配本開始以降の長い旅路 連載第5回(11.11.23 - 12.5.11. )
日記、12.3.17. あたりから、讀者カードへの言及が出て來る。日記中の記載では、主に汚損や破損、落丁のクレームが来ている。讀者カードは、当時の黄色い官製はがきを用い、次のように印刷されている。
表面:
東京市神田區一ッ橋二丁目三番地
岩波書店内
漱石全集刊行會 行
裏面:
御住所、御姓名 欄と、「本全集に對する御感想・御批評その他」を記入する広い欄、最後に、以下の文がある。
此全集の姉妹篇として引續き刊行さるべき「漱石傳」「漱石先生言行録」の出來お知ら
せ、その他關係出版物の御通知に備へ度く存じますので、御手數乍ら此のカード是
非共御投函の程御願ひ申上げます。
返された現存カードの中には、仙台のある讀者から、小宮に触れた印象深いものもある。
「消印 12.3.20. 」:
仙臺に丸見屋と云ふ小さな喫茶店があつて 私はよく其処へ行きま
すが 小宮豊隆先生が時々他の先生と御食事のところを見受け
ます。ゆつくりした調子で お話になる談話がきゝたさに 私は 昼間
の時間 よく外出して 陰ながら先生方のお話をきいたり お顔や手の樣子
を見たり 衣服をながめたりします。先生の解説がいかに讀後の感想
をまとめてくださるか 測り知れず感謝します 此頃 先生はあまり丸見
屋に來られません。お序での節 食事に來られて 若い者の尊敬の念を深く
せらるる樣に お傳して下さい。
日記、5冊目で注目されることの一つは、11.12.12. (土)
『それから』の漱石自筆原稿が市販目録に出ていること。1,800 円。岩波が気づいた時にはすでに別人が購入済。この値段、11.4.6. に岩波書店が、『心』を1,500円で手に入れたのを念頭に置いたか。
編集現場は多忙を極めている。それは、2回分の配本準備が重なっているのでもわかる。
11.12.15.(第15回配本予定 12.1.10.)
○ 行人 校了になり初む。
11.12.16. (第16回配本予定 12.2.10.)
○ 續書簡集 校正初む。
前々から筆者に気になっていたのは、書簡の印刷時、借りたものを、書写せずにそのまま印刷所へ送つていなかったかどうか、ということであった。現物を直接印刷所へ送ると痛むので、通常は転写原稿を作製したであろうが、その手間を省いて、借り物をそのまま印刷所へ送った例が見つかった。11.12.21. の記述がその証拠である。緊急時ではあったが、こういうことは、してはいけなかった。
○ 右、直に原稿にして精興社渡し。
11.12.21. 前にも触れたが、岩波決定版が鎌倉幸光氏に頼った様は、こんなところにも出ている。
○ 鎌倉氏に 右の本 拝借方 速達にて依頼。
「行人」 初版本 美本があるなら。
11.10.29も鎌倉幸光氏に言及。
第14回配本、第16巻『書簡集』 (11.12.14. 奥付11.12.10.)
第15回配本、第7巻『行人』 (12.1.14. 奥付 12.1.10.)
第16回配本、第17巻『續書簡集』 (12.2.14. 奥付 12.2.10.)
第17回配本、第9巻『明暗』 (12.3.13. 奥付 12.3.10.)
第18回配本、第18巻『別冊』 (12.4.15. 奥付 12.4.10.)
11.11.23.(月)
○ 印刷部数 精興社通知 一七八〇〇
大森〈製本〉 九三〇〇
寺島〈製本〉 八五〇〇
○ 森田草平氏から 言行録 來る。
礼状出す。
○ 行徳二郎氏から 葉書來る。
〈行徳〉俊則氏宛書簡がもう一つある筈。調べておしらせ
する と。
○ 野間眞網氏から 返事來る。既刊全集通り と。
○ 高浜虚子氏に 四十年八月十八日付書簡日付を
問合はせる手紙を出す。
11.11.24.(火)
○ 言行録 原稿 精興社渡し。 三頁半と十八行。
○ 坂元雪鳥氏から 返事來る。
書簡は未亡人のところに保管してある と。
転居通知あり。
○ 夏目家から 長田さんが 坂元氏宛書
簡 並びに 未亡人宛書簡を借りて來る。
○ 書簡集の 口繪校正來る。
全部 校了にすべし。但し 藤原
さんの來るのを待つ。
11.11.25. (水)
○ 未亡人 並びに 坂元氏宛書簡 全集と
引合せすみ。
○ 夏目家 並びに 小宮先生 印税計算
夏目家は 長田さん持参。
○ 昨日借りて來た 未亡人宛書簡 並びに
坂元氏宛書簡 を 夏目家に返却。
○ 右と一緒に 博士問題の書簡 漱石
控を 夏目家に返却。
○ 塚本虚明氏より返事來る。
但し ・・の事件、はつきりわからず。
〈注: 11.11.9. 参照〉
○ 扉 校正 來る。
○ 奥附 校正 來る。
11.11.26. (木)
○ 扉 校了
○ 奥附 校了
11.11.27. (金)
○ 岩瀬文庫の資料 撮影代 金 拾九圓八拾
八銭也 を 振替にて 横山冩眞館に拂込む。
○ 口繪 全部 校了。
11.11.28. (土)
○ 小宮先生 来店。
新声 創刊號 かへして頂く。
金色夜叉評には確かに漱石がある。
タイプ打つてくれ、 それによりて手をいれる と。
右を四通タイプ打つべく依頼す。
○ 大正四年一月廿九日 田島道治宛書簡を
小宮先生に讀んで頂く。
御手紙 を としておくなり。 を〔?〕 としておいても
いゝ と。 〔?〕 をつける。
〈注: 手紙の書出、 御手紙?拝見しました の?部分が判読しにくかったのであろう。〉
○ 明冶四十四年十一月十六日 湯浅兼孫氏あて
封筒には入つてゐる 手紙が 十月五日の日付になつて
ゐるので 小宮先生に みて頂く。
中身と封筒が別なものである事が判る。
中身は 大正二年十月五日のもので、同年〈六月二日〉に
森圓月〈次太郎〉氏に宛てた手紙によつても 大正二年
である事が證明される。
原稿、 及び 原稿の原稿 共に訂正す。
○ 行徳二郎氏より書簡來る。
行徳俊則氏宛書簡、 中山氏所蔵のうつしを
送つて來る。 □原稿編入スミ 補遺□
俊則氏に断つて載せる事 と。
○ 市原隆作 宛新資料書簡を入手したから
全集に入れては、といふ手紙が來る。
中野区〈以下住所略〉 伊藤亥三男 氏也。
〈電話番号 省略〉
