂いた評論雜篇その他を整理。
○ 松根東洋城氏に 「新春夏秋冬」 秋の部を見る爲に、
その他も共に借して頂くやう電話にて依頼。
春夏秋冬全部に何か出てゐる筈。但し、冬だけ
自分の手許にない。あるだけ出して置から、と。
月曜日預かりて來る事。 〈注:ちなみに、本日は土曜日〉
11.1.13.
○ 松根東洋城氏から、新春夏秋冬 の春夏秋 三冊を
かりて來る。
読者から來た葉書を持つて行くのを忘れて、郵便で
送る。
○ 哲學雑誌 合本二冊を中川氏に返却す。
中川氏不在、受付氏に渡す。
○ 子羊物語の序文、桂月のこと、心の広告、をタイプに
うつ。それぞれ 序文、評論、雜篇 に入れる。
○ 第五回 評論 雜篇 のうち、評論だけ精興
舎渡し。原稿、五六三 ― 一〇五八 頁まで。
月報 八頁
本文十一頁より起す。
○ 第三回の寄贈を収める
夏目さんへは飯山さんが持つて行く。
○ 小宮先生の月報第三號の原稿料を現金で
長田さんに預ける。
11.1.14.
○ 第四回口繪 半七渡し。
一、千駄木書斎の漱石 縱二寸六分
一、千駄木町の家 縱二寸五分
一、猫原稿(二枚に製版) 縱二寸七分
○ 月報第三號の寄贈を済ます。
○ 第四回 「猫」扉 金版 精興社 渡しすみ。
○ 第四號月報原稿を 鶴本氏に催促す。(葉書にて)
(注: 鶴本丑之介「漱石先生と松山」は月報第六號に掲載)
○ 第四回 奥附原稿、大森、寺島、二通渡し。
昭和十一年二月五日 印刷
昭和十一年二月十日 發行
○ 狩野先生に、一回から三回まで天金を持つて行き、
一回並製を頂いて來る(飯山)
○ 三木先生 一回から三回まで天金を差し上げる。一回並
製をおついでの時持つて來て頂くやう依頼す。
(注: 三木清のことであろうが、「連載開始まで 第二回」十・八・三の電文 カヘリヨルニナルヨロシク」 ホシケオカ一五ヒ五ジニタノムミキ 以來、この日記には、ミキも三木も出てきていない。)
○ 小宮先生 来店。
新春夏秋冬の序、は各 全部入れる事。
冬の部は小宮先生が送つて下さる事。
尚篠本氏の月報第三號の原稿料 は小宮
先生にあ附る事。長田さん承知。(計算すみ、
但し 未決。)
○ 丙辰溌墨の序、名称俳句の詩の部、も序文
に入れる事。
〈注: 「丙辰溌墨」は中村不折の水墨画集〉
○ 第四回 部数申請 二万二千 印刷
○ 奉悼文掲載の法學協會雜誌を借りて頂くべく渡部
さんにお願ひしたが貸出は不可のよし。文章の写し
と引合はせて頂く。相違なし。
11.1.15.
