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2003年度 印刷文化論 レポート
200200168 会社学類 11番 佐藤佳奈
 
教科書というもの
 
1、 教科書を取りあげる動機
 
 日本において教科書とは、「小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及びこれに準ずる学校において、教科課程の構成におおじて組織排列された教科の主たる教材として、教授の用に供せられる児童又は生徒用図書」であると定められている。〔発行法第2条〕
そして、わが国における教科書制度をたどってみると戦後の学制改革以前においては、小学校用教科書については、届け出制度や検定制度の時期もあったが、明治37年以来、国定制度が採用されてきた。また、中学校用教科書については、おおむね検定制度が採用されてきた。戦後においては、昭和22年に制定された学校教育法において、小・中・高等学校を通じて検定制度が採用され、現在に至っている。そのなかで、文部科学賞省の検定を経た教科書(文部科学省検定教科書)と、文部科学省が著作の名義を有する教科書(文部科学省著作教科書)とがあるが、学校教育法第21条には、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校等においては、これらどちらかの教科書を使用しなければならないと定められている。
このように、多くの人々が持っており、広く読まれるという身近な存在であり、そのような存在であるゆえに厳しい検査に通される教科書について他の出版物との違いを海外の事情とも比較しつつとらえていきたいと思った。
具体的には、現在の教科書と明治期の作られ方を比較して見てみると書体が変化していっていることに気付く。明治初年に一般的であったものは筆で書いた文字を木に彫って木版(整版)として印刷したものであったようだ。だが、明治3年に現在の明朝体の活字による教科書がでてきたらしい。そこで、教科書体、印刷について考察し、また、教科書には文字による情報だけでなく図・挿絵といったものも含まれているので挿絵についても見ていきたいと思う。
2、教科書事情
 
イギリスでは、教科書の著作・編集・発行について、法令上の規定はなく、国・地方の機関による規制も行われていない。また、公営学校の場合、教科書は学校が賃与するという形をとっており、初等教育では学校に備え付けられているため、中等教育では認められているが家に持ち帰ることが出来ない。
ドイツでは、著作・編集・発行は、民間の出版者が行っている。各州の法令に基づき、出版社はその編集した教科書見本本を教育省に提出し、検定を申請することが義務づけられている。
フランスでは、国の定める学習指導要領に基づき民間の出版社が作成・発行する。小学校の教科書については各県ごとの教科書認定委員会を通じて認定教科書のリストの作成が成されているが、国からの著作・発行についての直接規定はない。
フィンランドは、1992年以前には、国が教科書を検定する制度が設けられていたが、廃止された現在では民間の出版社が作成、発行している。
アメリカでは民間の出版社が編集・発行する。選定・採択に関しては多くの州では、州が選定教科書のリストを作成し、そのリストに掲載された教科書の中から、各学区が適当なものを採択している。
カナダでは、民間の出版社が作成し発行するが、多くの州では、州の教育省が一定の選定基準に基づき、選定教科書のリストを作成しており、各市町村教育委員会または各学校は、このリストに掲載された教科書の中から採択する。
中国では、従来、小学校・初級中学・高級中学の教科書は国の定める教育課程の基準に基づいて人民教育出版社が全国共通の教科書を書く教科につき一種類だけ作成していたが、現在では、多様な機関または個人が編集した複数の教科書を国が検定し、各地方が選択する制度となっている。また、それに伴い、生徒の興味を高めるため教科書の判型の拡大と色刷り度数の拡大に取り組んでいる。
タイでは、初等学校の教科書はすべての国の教育省が作成・発行している。中等学校の教科書には、国が作成するものと、民間出版社と国が共同で作成するものがある。
シンガポールでは、従来、初等学校の教科書は保険と音楽以外のすべてを国が編集・発行していたが、2001年以降、社会、公民、道徳教育及び母語のみ国が作成して民間が発行している。他の教科はすべての作成を民間が行い、国が検定して発行している。
マレーシアでは、国民学校の教科書はすべての国の教育省が編集・発行する。中等教育の教科書についても、国語、宗教、道徳、歴史、及びアラビア語の教科書は国が作成するが他の教科書は民間出版社が作成し、国の検定を受けるようになっている。
ニュージーランドでは初等中等学校の教科書は、国の「教育課程の枠組」に則して、民間の出版社が検定制度なしに自由に作成し発行するものの他に、国が自ら作成し発行するものがある。
オーストラリアでは、初等、中等教育を通じて、民間の出版社が自由に編成・発行しており、教科書検定制度は存在しない。
こうして見てくると、教科書は各国によってさまざまではあるが、たいてい日本同様、国家の検定があり規制が厳しい事がよくわかる。また、国語、歴史、道徳、語学など国の特徴をよくあらわしている重要な教科に対しては特に厳しい規制がある。
次からは、日本に焦点をあて、教科書の文字、印刷について見ていくことにする。
 