長田さんが 既に展覧会でみて写して來られ
たもの。原稿には編入すみ。
○ 柳下道政 氏来訪。
宮寛氏宛葉書を持参さる。新資料なり。
書写して 直に同氏に返却す。
〈注: 11.10.29. 11.11.18. 参照〉
○ 解説 組上り。 総頁 八六四 頁
○ 本文全部 校了。
○ 博士問題の原稿 控 冩眞 焼付 來る。
三種の中 二種は書簡なれど 一種は評論
雜篇 か。 談話に既に収められたものと思つて
ゐたらなし。小宮先生にも見て頂く。確に
新資料。雜篇に入るべきものなり と。
タイプ打つ。
11.11.29. (日)
○ 長田、長村、両氏 出勤。
解説 再校を小宮先生にお見せする爲なり。
11.11.30.(月)
○ 小樽の加藤守一氏より返事來る。
書簡等はない。
古い冩眞があつたと思ふ と。
○ 言行録校正來る。三頁に下段の半分不足。
森田氏へ送る。
市内一識者より の シテ役 ワキ役の投書を
送る。
○ 口繪 ネーム校了。刷位置 決定
〈四つのイラストと寸法〉
○ 頒布肖像写真は一月に發表する事にする。
○ 行人 組上り 五一六 頁
11.12.1. (火)
○ 口繪集中 最初の書簡は上質に刷る事に
決まる。紙を入れるべく藤森さんに依頼。
○ 解説 校了
○ 森田氏来訪。
シテ役 ワキ役 の投書家は 法政大学の問題以來
何かにつけて文句をいつて來る人なる事がその
筆跡で判明。
〈注: 法政大学の問題とは、森田が、漱石門下の野上豊一郎や内田百閒らとも対立し、同大を去った事件であるが、その問題がこんなところにまで影響している。〉
○ 夏目家に電話をかける。明日と明後日と 儉印
に伺ひ度いと。承諾。
○ 小宮先生 歸仙。
月報原稿は 書き初めたところ インクを
ひつくりかへして それつきり書けなかつた と。
11.12.2. (水)
○ 行徳二郎氏から 送つて來た 行徳俊則氏
宛手紙うつしを 俊則氏に送り、全集収録
方許諾を乞ふ旨の手紙出す。
○ 書簡集 儉印。
○ 中田製函に 函の原稿渡し。
○ 今日から 第十六巻の儉印。
11.12.3. (木)
○ 今日 第十六巻 刷上り。
○ 月報原稿料 計算。発送すみ。
○ 第十四回 第十六巻分 儉印 了。
11.12.4.(金)
○ 湯浅兼孫氏から借用の漱石書簡
四通返却。書留小包にて送る。
○ 田島道治氏から借用の漱石書簡
七通 南〈いま〉持参 返却。
○ 金色夜叉合評記事(神泉創
刊號)のうつしを小宮先生に送るべく
長田氏におあづけ。
○ 右と一緒に 續書簡集の追加新資
料、竝びに 書簡集補遺 のうつしを
渡す。
○ 金色夜叉合評記事 うつしを野村
傳四氏に送る。件中から漱石を探
して頂くべく依頼。
○ 市原隆作宛書簡 新資料 提供
者 伊藤亥三男氏に返事出す。
展覧會でうつして來た事。
お上 は オカミ と読んだ事。
〈注: 11.11.28. 参照〉
○ 大森製本 表紙 校了。
11.12.5. (土)
○ 森田氏 月報原稿 依頼。
言行録 十八日。 遺跡めぐり の方を二十一日
までに と。
○ 小宮先生 原稿來る。礼電打つ。
約二頁。
精興社渡し。
○ 圖版四つ 精興社渡し。
一つ あみ版(よせ書 端書)
三つ 凸版 (署名 宛名)
○ 口繪 一頁の分だけ刷上り。各製本所に渡し。
○ 口繪順序 決定
二十五年、 二十七年、 最初の書簡、 色刷。
11.12.6.(日)
○ 口繪色刷分 半七から 直接それぞれの製本
所へ。
11.12.7. (月)
○ 高浜虚子氏から 返事來る。
手紙 手許になくて不明。と。
○ 寺島製本 一部刷 もつて來る。
口繪 位置 決定
○ 飯山さんに 今までの日記にかゝれている 新資
料 書簡が原稿に入れてあるかを調べて頂く。
長田幹彦氏宛書簡が原稿になし。(一〇・一一・二一)
その痕跡さへない。
奧村氏所有に属するもの。何とかする事。
〈注: 長田幹彦(ながた みきひこ、1887.3.1. - 1964.5.6. なお、 一〇 とは西暦
で1910年・明冶43年のことか。)
○ 言行録 校正來る。
森田草平 記 を書き入れる。
11.12.8. (火)
○ 三須鉚 宛書簡旧資料 宛名をみるべく
三須佳木氏を訪る。うつし來たる。原稿入れすみ。
○ 鈴木三重吉氏宛書簡中 日付 不審の点あり、
鈴木氏を訪る。不在。明朝訪る事。
〈注: 三重吉は、この年 11.6.27. に没しているので、この鈴木氏とは、遺族の鈴
木珊吉氏のこと。 「名簿」には、 三重吉 を消して、棚吉 と記入してある。〉
○ 行徳俊則氏から 同氏宛手紙うつし 頂いて來る。
○ 奧村義郎氏から電話あり。
ついでに 長田幹彦宛葉書拝借方依頼。
遠くの倉に入れてあるから 五日ほどかゝる と。
○ 續書簡集 原稿、 一 ~ 一二六 まで渡し。
○ 月報用 圖版校正。並びに 小宮先生 原稿
新組來る。要再校で出す。
○ 金庫 全部 整理。
長田幹彦氏書簡うつし、並びに書簡
編入落のものなきか 探す。
いづれも発見せず。
11.12.9.(水)
○ 鈴木〈珊吉〉氏を訪る。
大正元年十一月 日付不明の端書二通拝借
し來る。
いづれも スタンプ 不可讀。
從来の位置におき、日付不明 とする。
○ 戸川秋骨〈明三〉氏に手紙出す。
四十五年五月廿八日付手紙の 「昨日」 並びに 日付
について伺ふ。
〈注: 11.12.14. 参照 〉
○ 大谷繞石氏に手紙出す。
大正二年 ・・ 繞石氏宛手紙の日付 伺ふ。
○ 山中 巌氏に 手紙出す。
行徳俊則氏宛手紙のスタンプ。発信地名
「急く」 の 「く」 を伺ふ。 うつしを一緒に送る。
○ 月報 校了
11.12.10.(木)
○ 加賀正太郎氏宛漱石書簡 新資料
スタンプ疑問につき 上住氏に 問合はせ。
11.12.11.(金)
○ 續書簡集 原稿渡し 一二七 ― 最後 補遺まで。
○ 出版届出す。十五日 發行。
○ 第十五回配本 第七巻 行人 の印刷部数 申請
一七五〇〇 製本
一七六〇〇 印刷
11.12.12. (土)
○ 久保田万太郎氏を訪問。病中 面會出來ず。
書簡は震災にて焼失。
萬太郎 万太郎 は、 万 の方で。 と。