一、松岡氏に 楠木正成 の在処を手紙できく。
〈注: 11.1.17. の返事参照。〉
一、第四回 部数申請。
一、月報第四號、言行録 原稿渡し。
挿絵 大學豫備門の正門の冩眞入れる。
縱 一寸八分 ヨコ 約二寸五分
約三頁と二十八行の予定。
一、讀者 佐藤凛明氏よりの来信二通
(初期の文章及詩歌俳句 〈が〉の 初期か
俳句までかゝるおそれがある。詩の字のあや
まり)を小宮先生に送る。 〈注: 前半部分意味不明。〉
一、田中製版へ 猫 口繪 の冩眞の
コロタイプ版の方を 藤原さんに渡す。
一、背文字 金版の新しいのを 各製本所に渡し。
一、西尾叟一氏より 新資料返却の催促
が來る。書留小包にて返却す。
〈注: 10.10.31.〉
一、同時に島本七郎氏より借用の短冊(但し
夏目漱石のものにあらず)を書留にて
返却す。
〈注: 上二点の郵便物、同日付受領證 添付〉
一、 野間眞網氏より借用の葉書(お嬢さんの方)
タイプ打つ。 □原稿編入スミ□
〈注: 10.10.31. 10.11.6. 10.11.13. 参照〉
一、松崎哲郎氏より借用の書簡写しを
タイプ打つ。
一、飯山さん 大橋図書館にて、國民新聞に当る。
一、鎌倉氏 来店。寺田先生の俳句を拾ふために 春夏
秋冬 を 四冊持参、貸与さる。
思想 漱石號 の抜刷をさしあげる。
一、鎌倉氏、自由購読 一、二、三、四を探し出して來て、講師夏目漱石とあるを見て、小宮先生にきいてみてくれとの事。昨日小宮先生にきいたが何もないと思ふ、念の爲に野上にきけといはれ、今日野上先生に電話で伺ふ。(漱石は)暇があつたら話をするといふ事であつたが遂にその機会がなくて、漱石氏のは何もなかつたよし。
〈注: 別筆の細かい追加書き〉
11.1.16.
一、野間眞網氏より借用の漱石葉書二通
共に本日書留郵便にて返却す。
一、序文を原本と一通り引合はせる。
一、飯山さん 上野の図書館に出張。
漱石漫言の専門的傾向と、文學・・の
小説中の人名が國民新聞 四五年に掲載の
事を発見。
一、長田さんが野上先生に学士会館で会ふ。左の事を話
して、その謡本を明日借りる事にする。
一、長田さんが 錦町三 菅能啓一氏を訪問。霞宝会設立
主旨の事をきく。その事は自分は知らない。しかし
下掛宝生謡本の序を書いてもらつたことがあつたやう
な気がする、と。
一、第四回印刷部数申請可決。(二二、〇〇〇 印刷)
11.1.17.
○ 霞宝会設立主旨の件をきく爲に宝生新氏に
電話をかけたが多忙で会えない 二十七日に会ふとの事。
○ 野上先生から 下掛宝生謡本を借りる。その筆
跡が漱石らしいといふので。しかし署名は
宝生新とあり、野上先生も少し疑はしいとの事。
これも宝生氏にきいてみる事。
○ 先日 松岡氏に手紙を出してきいた楠木正成論の事について
返事來る。島崎柳塢画伯のところにあるよし。
(注: しまざき-りゅうう 友輔 1865-1937)
「回覧雑誌風のものにあるので署名は盬原(夏目に
あらず)、字は少年漱石自身の書ではなく、誰か
委員みたいなものが浄書したのではないかと島崎氏が
云つて呉れた」とある。
○ 西尾叟一より返却した漱石葉書受取りの
報あり。
○ 正成論原稿の所有者 島崎氏に電話をかける。
御病牀中のよし。又二十五日頃こちらから電話を
かける事をお約束する。
11.1.18.
○ 林達夫先生より 太鼓を借せとの事。すぐ送る。
同時に小品の誤植らしきものをいつて來る。
○ 第五回 評論 初校 出初む。
○ 月報 言行録 校正出て來る。
○ 小宮先生から葉書來る。
新春夏秋冬 の冬の部はない。
初期の文章及び詩歌俳句 は 詩歌俳句及び
初期の文章としてもよいかもう少し考へて
みる。と。次は寺田全集に関する事。
〈注: 大晦日に没した寺田寅彦のこと、この日記にはこれまで言及されていなかった。月報では、第四號の「事務室から」ではじめて報じられ、月報第五號では、早くも、「『寺田寅彦全集』編纂について謹告 岩波書店内 『寺田寅彦全集』刊行会」が載っている。〉
○ 森田草平氏、第五回用言行録の原稿
を持参さる。(四〇〇字十一枚)
これにはより江氏の冩眞は入れない事。
座敷の冩眞を入れたい。冩眞帖のは間ちが
つてゐると。
〈注: しかし言行録五回の2頁に、従姉妹といっしに写った少女時代の久保より江の冩眞が掲載されている。 11.2.17. 11.2.18.参照〉
11.1.20.
