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日本ロレンス協会第31回大会(2000年6月17日)
シンポジュームⅠ:「ロレンスと本文校訂の諸問題」
 
以下の①から⑧は当日の発言資料の一部です。
 
本文(編纂・校訂)とはなにか――それは元からただすということ
 
①十九世紀末、W. W. Greg, R. B. McKerrow, Alfred Pollard らは――信頼できる編纂・校訂を行うには版本間の本文推移(Textual Transmission)を精確に知る必要があることに気付き、そのための不可欠な前提としてSTC (A Short Title Catalogue of Books Printed in England etc, 1475-1640)を企画・編纂(この本のコンセプトは世界中に広がり、日本の『国書総目録』もその一つ)――同時に、これらの書物の印刷工程・植字工等を含むbook productionの研究を深めた(これを印刷史家に頼らず文学者自らで行った)。そのプロジェクトを推進するために、この方面で世界初の学術団体The Bibliographical Society (英国書誌学会)を設立した。
②これによって、それまでの Edition, Issue (Impression) の単位をさらに細分化するStateの単位を発見。印刷本の本文校訂においては、同一本でも現存する可能な限り多くの部数を校合する必要に気付き、これが英文学の独壇場たるIdeal Copy(理想本)の概念の発見に至った。
③「理想本」とは、すなわち出版社(者)が公にしたいと望んだ出版物の完成形態(あるべき姿・かたち)のことであり、A Bibliographyとはその状態を記述したものである(これに対して特定の一冊、特定の蔵書本一冊、を記述したものは A Catalogue である)
④今世紀の英文学研究では、本文(編纂・校訂)にかくも徹頭徹尾・前代未聞な努力が払われてきたが、こうした一連の研究はそれまでの旧式な写本の本文研究(Philology 日本では上田敏によって「ドイツ文献学」と訳された)と区別して (New) Bibliographyと呼ばれるようになった。日本でBibliography は「書誌学」と訳されたが、この訳には誤解が伴っており、意味的には「情報伝達学」のことである。Bibliography is not limited to books but 'to the transmission of all symbolic representaton of speech or other ordered sound or even logical thought.'
⑤主に書物の印刷・出版の精緻な分析とそれに基づいた編纂・校訂によって今世紀の学問をリードしてきたこの「英米書誌学」は、今日ではその規模をさらに拡大し、アメリカでMLAその他の支援によって世界的視野と規模のもと学際的学会 STSが設立され Textual Scholarshipと表現されるようになった(拙著『本文の生態学―漱石・鷗外・芥川』で紹介したが、精緻で伝統的な研究方法の適用を音楽や舞踊、さらには映像やコンピュータにまで広げている)。その一部となる書物史的(歴史書誌学)アプローチも、今日では D.F. McKenzie 「書物の社会学」(Sociology of Texts) らの力によって、逆に元祖フランスに影響を与えるまでになっている(ロジェ・シャルチェ『書物の秩序』などを参照)。
⑥今回のケンブリッジ版のような英米文学の全集(その他CEAA や CSE のシールが貼られたアメリカ文学全集)が世界のどこの国の全集よりも詳細且つ methodicalに本文推移の基礎情報を集め、その実態を「科学的」且つ厳密に記述できるようになったのは、こうした歴史的背景と伝統があるからである。
⑦従って、こうした文学全集をコメントする際我々に大事なのは、どっちがすぐれているかといったことではなく、むしろそれがどのようなコンセプトによって本文を定めているか(あるいはその一冊、一冊でちがうこともある)の理解である。例えば、ロレンスという作家は自筆原稿にこう書き、その後のゲラではこう直したかった――すなわちロレンスの執筆意図――を克明に追うケンブリッジ版 Sons and Lovers の本文が、果たして作者の意図など無視する構造主義的・テクスト論的批評の本文としてふさわしいであろうか。こうした批評に一番手っ取り早いのは、1913年の初版本(あるいはその復刻本や流布本)であろう。この版には Edward Garnett の削除その他が大きく介在するが、こうしたいわば「合作」をロレンスの作品とみなすかどうかについては、通常そこに A Spirit of Collaboration がどのくらい存在するかを考える。それはともかく、この初版が当時の読者に実際に読まれた、確たる「社会的産物」「商品」であることには間違いない。
⑧今日の英文学研究に対するグレッグらとThe Bibliographical Society の影響は、一般の文学研究者が想像するよりもはるかに大きいということである。
 
 
以下は後日の会報『D. H. ロレンス研究』第11号(2001年3月25日発行)に掲載された「発言要旨」である。
 
 いろいろ述べたが、次の二点を文学研究者の常識として指摘しておきたい。
1) Sons and Lovers の初版本(1913)は、どのような経緯でできた本文であれ、自筆原稿と同一次元にある原本である。これに対してケンブリッジ版は校訂本である。原本とは、シェイクスピアのQuartosのように、ロレンス研究で普遍的な価値を持つ第一次資料のこと。校訂本とは、特定の時代の要請・方針によって編纂された、基本的には一時代の生命しか持たないもの。新たな時代(新たな読み方)には、新たな方針による校訂本が必要とされる。
2) 文学作品に対しては、どんな読み方(どんな文学理論)でも許されよう。しかしこれを学問のレベルに高めるのであれば、議論に用いる本文の成立経緯(Textual Transmission)を知り、念頭に置く必要が生じる。ロレンスのさまざまな執筆意図を克明に追う、編者の手で「新たに再構成された」ケンブリッジ版は、作者の意図など無視する構造主義・テクスト論的批評にははなはだふさわしくない。この手の批評には、初版本(復刻版でも可)かその流布版が手っ取り早いし、理にかなう。
 
 なお、テクスト(Text)という語を曖昧なままで使う論文が日本にも英米にも多いのは遺憾である。次回にテクスト論関係のシンポジウムが開かれるのであれば、是非この方面の専門家から、Deconstruction and Criticism (1979)の序にある "While teaching, criticizing, and presenting the great texts of our culture are essential tasks,"(Geoffrey Hartman) 中の "texts" がどんな意味か(もし曖昧でないとおっしゃるなら)ご教示いただきたい。