○ 佐佐木信綱氏宛書簡四通、大塚楠緒子氏宛
一通 計五通、佐々木氏に返却。(長田さん
持参) 奥さんにお手渡しする。
○ 古川氏より 索引のケイを引いた 書簡集 續書簡
集 二冊を頂く。
○ 古川氏に渡し。
普及版 索引のケイを引いたもの、 第五、第六、第七巻
三冊。(事項索引のために)
○ それから 原稿 が 村口書店〈にある を削除して〉 の所有な
る事を同店の目録によつて知る。
一千八百圓 の價がついてゐる。
○ 右書店に長田さん 行つて見てゐらしたよし。
確に 「それから」 の原稿であつたよし。
後から 電話がかゝつて來て、三浦〈直介〉氏から
一千五百円で買つた。岩波さんなら 一千七百円
でさし上げてよろしい と。
○ 鈴木三重吉氏遺族から 電話あり。
お手紙をお貸ししますからおいで下さい と。
月曜日午前九時頃お伺ひする事を約す。
○ 第十五回配本 行人の奥附原稿渡し。
11.12.14. (月)
○ 野村傳四氏から 原稿二種來る。
続いて手紙來る。 礼スミ
金色夜叉合評會の □ は確に漱石也 と。
○ 鈴木三重吉氏遺族より 左記のもの拝借し來る。
漱石書簡(三重吉宛) 四四〈注:44通のこと〉。
漱石端書( 〃 ) 二七(九日の分と合せて 二九) 〈注: 11.12.9.〉
寺田寅彦書簡(三重吉宛) 六
〃 (端書) 一
鷗外書簡(三重吉宛) 一。
○ 右のうち、寺田、鷗外のものそれぞれの全集の
係に貸し、今日、いづれも返却あり 受取る。
○ 月報第十四號 寄贈すみ。
○ 書簡集 寄贈すみ。
○ 口繪 色刷 原稿渡し。
ヨコ 二寸七分 タテ 四寸
○ 野村傳四氏から來た原稿、 と手紙を 小宮先生
に送る。
○ 遠藤雄士氏から 月報をくれと又いつて來る。〈注: 11.10.23. 等参照〉
(坊つちやん の眞相)と取つかはせてならいゝ
と返事を出す。
〈注:なぜ月報くらい送ってやらないで、こんなやりとりをするのか、不可解である。 11.10.19 11.10.23 それに、11.12.24. 参照〉
○ 深田あさ氏から返事來。既刊全集の通り と。
〈注〉1年前の 10.12.21. の日記に、以下の記録。
深田康算氏宛書簡の おつれ を探してもらう事を
仝 あさ氏(注: やすかず氏の夫人)に依頼すべし。
ずいぶんのんびりしたやりとりである。
○ 戸川秋骨氏から返事來る。封筒なくて
スタンプ不明なり と。
〈注: 11.12.9. 参照〉
○ 行人 印刷部数 決定
一七六〇〇
一七五〇〇 製本
11.12.15. (火)
○ 夏目家から 左記のもの拝借し來る。
一、閑來放鶴の國
一、冩眞原版 二箱
○ 上住卯一氏 代 中村清太郎氏より 加賀氏宛
書簡スタンプうつし 來る。
〈注: 11.12.10. 参照〉
○ 長田さん 大石泰蔵氏を訪問。
同氏宛書簡の全集掲載方の許諾を得。
小宮先生の解説にでも書いてもらひたい と。それは
出來ないから 明暗 の解説の時にでも と答。
大阪朝日 及び 文芸談話會 の方にも 大石並びに
石濱〈純太郎〉氏の許諾を得て全集に載せる事になつた
事を報告する事を約す。
○ 行人 校了になり初む。
11.12.16. (水)
○ 昨日借りて來た冩眞原〈版 を消して〉板を大塚に持つて行き
焼付を依頼。
○ 上住氏 代理 中村清太郎氏に礼状出す。
○ 鈴木三重吉氏宛はがき 新資料 を先日拝借
して來た書簡の中から発見。直に原稿
作製、精興社渡し。
○ 口繪冩眞 一枚(原稿冩眞) 半七渡し
ヨコ 二寸 五分
○ 續書簡集 校正初む。
○ 鈴木三重吉氏宛書簡 全部引合済。
○ 大塚ヒロシ氏のところに 書簡新資料あるよし。
明日拝借に行く事。
○ 松根東洋城氏に 俳句季題別のお礼
をする。
○ 漱石肖像写真の件に附いて大塚巧藝社 田中氏の言葉
1. 大きさは指定通り、如何程にも出來る。
2. 無光澤 中厚手紙 使用 (縱 九寸五分 横 六寸九分) 五〇〇枚作製にて
一枚 約四〇 銭。
3. コロタイプは最小限三〇〇枚
製版代 …… 四円
刷代 一度刷 …… 一枚 四銭
〃 二度刷 …… 一枚 七銭
紙代 ……
尚、「長田さんと會つて色々話してもよい」 と。
11.12.17. (木)
○ 大塚弘氏より 左記の品 拝借。預証を入れる。
大塚保冶 宛 繪はがき。
年月不詳 三八? 三九?
○ 第十五回 第七巻 行人 奥附 校了。
大森〈製本〉 九一〇〇
寺島〈製本〉 八五〇〇
○ 第十五回 第七巻 「行人」 の扉金版 四個
精興社渡し。
11.12.18. (金)
○ 解説 原稿 來る。
○ 解説 原稿 精興社渡し。
○ 大正元年の冩眞 焼付 來る。原板五枚 かへつて
來る。
○ 口繪冩眞 一枚 半七渡し。 ヨコ 二寸四分
○ 月報原稿 言行録 森田氏より來る。
○ 右 直に 精興社渡し。約二頁半強。
○ 「行人」 本文 校了
11.12.19. (土)
○ 解説 組上り。 五五二 頁。
○ 函 校了
○ 解説 初校 小宮先生に送る。
○ 「行人の材料」 を小宮先生 御執筆の由
二十七日 御上京の折 お持ち下さる と。
○ 大塚巧藝社に 大正元年冩眞 並びに こわれ
た冩眞の原稿 計 四枚 渡し。
11.12.21. (月)
○ 森田氏 原稿來る。
○ 森田氏分の挿繪として 漫画 坊つちやん
の圖版原稿 渡し。 四ケ。
(中央文學 二冊)
○ 布川さんに 加賀正太郎氏宛書簡冩眞
一枚渡し。上住氏に送つて頂く爲。
○ 同時に 石濱純太郎氏に、大石氏が全集
収録を承諾されたから 實物を拝借し度ひ
旨 手紙を出してもらふ。
○ 奧村義郎氏から 長田幹彦あての
はがきを借りる。
○ 右 直に原稿にして 精興社渡し。
11.21.22. (火)
○ 口繪 校正 來る。
色刷 要校 他は 校了。
ネーム。
「行人」 原稿の一部
大正三年九月撮影
梧桐
〈注:口繪3点の寸法付イラスト。 このイラストをさらに大きく描いた別紙と 月報15號8頁に掲載の 「行人」 カツト 9点の タテ ヨコ 寸法の詳細を記したもの、計2枚が貼附。 11.12.23. 参照〉
○ 言行録 校正 來る。
森田氏に送る。