○ 鶴本氏より来信。旅行の爲月報の原稿を次回に
延ばしてくれと。
○ 小宮先生から電報來る。
ゲンコウ二一ヒヨルオクルマツテクレトヨ。
○ 月報言行録 圖版入れて要再校で出す。
○ 島本七郎氏より 短冊受了の葉書來る。
○ 野間眞網氏より 返却した葉書二通落手の
葉書來る。
○ 長田さん 発熱 お休み。
11.1.21.
○ 鎌倉氏より電話あり、別冊講演の倫敦のアミユー
ジメント掲載の 明治學報(明治大學發行)
八六號(明治三八・四) 八七號(明治三八・五)が書物
展望社にあるから借りてあげますと、お願ひする。
○ ・解説原稿について小宮先生より電報來る
アスマデ マツテクレコミヤ
○ 飯山さん 上野の図書館にゆく。
○ 三木先生から 一回配本並製 返つて來る。
○ 長田さん 今日もおやすみ。
○ 玄誠堂から葉書來る ホトヽギス を頼んだ電話
が取次だつたため意味不明のよし。かへりに寄る
事にする。
11.1.22.
○ 言行録 要三校で 精興社渡し。
○ 圭室氏 漱石短冊を返却する。
○ 長田さんお休み。
11.1.23.
○ 小宮先生から イマオクツタ の電報來る。
○ 解説原稿到着。礼電打つ。長田さんに
おみせして精興社渡し。二百字七十二枚。
○ 口繪ネーム決定。半七渡し。
○ 奥付校了。印刷部数 精興社に通達。
○ 長田さん お休み。
11.1.24.
○ 森田氏から電話。先日の月報の原稿料をくれと。
月報原稿料 三〇、〇〇
次回交通費(夏目家立替分) 二〇、〇〇 計五拾圓也を振替で送る。
○ 鎌倉氏から葉書來る。新春夏秋冬の冬は青春〈?堂
にも無之き由。
○ 今日から 猫 の校正が出るはずで、それを長田さんへ
お届けする約束を昨日して來たけれど 遂に
今日も出ないよし。
○ 解説 組上り。六五三頁 ―― 六八〇 頁まで。
11.1.25.
〈ノート上欄にメモ〉昨夜から降雪
○ 鈴木三重吉氏から來翰
漱石の書簡新資料 と 俳句 の写しを送つて
來たものなり。書簡(内田魯庵宛 猫の事)は新資
料なるも、句 は新資料ならず。 〈欄外に鉛筆書〉収録する事 スミ
封筒が全集刊行会宛だつたので開けたら 手紙は長田
さん宛。長田さん風邪で休みのため、代理からとして
受取りの礼と、書簡は新資料、句は新資料で
ない事を申上げておく。
○ 飯山さん 長田さんを訪問。
島崎柳塢氏に電話をかける事をきく。こちらの都合で
今日かける事にしてゐたので 今日でなくてもいゝから
月曜日出てからかけます、と。
○長田さん お休み。
11.1.26. (日)
○ 猫 校了を急ぐ爲に、松井さん出勤。
午前十時から 四時まで。
11.1.27.
○ 扉 校了。下一寸六分で 虞美人艸・坑夫 と同じ位置。
○ 長田さん 今日から出勤
○ 室生氏が電話をかける。昨日無理をしたので加減が悪く
て休んでゐるから 又明日 といふ事だつた。
○ 島崎柳塢氏に、 正成論の事で電話をかけたが、
こゝもまだ御不快のよし。
○ 第五回の、評論のつゞき、雜篇・序文 の原稿渡
し。(八十四枚)
○ 奥附は明日中に刷上げるといふ約束をする。
○ 解説 校正(再校)を別配達にて送る。同時に
その旨電報にて知らせる。(一時四十分)
○ 堤さん宛に小宮先生から手紙が來る。
解説の校正に手を入れたい旨、その他。
○ 夏目先生に関する寺田先生の談話の 森田氏筆記
原稿を 本日森田氏に書留便にて送る。
○ 妹尾福松氏宛書簡四通、野間眞網氏宛繪葉書
葉書 一通、鈴木三重吉氏よりの、魯迅宛書簡一通
をタイプに打つ。それぞれ年代順に入れる。
11.1.28.
○ 月報用 圖版、猫の上中下 の表紙、 オホヒ紙〈注:カバー〉、上巻
奥付の七枚を精興社製版渡し。
表紙、紙、は 各 縱 二寸、 横 約二寸八分。
奥付 縱 二寸 横 約一寸九分。
○ 床崎氏所有の博士問題 漱石入手原稿と引合は
せをして、床崎氏に返却す。受付子に渡す。
〈注: 床崎俊夫 東京朝日新聞計畫部〉
○ 口繪ネーム 校正來る。於千駄木書斎をなほす。
他の二枚のネーム入は校了。
○ 小宮先生から電報來る。解説 校正 の事なり。
イマベ ツハイタツニテオクル
11.1.29.
○ 小宮先生から 解説の校正來る。
礼電打つ。
○ 森田氏から 寺田先生遺稿の着報來る。
原稿料 はまだのよし。
○ 昨日からひきつゞき 評論 の校正にかゝる。
○ 奥付はまだ刷れてゐないよし。
今日中といふ約束をした と荻窪
さんはいふ。昨日でも今日でも出來てゐない
ものは仕方がないから 今日中に刷つてもらふ
約束をもう一度する。
○ 口繪ネーム 校了
11.1.30.
○ 中谷氏から葉書來る。丗一日か、二月一日に送ると。
おまちする旨返事出す。
〈注: 中谷宇吉郎 月報第九號、「光線の壓力」の話、の執筆者。他に月報十七號「冬彦夜話――漱石先生に關する事ども」の筆者。 11.2.1. 11.2.3. 参照〉
○ 奥付 昨日刷り上がり、今日一時頃 店には入る。
○ 月報用圖版 校正 刷り來る。
○ 水落床兵衛氏に、坊ちやんの原稿貸与方依頼
の手紙出す。
○ 鶴本氏に経済學辞典の代金の返事を出す。
定価どほり 三十五円と索引四円 計三十九円也と。
11.1.31.
○ 今(日)から儉印に行く。二万部。
○ 第三回の印税を支拂ふ。
○ 神西氏から コンラッドといふ人の「心」の露譯について
書いてもいゝといふ事を長谷川さんにいつて來たので
お願ひして頂く。(月報に)
〈注: 11.3.5. を参照。 原稿の到着が記されている。〉
○ 小山内薫氏遺族を探して、「琴のそら音」の原稿
を借りに行つたが扉がしまつてゐた。名刺に
要件をかき、面會日の指示を頂くべく書いて
置いて來た。
〈注: 11.2.7. 及び詳しくは、11.2.18. 参照〉
○ 漾虚集 の引合はせ(原本作製)を長田さんが
収めて下さる。
○ 新文壇合本 現代読書法(成功雜誌) 第一巻第一號を鎌倉氏から送つて來る。借用 也。
〈注: 「借用品控」には、この日の日付で、第一巻第四號に読書法(朱)とある〉
11.2.1.