11.12.23. (水)
○ 大阪朝日 並びに 文芸談話會 に 大石氏
宛書簡を全集に収録する事を大石氏、
石濱氏 に快諾を得た旨 挨拶状出す。
○ 「行人」 カツト 原稿用として アミ版作製、
原稿 精興社渡し。9枚。(河野氏 切抜)
○ 「行人」 續稿について その他 、計三つ、アミ版
作製の爲、原稿渡し。(河野氏 切抜)
○ 野村傳四氏の 「散歩した事」 原稿 精
興社渡し
○ 鎌倉氏に 右の本 拝借方 速達にて依頼。
「行人」 初版本 美本があるなら。
○ 野村傳四氏 原稿 「散歩した事」 「神泉」 二つを
森田氏に送る。
〈注:森田氏経由で返却ということ。〉
○ 口繪 色刷 を電話で校了にする。
○ 扉 校了
○ 口繪 紙 を入れてもらふ。
○ 大塚巧藝社から 大正元年肖像原稿
三枚 返して來る。
11.12.24. (木)
○ 第十五回配本 第七巻 行人 儉印。
○ 第十四回配本 第十一巻 書簡集 印税計算。
○ 小宮先生から 原稿 「行人の材料」 來る。
五十枚。精興社渡し。
他の原稿を差止め 小宮先生と言行録だけ
にする。
○ 解説 校了
○ 口繪 ネーム 校了
○ 別紙控 2冊もの 夏目家に返却。
一、お房さん冩眞、 一、大正元年撮影原板四、十二才頃ノモノ一、
一、博士問題ノ福原氏書簡封筒一(三通入)。
〈注: 明冶44.2.21. 同4.13. 書簡あり。〉
一、彼岸過迄 原稿 一。
○ 鎌倉氏から左記のものを送つて來る。
一、「行人」初版。
一、漱石先生と坊つちやん 切抜 (遠藤氏のを貸してあげたいから)
〈注: 11.12.14 参照。〉
11.12.25. (金)
○ 行人 初版 精興社渡し。
表紙見開き ヨコ 三寸
扉 ヨコ 一寸二分
箱 背と両方みせて ヨコ 一寸二分
○ 森田氏 言行録の校正 かへつて來る。
○ 「散歩した事」 校正來る。
○ 追加儉印
第一回 二、三、四回 各 三〇〇 部
第五回 二〇〇 部
○ 上住氏から はがき 來る。
漱石はがき 二三 あるはづだが 置所不明
にて今度のには 間に合はない と。
11.12.26. (土)
○ 〈小宮先生来店。 と書いて削除〉
11.12.27. (日)
○ 小宮先生来店。左の件 御決定。
大塚保冶氏宛繪はがきは 丗八年 と推定。
〈注: 明冶38.4.7. 猫の繪の件〉
11.12.28. (月)
○ 月報 校了。
今年中に一萬部 刷了。
〈注: 15回配本 第7巻『行人』 〉
○ 鈴木三重吉氏遺族より 電話にて 転居通知あり。
寺田さんの葉書が出て來ましたから 取りに來い と。
漱石の手紙を返却傍ら 拝借に出ます と返事
をする。
11.12.29. (火)
○ 續書簡集 組上り。 六一八 頁。
○ 大塚保冶氏宛 繪はがき を 補遺に入れる。
○ 大塚保冶氏宛書簡 一、 並びに 鈴木三重吉氏宛書簡
八 を撮影。
○ 「行人」 初版本を鎌倉氏へ返却すべき諸本の
中に入れる。
○ 「行人」 の口繪 順序 決定。
一、 肖像
二、 行人 原稿
三、 梧桐
〈注: 11.12.21. 参照。〉
○ 古川氏来店。
第五巻、第六巻 の 追加カードを持参さる。
受け取る。 お礼 一部 差上げる。
第十三巻、第十六巻、第十七巻を持参さる。
(事項 索引 の爲)
○ 大塚弘氏 左の物 返却。(書留便にて)
明冶三十八年四月七日付 繪はがき
○ 松崎哲郎氏に 左のもの返却(書留小包にて)
同棲十三年 (大正二年十一月 松崎天民 宛書簡
新資料 掲載分)
〈大2.11.12. 書簡。 11.9.18. 参照。〉
〈注: 上2点、本日付郵便物受領證 貼附〉
○ 鈴木三重吉氏宛書簡 引合はせすみ。
明朝 返却 の事。
11.12.30. (水)
○ 煤拂
○ 鈴木三重吉氏宛書簡 計 七十三 通
返却。
○ 寺田寅彦氏の 端書(三重吉氏宛) 五通
(中 繪はがき 一通)を 鈴木家より拝借。
預り證を置いて來る。
11.12.31. ---------- 12.1.5.
〈朱で〉 年末 年始 の休暇
〈注: 決定版に従事してから、これは2回目の正月。昨年は、大晦日に寺田寅彦が死去するという大事件があり、ゆっくりした正月はとれなかった。〉
12.1.6. (水)
仕事始め。
○ 一月配本 「行人」 の奥附に誤植あり。(岩茂茂雄)―
爲 印刷直しに掛かる。
午後七時までに 大森 五千部、寺島 三千五百部 渡す
○ 寺田寅彦より 鈴木三重吉宛 ハガキ 五通 を寺田全集係〈注: ? がある〉
鈴木さん に手渡す。
○ 大塚弘氏より、 大塚保冶氏あて ハガキ の預り書 が返つて來た。
〈注: 11.8.19. 松木喜八郎氏から 草枕 原稿 拝借 の際の預証ほどではないが、
岩波茂雄直筆の丁重なものである。以下全文を記す。〉
預リ書
一、 大塚保冶氏宛 夏目漱石 葉書弐葉
右 漱石全集書簡集資料 トシテ 拝借
仕候 用済ノ上ハ 直ニ 御返済可申上爲念
預リ書 差出申候也
昭和十一年十二月十七日
神田区一ツ橋二丁目三番地 岩波書店
岩波茂雄 印〈岩波〉
大塚 保冶 様
○ 月報 十五號 寄贈をする。
○ 後藤〈栄蔵〉さんに 出版届 を書いていたゞく。
○ 二月配本 第十七巻 「續書簡集」 扇金版 を精興社
に渡す。
○ 野村傳四氏より 返事來る。
即ち、 「問ひ合せの新潮其の他は 本図書館に持ち合せ
無し」 と
○ 大山崎文庫(山梨)より返事。
即ち、漱石自筆のハガキなし、御夫人の代筆のもの
ばかりなり と。
〈注:本日分のほぼすべてがメモされた貼附用紙。本日分は、これからの転記。〉
12.1.7. (木)
○ 二月配本 「續書簡集」 十七巻 奥附 精興社渡し。
○ 「行人」 奥附 寺島 五千部、 大森 四千部 渡し。
○ 出版届を大森に渡す。但 日付は八日なり、十三日發行
○ 半七 藤原さんに 口繪 三点 渡し。
1. 閑來放鶴 2. 遺墨集(冩眞) 3. 第二次 續書簡集。
「行人」 口繪原稿、… 梧桐 … 藤原さんより受け取る。
○ 「行人」 十四日 配本 と決定。
○ 山形縣長井町〈以下の住所省略〉 秋保光吉氏より 来信