○ 今日中に校了にすべく 長田さんと西島さんが
青海に出張。
〈注: 青海とは精興社のこと。〉
○ 中谷氏から 原稿送つたといふ葉書が来て後
原稿到着。四百字十二枚。礼うつ。
○ 儉印すみ。
○ 雜篇 の校正出初める。
〈注:11.2.2. の2.を消して3. 日曜日故〉
11.2.3.
○ 月報原稿 中谷氏のものを精興社渡し。〈注: 以下月報第四號関係〉
○ 四・五頁に入れる圖版を精興社渡し。〈注: 11.1.28. 参照〉
○ 文庫 ムル を精興社渡し。
〈月報6頁の廣告冩眞。ホフマン作「カーテル・ムル」岩波文庫新刊定價四十銭〉
○ 鎌倉氏から 明治大學報 二冊 送つて來る。
倫敦のアミユーズメント掲載誌なり。
○ 第五回配本 評論雜篇 組上り。
11.2.4.
〈注: 欄外上に「大吹雪」とある〉
○ 水落床兵衛氏から返事來る。大切なもの
故東京までは出せない。誰か来て 引き合はせる
なら借すと。
○ 寺田先生から借りて來た 漱石葉書 二葉を精興社
渡し。
○ 小林さんが仙台にいらつしやるので 小宮先生への用を
たのむ。
一、鈴木三重吉氏からの手紙をもつて行つて頂く。
一、森山文司の手紙。
一、多読せよ 読書法 沙翁当時の舞台。
英文三通。
11.2.5.
○ みうぜあむ雜誌 を 鶴本氏に返却す。
○ 小林さんの出發までに間に合はず遂に小宮先生への
用は置き。
○ 函見本 大きさ 校了
○ 中谷氏 原稿 校正 來る。
○ 口繪 順序 位置 きめる。〈注:第4回配本 第1巻「猫」〉
一、肖像
二、家
三、原稿
いずれも 下五分五リン 右一寸三分アキ
(虞美人艸原稿に同じ。)
11.2.6.
○ 倫敦のアミユーズメント を明治學報と引合すみ。
○ 月報 「猫」死亡通知冩眞 精興社渡し。
明日中に製版、八日に校了。十日刷了を期す。
○ 小宮先生から葉書來る。
第五回配本を 坊ちやん外七篇 にするよし、申し來る。
○ 第五回配本 口繪二葉 (田中製版) 渡し。
一、南町書斎に於て ヨコ二寸六分
一、唐詩讀罷 ヨコ二寸六分(タテ 三寸七分)
11.2.7.
○ 宝生氏 十二時半頃 一時――二時に來てくれと。
○ 小山内氏今日も不在。
手紙を出す。
○ 明治學報を鎌倉氏に返却。飯山さんに持つて行つて
頂く。
○ 小林さん 今朝仙台から歸京。小宮先生からの返事
を持つて來て下さる。
○ 事務室からの原稿を渡す。
〈注: 事務室とは、月報毎回のあとがきのこと〉
○ 漱石全集刊行会の名刺をたのむ。
○ 刷上り。
11.2.8.
○ 夏目家から 秋景山人〈注:11.2.10. には 山水 とある〉の圖をかりて來る。
口繪に入れる爲。(縮尺 縱四寸七分)
○ 先日の小宮先生から書簡を持つて 長田さんが鈴木氏を
訪る。
新資料の書簡の所有者を紹介して頂く。
〈注: 内田魯庵宛書簡所有者〉
麹町区 〈以下住所略〉 近藤茂吉氏。
○ 出版届の書き入れを藤森さんにお願ひする。 〈注: 藤森善貢 広告部〉
二月十五日 印刷 〈注:を消して〉 二月十七日 發行
二月十三日 届出。
○ 月報 校了。
11.2.10.
○ 秋景山水(色刷口繪)田中製版に渡す。
○ 月報 刷上り
○ 第四回配本の出版届を大森〈注:大森製本〉に渡す。
11.2.12.
○ 第三回「小品」 二〇〇部 第四回「猫」五〇〇部 儉印
11.2.13. 〈木曜日。空白〉
11.2.14.
○ 第四回「月報」出來。
11.2.15.
○ 第四回「猫」 定期寄贈分 五〇部出來、午後発送す。
○ 第四回「月報」森田氏外二氏に送る。
〈11.2.16. は日曜〉
11.2.17.
○ 扉金版四箇 精興社渡し。
○ 奥付校正 精興社渡し。
○ 第四回「猫」配本。
○ 月報原稿料 中谷宇吉郎氏に送る。
○ 森田氏に葉書出す。月報言行録のより江氏談に挿入すべき〈注:11.1.18. 参照〉
冩眞について。上野家離れは初期の口繪に入れる故重
複は面白からず。より江氏の若い頃の冩眞ならといふ話もあつた
が如何と。
○ 金剛草カバー付、竝に 社會と自分 を鎌倉氏から
借用するやう、電話で依頼。
○ 虞美人草 異版本を鎌倉氏よりあづかる。
小宮先生に題字執筆を依頼してくれとなり。
○ 松岡氏に手紙出す。
三四郎、それから、の原稿所有者を御教示賜はり度く、なお
御紹介願へれば幸甚と。
○ 第五回部数申請參考の爲、卸部入用部数をきく。
11.2.18.
○ 小山内氏の未亡人に会ふ。未亡人の話は左の如し。
「 「琴のそら音」の原稿については何も知らない。「家」にあると
「いふ事はどうしてご存じか」 とにかく主人があゝして急に
なくなつたものですから、主人の物を整理するひまもなく
転々と居をかへてゐるうちに、主人のものとして一纏めに
しておつたものが 今では散り散りになつてしまつてゐる。
転居の際奇物の世話など人様にして頂くと、人様には
それほど大切なものでないものですから …
長男も草稿については知らないと申しますし、次男は
地方に行つて居りますので 折がありましたらきいてみますが
多分知らないでせう。」 と。
万一、今後どこかから出てゞも來ましたら、当方まで
御通知を願ふ旨をいひ置いて來る。
○ 社會と自分 金剛草を鎌倉氏から届けて來る。
大塚巧藝社に撮影にやつて同日返つて來る。
社會と自分は表紙、金剛草はカバーをかけたのと、表紙だけと。
いづれもキヤビネ。
○ 松岡氏から手紙が來る。第一書房の事もいつて來る。
○〈朱丸 新資料〉長谷川保平氏所有の平井晩翠氏宛書簡写し
も同封し來る。これは額に仕立てゝある故長谷川氏の方
で冩眞にして來るよし。
□原稿作製の事 年次不詳□
○ 昨日の葉書の件について 森田氏からも電話あり。より江女史
の冩眞を借りに行くやうにとの事。
上野君子氏と一緒にうつされたものをかりて來る。
直に精興社渡し(ヨコ 一寸七分五リン タテ 二寸六分五リン)
○ 言行録原稿 精興社渡し。(約三頁四行位になるつもり)。
○ 第六回原稿 倫敦塔 ―― 趣味の遺伝 までを
渡す。但し 「琴のそら音」 は止め置く。
○〈朱新資料〉明治四十三年一月二十一日、寅彦氏宛書簡 タイプ打つ。
〈注: 月を年と誤記〉
□原稿編入 スミ□
○ 第五回配本 第十三巻 評論 雜篇 の部数
申請をなす。印刷部数 二万一千五百部、製本
部数 二万五百部。
11.2.19.