「新潮」 大正三年九月、同四年三月、持合はせ有り と。
直ぐ送つてもらう樣 電報打つ。
12.1.8. (金)
○ 「續書簡集」 奥附 校正 出る。要再校で返す。
○ 「續書簡集」 函 校正出る。要再校で返す。
○ 「短篇小説 下」(索引)傍線を決定版に引うつす。
○ 十二月末に撮影の 鈴木三重吉氏宛 書簡 焼付 四枚
と同ハガキ 竝に 大塚保冶氏宛 繪はがき の一枚 大塚巧藝社
より届けて來る。
〈以下の2件は、 七日 と注記がある〉
○ 本郷区〈以下 住所略〉 松下 滋 氏より来信。
改造社版 「子規全集」 四〇二 頁 消夏策 の項に 漱石の
手紙二ツ有り。決定版 書簡集に未収録なり と。
○ 右は新資料なり。菊判 「子規全集」 には未収録のものなり。
小宮先生に送る。
12.1.9. (土)
○ 遠藤雄士氏に 月報三號 ― 十五號 を送る。
○ 秋保光吉氏より来信 「新潮」 大正三年 を昭和と間違へ
たと。 即ち持ち合せあるのは 昭和なりと、おはびの
手紙なり。
○ 成田図書館より 「新潮」 揃い、合本あり と。
西島さんより 近日中 御伺ひする旨 手紙を出していたゞく。
○ 函 校了。
12.1.10.(日)
○ 長田 飯山 両氏、成田図書館 行。
「新潮」 を調べる。新資料(?) 発見。 「何故に小説を書
くか」(別冊?) 外 書簡の引合はせをして來る。新潮宛のを。
12.1.11. (月)
○ 第十五回配本 「行人」 寄贈。
但 松岡、鎌倉、 両氏には送らず。
○ 松本文三郎氏 月報原稿 森田氏より送り來る。
その中に漱石の松本氏宛書簡 三通あり 新資料なり。
日附 其他 を問ひ合せる。
○ 成田図書館 へ礼状を西島さんから出していたゞく。
○ 大谷喜久子氏(大谷正信氏夫人)より来信。
〈正信 は 大谷繞石の本名〉
12.1.12. (火)
○ 「續書簡集」 配本入用部数 竝に 參考表を卸部
武田〈正三郎〉氏に依頼す。
12.1.13. (水)
○ 鎌倉、松岡、両氏に 「行人」 を送る。
○ 夏目家に 「行人」 九冊 を届ける。
○ 二月配本 「續書簡集」 部数 申請
印刷部数 一七、四〇〇
製本部数 一七、三〇〇
12.1.14. (木)
○ 大谷喜久子氏より 大谷正信宛書簡 一巻。(集中 最後の
書簡 外十通を一巻となしたもの) を拝借する。
○ 右書簡一巻を半七、藤原さんに渡す。版を新たに
作製の爲に。月曜 十八日頃 右書簡が返つてくる
筈。
12.1.15. (金)
○ 小宮先生 来訪
○ 大石泰蔵宛 漱石書簡 二通 石濱〈純太郎〉氏より送り
來る。
〈11.12.15. 参照。〉
○ 松本文三郎氏より 漱石書簡新資料 三通
送り來たる。
○ 「明暗」 原稿 大型 一 頁 より 二二二 頁まで 精興社渡し。
〈注: ここの「原稿」は、自筆原稿ではない。何度も出るが、印刷台本のことで、 大型 とは大正13年版のこと。要するにこれを決定版の底本にしているということ。 自筆原稿については、 12.1.17. 参照。〉
○ 「續書簡集」 奥附 校了。
昭和十二年二月五日 印刷
昭和十二年二月十日 發行
12.1.16. (土)
○ 「明暗」 原稿一部 精興社渡し。 大型 二二三 頁 ― 三五〇 頁
12.1.17. (日)
○ 日曜出勤 四人
○ 「明暗」 原稿引合せ
〈注: 原稿 の意味をしっかり区別する必要があることを、「連載を前に」で述べたが、 ここの 12.1.15. 12.1.16. 12.1.17. は特に注意。最後の三つ目だけが、自筆原稿である。池崎忠孝氏から、11.10.19 以來借りている。〉
12.1.18. (月)
○ 「明暗」 原稿 三五一 頁 より 四六二 頁 渡し。
○ 月報原稿 「松本文三郎氏の漱石の思ひで」 精興社渡し。
〈注: 月報十六號掲載〉
12.1.19. (火)
○ 半七より 「閑來放鶴」 原稿 竝に 校正 來る。
要再校で返す。
集中 「最後の書簡」 (口繪) 校正 出る。 要再校で
返す。ネームを付けて。
○ 「續書簡集」 製本部数 百部追加を卸部
伊澤さんより云つて來る。爲、森さんに通知す。
変更部数 一七、四〇〇 印刷
一七、四〇〇 製本
○ 大谷正信氏宛書簡 一巻 半七より返り來る。
12.1.20.(水)
○ 「言行録」 森田さんより送る來る。御礼を
出す。四〇〇字詰 拾壱枚なり。
○ 「言行録」 月報 原稿 精興社渡し。
○ 大谷喜久子氏に 書簡一巻をお返し
する。
〈岩波茂雄直筆の 預リ書 が貼附されているが、文面は、12.1.6. 大塚弘氏宛のものとほぼ同一。〉
○ 「續書簡集」 校了になり始る。十九頁まで
校了となる。
12.1.21. (木)
○ 額面用 「肖像」 … 二枚 アミ版作製のため 精興社へ
渡す。 縱 二寸七分。 十六號月報に豫告として掲載する
事。
○ 十六回 印刷部数 製本所割当
大森 … 九千 部
寺島 … 八千四百部
○ 松岡譲氏より来信
京橋区新川町 一ノ五 丸玉商会内 前島栄冶郎氏が書簡
を秘蔵の由、同商会の野口堅次氏が話したと、
京橋 二三一 に電話を掛け 野口氏と話す 明日伺ふ事とする。
12.1.22. (金)
○ 丸玉商店の野口堅次氏を介し 同商店 前島栄次郎氏
より坪井氏宛一巻、小池氏宛一通 漱石書簡拝借す。
二通共新資料なり、前者は補遺に 後者は大正五年に
それぞれ編入す。
○ 坪井氏宛一巻、大塚巧藝社に撮影依頼する。
○ 「續書簡集」 頁数 二頁増。本文 六一八 頁 なり。
○ 松本文三郎氏に 書簡 六 (ハガキ 二、 手紙 四) 書留にて返却
○ 石濱純太郎氏に 書簡二通返却 書留にて。
○ 「月報」 校正(初校)出る。言行録 要再校で出す。
12.1.23. (土)
○ 明暗 原稿 四六三 頁 より 七三四 頁(最後)まで精興社
渡し。
○ 口繪 色刷 校正出る。校了にする。ネームを付けて
やる。
○ 前島栄治郎氏に 書簡二通返却す。
○ 月報 「漱石の思ひで」 を要再校で出す。
○ 「三百六十五 格言」 … 漱石句アリ … 一冊 鎌倉氏より拝借す。
… 雷の圖にのりかけて落ちにけり … 新資料?