○ 琴のそら音 原稿 精興社渡し。
○ 松岡氏から来信。鈴木周太郎氏への紹介状在中。
三浦氏については何もいついて來ない。〈注:三浦氏についてはこれまで言及なし。〉
○ 鶴本氏から来信。月報原稿は二十五日まで待つてくれと。
○ 平井晩翠氏宛書簡 タイプ打つ。
○ 池田一幸氏から 伊澤さん宛に葉書來る。
五高記念日の祝辞の原稿が物置にあつた由。お互に安心。
その旨キリスト教青年會の高森宗一氏に報告する。
○ 扉 校了。 上 七分 下 二寸四分五リン アキ。
○ 鈴木周太郎氏に 「三四郎」の原稿拝借に行く。
既に転居して、その転居先も不明。
○ 第五回分奥付校了。昭和十一年三月五日 印刷
昭和寿一年三月十日 發行。
○ 奥付を校了にし、二十一日中に刷上げるやう精興社と約束。
○ 印刷部数決定。二万一千五百部 製本 二万五百
○ 製本割当は、寺島を従前どほり二万。大森に二万一千五百。
〈注:この数次は誤記。従前どほりなら、寺島一万、大森一万一千程度となる。 10.11.19.参照〉
○ 讀者より 第四巻 心 道草 誤植投書あり。原本記入すみ。
11.2.20. 〈注:日記欄上に「總選挙」とあるが、ちなみに本日は木曜日。〉
○ 第十三巻 評論・雜篇 の函 校了。
○ 植口正美氏に電話をかけたが不在。
11.2.21.
○ 解説 原稿 來る。二百字詰原稿用紙 八十九枚。
直ぐに禮電を打つ。 □原稿 精興社渡し□
○ 第五回の口繪冩眞二枚 校正 來る。
○ 月報挿入 より江氏冩眞 校正出來る。校了。
○ 家庭週報の編輯部に 小宮先生 講演の
掲載誌を寄贈方依頼す。
○ 中田製函に紙の注意する。
○ 口繪二葉校正來る。ネーム原稿渡し。
大正五年十二月撮影(於 早稲田南町書斎)
唐詩讀罷(大正五年)
〈注: 11.2.6. 参照〉
○ 奥付 刷了
○ 第六回 初校 出初める。
11.2.22.
○ 月報冩眞 焼付 三枚 大森より來る。
○ 月報校正來る。森田氏に送る。
○ 第五回 第十三回 十五行詰の ノド アキ 五分と
決定。
○ 長野縣講演の事を 教育會の林隆氏に
きく爲手紙出す。西尾先生からも出して
頂く事。
○ 〈注:それから と書いて削除〉三四郎の初掲載(切抜)と引合はせ 初め。
○ 解説 組上る。
全頁 七二六頁
11.2.24.
○ 小宮先生から 葉書 來る。月報 ・かな・・・
書いてもいゝと。
〈注: 10.12.19. 21. 24. 参照〉
○ 解説 再校 來る。小宮先生に送る。
○ 小宮先生 松根東洋城氏 に 科學〈漱石を消して〉寺田號を送る。
○ 學燈 第九年第一號 カーライル博物館 掲載誌
鎌倉氏より送り來る。
○ 秋景山水 校正 來る。赤い部分が多すぎるのでもう一度
刷りなおしてもらふ。 漱石畫 秋景山水は今日
持つて來たがもう一度半七もちかへる。
○ 第五回全頁を藤森さんに通知する。田中整函の
方へ急いでもらやうお願ひする。
○ 書簡集から 校正に関するものを抜き出してゐて
二十二年九月二十日 子規宛書簡中の 漢詩の
全集漢詩集に漏れたものを見出す。
□原稿編入スミ□
○ 印刷(第三回の追加、 第四回全部、 小宮先生分)
を計算して会計渡し。
11.2.25.
○ 第五回 第十三巻 評論雜篇 の儉印に行く。
印税も一緒に持つてゆく。
○ 信濃教育會の 林氏から 返事。
講演筆記掲載誌を送つた。他に記録もあれば
探して送る と。
信濃教育二九七號(明治四十四年七月一日 發行)
が送つて來る。
「教育と文藝」といふ講演也。新資料らしい。
林に礼状、守屋氏に報告をする。 □原稿編入スミ□
○ 評論の「文藝と道徳」が信濃教育會で講演さ
れたよし 第五回の解説にあり。 する爲、同誌を
小宮先生に別配で送る。
○ 森田氏から 校正かへつて來る。
○ 家庭週報 小宮先生の講演掲載分來る。礼すみ。
○ 今日 校了の爲 西島さん 青海に出張。
霞宝會の日付、津田さんの序、を問ひ合はせ(小
宮先生に)たが返事が来ないのでこれだけを残して
校了。
○ 夏目家から・・に送つてゐた分はこの次から
夏目家に届けるやうと堤さんから話あり。
11.2.26.
〈注: いわゆる 2.26 事件が起きた当日である。日記上欄に、「本日未明 大事件 勃発」 とある。月報第五號の11頁「事務室から」でも、「十日には配本の豫定でありましたが、不祥事件突發その他の事情によつて…」と言及されている。〉
○ 林博氏より西尾先生への書簡によれば 漱石書簡二通
発見の由。但し一通は封筒のみ との事。
貸与方依頼の手紙を出す。
○ 小宮先生から 解説 校正 來る。
○ 小宮先生から 電報 來る。
イロハソノマヽ カホカイ 四三・一カ
津田清楓君の畫 について也。表題及び短い直し
はそのまゝ。長いところは入れる 意。その通りにする。
霞宝會の方は 四三年一月のところに入れて 疑問とした。
○ 猫 参百部 儉印。
○ 口繪 校了。
11.2.27.
○ 小宮先生から 信濃教育 と解説の校正が返送して
來る。
○ 校了
○ 初めに校了にした分の刷上がつたのを順次製本所に
引きとらせる。
11.2.28.
○ 鶴本氏原稿 明日午後一時版組のよし。
〈注: 月報第六號の原稿〉
○ 月報冩眞 精興社渡し。
○ 謹告(寺田全集 鷗外全集)の原稿を
精興社渡し。
〈注: 月報第五號の最終12頁に掲載のもの。〉
11.2.29. 〈土曜日。書き込みなし。〉
11.3.2.
○ 左の扉原稿を半七に渡す。(電話をかけたが遂に取りに来ず)
第二巻 第五巻 第六巻 第七巻 第九巻
第十一巻 第十二巻 第十五巻 第十六巻 第十七巻
總索引 以上十一巻
小字を 3/4 下の大字を 2/3 に縮。
○ 森田氏来店。第六、七號の月報原稿を持参さる。
二回分からの原稿料及び 七、八號執筆用紙代、合計 壱百圓
也を小切手にて渡す。
○ 小宮先生から電報來る。朝八時の汽車で原稿届いた
と。
○ 鶴本氏からは延期、但し、二日午前中に自身来訪、原稿
を持参の旨手紙來る。しかし遂に見へず。
○ 謹告を組んで來る。
○ 大森から口繪の催促が來る。まだ刷れてゐない。紙が
は入ってゐないよし。大至急入れるやう藤森さんに依頼す。
○ 鎌倉氏から 名称俳句談 を送つて來る。但し再版也。
○ 長田さん 大阪へ出發
水落床兵衛氏所有「坊ちやん」の原稿と引合せの
爲也。
○ 小宮先生から 月報原稿來る。
11.3.3.
○ 小宮先生に 月報原稿到着の礼電出す。
○ 單色口繪二枚刷上り。大森製本に渡す。
○ 扉全版原稿 半七に渡す。
○ 久保より江氏から借用の冩眞返却す。
○ 備付ホトトギス大揃 代金六拾圓也を玄誠堂
に振替で送金す。
○ 小宮氏原稿に挿入すべき冩眞に打日がついていた爲
遺墨揃を精興社に渡す。(第四輯)
〈注: 以上で5冊の日記中2冊目が終わっている。〉