〈注: 12.1.28. 参照。ここでも 「のりかけて」 のまま。その後、 昭和30年、
雷の圖にのりすぎて落ちにけり として収録〉
○ 古川氏来店 索引用 普及版 「書簡集」 「續書簡集」 を 及 カー
ド 二千枚 をお渡しする。
12.1.25. (月)
○ 森田氏に 言行録校正を送る。
○ 「續書簡集」 解説原稿 來る。礼電を打つ。
○ 解説原稿 精興社 青木さん に渡す。
二〇〇字詰 九二 枚。
○ 大塚巧藝社より 坪井氏宛書簡 焼付 來る。
〈注: 12.1.22. 参照。〉
12.1.26.(火)
○ 解説 初校出る。本文 六八二 頁なり。
○ 解説 初校 及 「三六五格言」 小宮先生 に送る。
○ 總頁 六八二 頁 (奥附ヲ除キ) 伊藤さんに通知す。
〈注: 同日附 受取人 小宮豊隆 郵便受取證 貼附。 朱のスタンプで「特別配達」〉
12.1.27. (水)
○ 第一回より第五回迄の追加儉印分 及 第十五回 「行人」 儉印分
の印税計算 支拂。
○ 小宮先生分印税。堤さんに報告。
○ 第十六回 「續書簡集」 儉印
○ 森田氏より 言行録 來る。
○ 月報 全部 要三校 で出す。肖像冩眞 横 一寸 に作り
なをす。
12.1.28. (木)
○ 解説校正 小宮先生より返る。
○ 山本善太郎氏に 日本文學 13 17 19 三冊 漱石全集の御礼
として寄贈。
〈注: 山本善太郎の名前は、ここで初出〉
○ 「三六五 格言」 七月五日 …
雷の圖にのりかけて落ちにけり、 … 漱石
別冊に補遺として入る事。… 四十四年? トスル(小宮)
〈注: 12.1.23. 参照。〉
○ 長田、長村 両氏 漱石山房 に行き 書籍書入、下調べ。
○ 「續書簡集」 儉印 全部 終了。
○ 〃 配本日 二月十四日 と内定。
12.1.29. (金)
○ 口繪 順序
1. 閑來放鶴
2. 我師 自然
3. 集中 最後の書簡
12.1.30. (土) 〈空白〉
12.2.1. (月) 〈空白〉
12.2.2. (火)
○ 索引カード 五千枚 注文
○ 月報 十二頁 一七四〇〇部 の紙を入れて頂く樣 伊藤さ
んに依頼す。
○ 「文學」 二月號 … 独訳 「夢十夜」 その他 を讀みて … 所載
鎌倉氏 に寄贈
○ 月報 責任校了にする。
12.2.3. (水)
○ 寺田全集 鈴木〈珊吉〉氏より。 寅彦より三重吉宛ハガキ 五枚を
受け取る。金庫の引出に入れる。
〈注: 11.12.8. 参照。〉
○ 「別冊」 講義 原稿 … 大型 三五五 ― 四三六 精興社渡し。
○ カード 五千部 出來 〈注: 注文した品が届いた、の意味。 12.3.3. には、一
万部 を注文。〉
12.2.4. (木)
○ 鎌倉氏より来信。 「讀賣新聞」 の漱石朝日入社前 一、二年
の項を調べる樣に と。
○ 長田さん。 仙台に行く 「明暗」 と 「別冊」 を持ちて。
12.2.5. (金)
○ 上野図書館 にて 「讀賣新聞」 明冶三十九年一月より四十年四月
まで調べたるも 新資料発見せず。
○ 月報 七千部 届く。
○ 月報 寄贈
12.2.6. (土)
○ 「明暗」 奥附 原稿 及 金版(扉) 精興社渡し。
○ 仙台にて決定の分
1. 「書物往来」 大正十三年六月號所載 … 漱石と黄河 … 七松庵主人 … 中
の … 「明冶三十三年九月七日附 『時事新報』(留學に際し諸君に告ぐ) …」
は不採用。
2. 「新文壇」 明冶三十九年十一月號所載 … 『讀書法』 … は全然無視して可
成り と。 不採用。
12.2.8. (月)
○ 「文學」 十一年十二月號(海外の漱石研究)一部 松岡氏に送る。
○ 口繪(明暗) 半七渡し。
1. 遺墨集 一冊
2. 全集 明暗 第一次 一冊
3. 冩眞 … スケツチ、原稿、机
○ 大森より 續書簡集 仮綴分 四冊 來る。
12.2.9. (火)
○ 出版届を後藤さんより書いていたゞく。
昭和十二年二月十四日 發行
12.2.10. (水)
○ カーライル博物館所蔵、藏生目録、精興社へ渡シ。
○ 出版届 を大森に渡す。
○ 成田図書館に行き、「新潮」(別冊)を引合せする。但 三十八年三十九年
は無し。残念也。「英語青年」(別冊)一篇を残し全部引合せする。
○ 「明暗」 扉 校正。 奥附 校正 出る。
○ 第一高等學校より 校友會雑誌合本、大正三年(漱石氏講演筆記)
を拝借す。
〈12.2.11. は、平日だが期日記入なし〉
12.2.12. (金)
○ 「續書簡集」 寄贈分 入品。發送す。
○ 中田〈製函〉より 函校正 來る。
○ 「明暗」 組上り 七九二 頁
12.2.13. (土)
○ 午後一時より 午後五時半まで、古川〈久〉さん来店。索引の仕事を。
12.2.15. (月)
○ 夏目家行。全集九冊と堤さんよりの手紙をお渡しする。
○ 別冊 初校 出始む。
○ 扉、函 文字 校了。奥附 要再校 で出す。
○ 肖像冩眞 A B 二種 各 五十枚 大塚巧藝社より届く、@ ・、40
○ 上村洋紙店に 12オンス ポール 二百枚、注文。
○ (松本氏、野村氏、 … 散歩した事、神泉 共に)
〈注: 11.12.23. 参照。〉
12.2.16. (火)
○ 肖像冩眞 焼付 A B 各五十枚、卸部へ。
刊行會用 トシテ 各 十枚、内 各一枚 ヲ 鎌倉氏ニ送ル。
○ 部数決定調査報告、 卸より來る。
○ 第一高等學校の友會雑誌 所載 「模倣と独立」引合スミ
12.2.17. (水)
○ 「明暗」 部数申請、 一七、四〇〇 部 印刷 製本
○ 亀井高孝先生 に 一高校友會誌 返却
○ 森田先生より 「漱石先生 言行録」原稿來る。 二〇〇字 二一枚
礼状出す。
〈注: しばらく前から、新しい筆跡が出ているが、この日記において、森田草平
が、先生と書かれるのは初めてである。〉
○ 大塚巧藝社より 肖像冩眞 コロタイプ A B 各 百枚
入品す。 各 十部 刊行會用とす。
12.2.18. (木)
○ 月報 第十七號 トツプ 中谷〈宇吉郎〉氏の 冬彦夜話、 200〈字〉 20〈枚〉
言行録 … 精興社渡し。 200〈字〉 20〈枚〉
○ 奥附 校了 十二年三月五日 印刷
十二年三月十日 發行
○ 大塚巧藝社より 肖像冩眞 コロタイプ A B 各 二百枚 入品。
○ 卸部に 右冩眞 各 三百枚の内、各百枚を渡しその
内より 刊行會用 各 十枚とす
○ 小宮先生に山房蔵書の洋書 五冊 書留 にして送る。
12.2.19. (金)
○ 「明暗」 部数決定。 一七、四〇〇 部
大森 九、〇〇〇。 寺島 八、四〇〇
○ 「明暗」 十三頁まで校了。
12.2.20. (土)
○ 大塚巧藝社、 影響 … 山房蔵書本三冊 カビネ 三枚
○ 肖像冩眞、 一 (焼付分) A B 各 五十枚 注文
12.2.22. (月)
○ 口繪(明暗) 全部四枚 校了。ネームを附して返す。
○ 肖像發送封筒 六十枚 注文。
○ 「明暗」 初版、單行本 鎌倉氏より送り來る。
12.2.23. (火)
○ 「明暗」 解説原稿 來る。二〇〇 字 百五枚 礼電打つ。
○ 「解説」原稿 精興社渡し。
○ 「月報」校正 出る。
○ 新田〈封筒店〉より 肖像封筒 六十枚入品
○ 大塚巧藝社(肖像冩眞)より 一A 一〇枚 一B 二十枚 入品。
A. 原板破損の箇所ありし 御作り直しする
との事なり。
12.2.24. (水)
○ 解説 組上り 八三四 頁
○ ネーム 校了
○ 長田さん 大岡山の 〈東京〉工業大学に行き、別冊、講演
… 模倣と独立 … を調べる。前版に東京高工
校友會雑誌とありし爲、調べたるもその當時校友會誌
なかりし由、 「淺草文庫」とか云う誌名にて當時
出てゐた樣記憶ありと、… これを調べる事。
○ 解説 初校 小宮先生に 別配にて送る。
○ 巧藝社より 肖像 一B 三十枚 入品 卸部渡し。
外、 別冊用、書入冩眞 カビネ三枚 届く。
12.2.25. (木)
○ 月報 言行録 森田さん 送り。
12.2.26. (金)
○ 森田氏より 月報 校正 返つて來る。
○ 一月分 印税計算。夏目家はお届けし、小宮先生分
は堤さんに報告の事。
○ 池崎忠孝氏より電話あり。
「明暗」 原稿 拝見致したき人あり。後程お電話を致すか
ら二三日借りたい と。
〈注:『明暗』の自筆原稿に関してだけは、岩波はルーズである。というよりも、所
有者である池崎氏がこんな遠慮した言い方をするのは、何故なのか。これまでなら、
特に自筆原稿の場合、岩波が借りられるのは1週間である。それが、11.10.19. に
借りて以來、そのままになっている。池崎氏と小宮の特別な関係なのであろうか、
他では必須である借用証を書いた形跡もない。〉
12.2.27. (土)
○ 月報用挿繪 及び カツト 精興社渡し。
○ 夏目家に電話。 一、二日儉印。
○ 精興社より 四日 刷上り と云つて來る。大森〈製本〉に
電話したら 「十三日配本に間に合はない 由、
二日か遅くとも三日 刷上り でなければ」 と。
○ 古川さん 来店 午后一時 ― 五時。
○ 「別冊」原稿渡し(・・まで 全部 スミ)
12.3.1.(月)
○ 儉印 今日と明日。
12.3.2. (火)
○ 肖像冩眞 一A 四十枚 入品 卸部渡し。
右を五十枚 大塚〈巧藝社〉 に注文す。
○ 新田に封筒 百枚 注文。
○ 大森より 表紙 來る。校了。
○ 月報用 冩眞 出來て來る。
圖版の位置を決めて校了。
12.3.3. (水)
○ 索引用カード注文 一万部
○ 新田封筒店より 肖像封筒 百枚來る。
○ 月報 事務室から 原稿 精興社渡し。
○ 半七より 口繪 九千 入る。大森製本の分
○ 大塚巧藝社に 一A 五十枚(前回と合せ 七十部)
一B 三十枚 注文
12.3.4. (木)
○ 肖像冩眞 一A. 一B. 二A. 二B. 各一枚 小宮先生に。
12.3.5. (金)
○ 肖像冩眞 一A 五十部 一B 十四枚 入品。卸渡し。
○ 口繪順序決定。 1. スケッチ 2. 菊 3. 原稿 4. 机。
○ 肖像冩眞 一A 五十枚 追加注文。
○ 新田封筒店 一〇〇 注文。
○ 月報 校了。 八頁 刷上り予定 九日夕方
「讀者カード」 校了。 官製ハガキ 「七、四〇〇 枚(二六一円)」
精興社渡し。
12.3.6.(土)
○ 解説 刷本 第一回 より 第十七回 まで 小宮先生に送る。
○ 新田より 封筒 一〇〇 枚 入品
○ 大塚巧藝社より 肖像冩眞 一A 20 一B 16 入品 卸渡し。
○ 「別冊」口繪 變更。從来の ツアラートストラ の書込を止め、新た
に 「モーパツサン」 の書込にする。(小林さんが 小宮先生
より伺つて來てくださつた。)
○ 索引カード 入品。 一六、〇〇〇。 外 一〇、〇〇〇 位
12.3.8. (月)
○ 別冊 原稿 ― 談話、最初より 「現時の小説〈及文章に附て〉」まで精興社渡し。
12.3.9. (火)
○ 「別冊」扉金版。奥附原稿 精興社渡し。
○ 出版届。十四日発行。後藤〈栄蔵〉さんより書いて戴く。
○ 月報 十七號 言行録 原稿料計算。 会計へ印税
と同送する樣 依頼す。
○ 半七 に口繪原稿 三ツ 渡し。
○ 大森製本 表紙位置 校正來る。
12.3.10. (水)
○ 出版届。 大森に渡す。十日の日附にて 十四二日 發行。
○ 表紙 文字位置決定。 やゝより過ぎの感あり。
大森に返却。
○ 『明暗』原稿 引合せ 全部済み。
12.3.11. (木)
○ 月報 七十部 届く。
森田氏 を始め、各々 送る。
12.3.12. (金)
○ 上野図書館行。 「別冊」ルビ 調べ。
○ 別冊 原稿渡し、 談話 六 ― 十五まで。
12.3.13. (土)
○ 明暗 寄贈。
○ 古川さん 午後來る。四時頃まで。
12.3.15.(月)
○ 大塚巧藝社 肖像冩眞 注文。 一A 50 一B 30
○ 大塚より 一A 50 届く。
○ 奥附 校正 出る。
○ 精興社、 官製ハガキ 74 枚渡し。讀者カード用不足分。
12.3.16. (火)
○ 第十七號 月報 原稿料計算 中谷宇吉郎氏
に為替にて送金する。
○ 「別冊」 談話原稿 一八 ― 二五 渡し。
○ 函 校正 出る。
12.3.17. (水)
○ 別冊 原稿 (談話 二六 ― 三五) 精興社渡し。
○ 讀者カード 整理。 左記三者 に返事
芝区 田沢 進 氏
王子区 大川金太郎氏
目黒区 渡邊五郎氏
○ 別冊 部数申請 一七、二〇〇 印刷 製本。
12.3.18. (木)
○ 別冊 原稿渡し、 36 - 45 46 - 65 まで
○ 大塚巧藝社より 肖像冩眞 一B 30 枚 届く。
○ 「別冊」 部数決定 一七、二〇〇部 印刷 製本。
12.3.19.(金)
○ 肖像冩眞 一A 五十枚 一B 三十枚 卸部渡し。
○ 「讀者カード」整理、 右三氏に返事。取換分(汚損)
大阪 西田三郎 氏
渋谷 江間眞三 氏
仙台 早坂礼吾 氏
12.3.20.(土)
○ 談話 「枯木」 ・・ 精興社渡し。
○ 讀者カード 整理。左記四氏 返事
橫濱市 北本充男 汚損
名古ヤ市 森田正美 汚損
岡山市 重盛福七郎 落丁
大阪市 川原弘繁 汚損
12.3.20. (土)
○ 奥附 扉 校了
割当 大森 九、〇〇〇
寺島 八、二〇〇
○ 函 文字 要再校
○ 別冊 談話 68 - 75 まで
○ 〃 談話 全部 精興社渡し。
12.3.22. (月)
○ 本田顯彰氏訪問。「別冊」談話中の「沙翁舞台 … 」の体裁
をうかがふ。 English Drama 一冊拝借して來る。
○ 「解説」原稿來る。 礼電を打つ。百壱枚なり。
精興社渡し。
○ 口繪 校正 來る。
12.3.23.(火)
○ 讀者カード 生理 …
静岡 … 湯山石男 函汚損
深川 … 島崎福松 汚損
姫路 … 松井 勉 落丁
京ト … 岩尾正千代 逆丁
○ 補遺 原稿 全部渡し。
○ 「解説」 初校出る。
○ 口繪 ネーム付けて帰す。
○ 「目次」 原稿渡し。
○ 「月報」 原稿 「神泉」 渡し。
○ 森田氏 に 原稿 速達で返す。「言行録」
12.3.24. (水)
○ 二B 三十枚 卸部渡し。
○ 解説 初校 小宮先生 送り。
○ 「月報」 言行録 原稿渡し。
○ 京都 中村茂雄氏 電報。 … 「漱石ハガキ」 新資料所有者。
〈注: 12.3.26. 参照。〉
12.3.25 (木)
○ 大塚巧藝社に 冩眞 一B 三十枚 注文。
12.3.26. (金)
○ 印税 計算(二月分) 夏目家に届け、小宮先生分は、
堤さんに報告す。
○ 「別冊」 頁數 決定。 九五四 頁(奥附共) それぞれ通知す。
○ 一B 二十枚 届く。卸部渡し。
○ 半七、口繪ネーム付けてやる。刷位置決定す。
○ カード整理。
○ ハガキ新資料 二枚(補遺に編入スミ)
京都府〈注:以下住所は略〉 中村茂雄
○ 古川さん 四時半より六時まで
12.3.27. (土)
○ 上野図書館 行き、 「學生」を調べる。
○ 長村さん 青海 出張す。
○ 阿部先生に 月報執筆 を島崎
さんにたのむ。 三十一日頃書ける由。
〈注: 月報十八號 漱石先生二題〉
12.3.29. (月)
○ 昨朝 小宮先生 來る。
○ 讀者カード整理
大阪市 船本裕幸氏 印刷ずれ。
愛媛件 谷 清近氏 外函破損
福島 今野 通氏 落丁
○ 冩眞 一B 十枚入る 卸部渡し。
○ 「別冊」 印刷割当 … 寺島 九、〇〇〇 大森 八、二〇〇
○ 「戰後の文壇」 へ書込 及び 「文壇の趨勢」 冩眞 製版 精興社
渡し。
○ 目録を残し、全部校了。
12.3.30. (火)
○ 言行録 初校出る。 P3 6号 10行
神泉 初校出る。 p2 9ポ 六行 アマリ
神泉 … 要再校で出す。
○ 一A、 一B、 各三十枚注文。
○ 目録 校了。
五日 刷上り、 十五日 配本
12.3.31. (水)
○ 中村茂雄氏に 漱石ハガキ 二通 書留にて返却す。
〈注: 中村茂雄宛 郵便物受領證 貼附〉
○ 讀者カード整理。
返事 旅順 勝江菊次郎氏 汚損
兵庫 神榮寅郷 氏 函破
〃 細川孝哉 氏 落丁
12.4.1. (木)
○ 大塚巧藝社にて 〈長谷川〉如是閑氏、山本〈松之助〉氏宛書簡二通撮影
○ 三田新聞 二月五日號。(夏目孝氏の 三田附近と漱石)を
大塚さんよりいつて頂く。
〈注:月報 第十八號〉
○ 「言行録」 原稿 森田氏より返る。 要再校 精興社渡し。
○ 安倍能成先生より 原稿をいたゞく。二百字十七枚。
精興社渡し。トツプ原稿。 三部 出來上がり送る事。
○ 夏目孝氏の原稿、三田新聞より タイプとる。月報
用として精興社渡し。
12.4.2. (金)
○ 別冊 儉印 二、三日 と。
○ 長田さん 長谷川如是閑氏 行。 先日拝借の
書簡数通 返却す。
○ 鎌倉氏に 「文學」 四日本 一冊送る。
○ 鎌倉氏 昼休み 来店。又「文學」四日を持つて
行くて筈になる。
○ 漱石山房に 「研究文献」 雜誌 「貼抜切」 その他、
蔵書(洋書)講義用書込本等 返却す。
〈注: 「借用品控」には、漱石山房から 10.10.26. に借り出し、本日、12.4.2. に返却した資料、約150点が、細かく記録されている。主なものは雜誌類で、日本美術、白樺、新潮、ホトトギス、渋柿、等当時の主な雜誌の名をほとんど含んでいるように思はれる。 〉
12.4.3. (土) 〈記入なし〉
12.4.5. (月)
○ 大塚巧藝社より 長谷川〈如是閑〉氏宛、松本〈文三郎〉氏宛 書簡 二通 冩眞
焼付 來る。
肖像冩眞 一A、 一B、 各三十部來る。内二十枚づゝ 卸部
渡し。
○ 夏目家行き。
○ 寺島製本、 「別冊」口繪順序決定、 扉 二寸九分上り。
○ 事務室から 原稿 外 全部 十二頁。 精興社渡し。
12.4.6. (火)
○ 三田新聞 小野田改氏より来信。
夏目孝氏の件 承知の来信なり。
〈本日までが、日記の1冊目から続いた、1日1頁毎の日記風記載。 明日から五月十一日までの30日余は、後日にまとめたて書いたもの。全部で3頁ほど。〉
昭和十二年四月七日(水)
○ 新田封筒店より 五十 入品
○ 冩眞 … 一A、 一B、 各十枚 卸部へ。 計各三十 卸渡し。
昭和十二年四月八日(木)
○ 月報校了
昭和十二年四月九日(金)
○ 杉田正臣氏に 野田翁の姓名 問ひ合せる
○ 杉田勤氏に 誤植の箇所 問ひ合せる
昭和十二年四月十日(土)
昭和十二年四月十二日(月)
○ 世田谷 … 小沢岩三郎氏 返信 … 汚れ本、第九巻
昭和十二年四月十三日(火)
○ 十八號 月報 寄贈
○ 別冊 寄贈分 發送す。
昭和十二年四月十四日(水)
○ 四月九日附照会の杉田正臣氏より来信 野田丹彦(ニヒコ)なり。
杉田勤氏の誤植の件、不明なり と。
○ 別冊を夏目家に届ける。
○ 冩眞 一A B 各二十枚 渡す。
昭和十二年四月十五日(木)
○ 別冊(第十八回 配本 ― 函 注意さる。)
昭和十二年四月十六日(金)
○ 森田先生に 月報原稿執筆料支払済む。
昭和十二年四月十七日(土)
○ 行徳二郎氏に別冊一冊寄贈。
○ 一A、一B、各二十部 大塚巧藝社より卸部渡し。
○ 安倍能成先生に 別冊原稿料 振替にて送金す。
昭和十二年四月十八日(日)、十九日(月)、二十日(火)、二十一日(水)
春季大掃除
昭和十二年四月二十二日(木) 肖像冩眞 一A、 二十枚注文。
昭和十二年四月二十三日(金) 新田に封筒 五十枚 注文。
昭和十二年四月二十四日(土) 肖像冩眞 一B、二十枚 大塚に注文。
昭和十二年四月二十六日(月) 大塚より 一A 二十枚入品 卸渡し。
新田より 封筒 五十枚 入品す。
昭和十二年四月二十七日(火) 印税計算 夏目家に届ける。
索引 扉金版 精興社渡し。
冩眞 一B、二十枚 入品。卸部渡し。
昭和十二年四月二十八日(水) 大塚に冩眞、一A 二十枚注文。
二A、B 各五部 卸部渡し(伝票を入れず)
「讀者カード 返信」 門司市 黒田登志雄氏 背折れ不良
昭和十二年四月三十日(木) 二A、B、各十枚卸部渡し(昨日分と計各十五枚)
昭和十二年五月一日(土) 一A 二十枚入品 卸部渡し。
一A、B 各三十枚注文
新田に 一〇〇枚 封筒注文す。
昭和十二年五月三日(月)、四日(火)
昭和十二年五月五日(水) 一A、B 各三十枚入品 卸部渡し。
新田より 一〇〇枚 封筒入品。
昭和十二年五月六日(木) 一A 三十枚注文
新田 五〇枚 注文す。
昭和十二年五月七日(金) 大朝神戸支局・佐伯氏に別冊、寄贈す。
佐伯氏宛ハガキ。 冩眞を送り來る礼として別冊
に補遺として追加したるもの。
昭和十二年五月八、九日 ナシ
昭和十二年五月十日(月) 二B 二十枚 一A 三十枚 卸部渡し。
昭和十二年五月十一日(火) 松岡氏来訪す。漱石書畫帖の件なり。
鎌倉氏所持の樗蔭本売立目録 掲載
松岡氏より受け取る。
〈以上で、5冊目、「編集日記」の終了。〉