3. 日本の教科書
教科書体
教科書体とは、教科書に使われた活字の書体のことである。このことばが一般になったのは昭和33年に文部省の「小学校教科書に使用される教科書体活字について」という教科書体統一に関する通達が出されてからである。この書体は国定教科書以来、小学校国語教科書に使用してきた本文書体を示しており、昭和12年頃から使われていた。だが、教科書に活字が使われたのは昭和に入ってからではなく、明治初年に本木昌造という人が5分5厘(1センチ5ミリ)角ほどの大きさの初号活字をつくり、明治3年に「単語篇」という教科書を作っている。まだ、この頃は筆文字を木に彫って木版として印刷することが主だったのだが、彼の活字は現在の明朝体に似ていた。
昭和8年に教科書大改訂がなされ、昭和12年に低学年の国語教科書ではじめて活字を採用した。そこでの筆文字から活字への移行に際して、文字の形をどのように統一するか検討された。結局、筆文字を字典に使われていた明朝体活字にできるだけ合わせるかたちがとられた。その際、文字の形が変わったものがある。
下記に記す文字が改訂のときに変化した文字の一例である。
l 間・・昭和8年の改訂時はまだ毛筆書体の木版で門構えの中は「円」という文字の中の縦線が点で書かれた状態だったが、昭和11年になって現在の明朝体とほぼ同じ形となった。
l 木・・毛筆書体の木版の時は縦線の下の方は「止め」ではなく「はね」ていたが、教科書体となってから現在と同じく「止め」の形となった。
l 青・・昭和11年から字典体としての教科書体活字となった時点では、下が「月」ではなく「円」で、「」という形だった。さらに、8年の毛筆書体の時は前述の「間」と同じく「円」の縦線が点で書かれていた。
 
この書体は国定教科書まで使われていたが、戦後の検定教科書になってからも教科書発行会社では独自に書体を作って、国定教科書に使われた書体と似た書き書体を引き続き採用してきた。上記の文字に見られるような毛筆書体から硬筆書体への変化はあるが、基本的には変わっていない。
 
このように、明治から昭和の初めまでの日本の教科書は、筆で書いた文字を木に彫って木版として印刷したものが一般的で大半が毛筆書体だった。昭和8年に改訂が行われ、12年頃から現在のような活字が採用され印刷されるようになっていった。
次に、教科書の印刷について見ていくことにする。
4. 教科書の印刷
@ 文字印刷に用いられた木版
この木版の印刷は教科書に限った印刷技法ではないが、江戸時代頃の主流で明治初期の教科書は多くがこの木版が使われていた。だが、明治時代だけでなく昭和になってからも一部使われていた。
木版を作るには、まず、書家が筆者の書いた原稿を元に丁寧に和紙に文字を書いていく。これを板に裏返しにして貼り付けると文字は裏返しになって透けて見えるので彫り師が彫刻刀で文字に沿って削り木版ができる。そして、この木版を摺り師が印刷して教科書を含め本の完成というわけである。教科書の場合、大きな板に2ページ分が彫られていて、木版の中心に書名・上下巻・ページ数・出版社名が彫られている。
印刷に関しては、版面に剥毛で墨をつけ、半紙の和紙を乗せ、その上からバレンでまんべんなく押さえつけて紙に墨がよく着くようにして印刷し、一枚に2ページずつ刷られているので二つに折って綴じて教科書の完成となる。
刷られた原稿をみていくと、やはり現代の教科書同様、再版されているものがある。だが、活字印刷など現在のコピー技術の場合は版が磨耗することはないので同じ版で何度も再版することが可能であるが、木版の場合は、何度も印刷すると版面が磨耗して鮮明な印刷が出来なくなるので木版自体が新しく彫り直される必要がある。そのため、印刷物を見比べてみると分かるが、文字も挿絵も少しずつ変わっていることが分かる。明治6年初版のある教科書で見比べてみると文字は明治6年と明治17年が似ており、挿絵は明治15年と16年が似ている。
A 挿絵に用いられた小口木版
昔は挿絵も文字同様大きな板の面(板目)に版がほられていたが、刷りあがりのきれいさを考慮して、丸太を切ったときに年輪が見られる面(小口)に版を彫る、別名西洋木版という技法が作られたのだ。小口木版が精細なのは、版面の木材が堅く緻密なために細かな線もきれいにほれるからである。しかも、木版に比べ磨耗が少ないというメリットがある。和装本の教科書には和紙が使われていたが、小口木版のページには繊細な絵柄がきれいに印刷できるように紙の表面が和紙よりも平滑な洋紙が使われていた。
教科書に初めてこの小口木版が用いられたのは、文部省編で明治20年6月の「高等小学読本」の中の挿絵「日本武尊」を描いたものである。教科書に用いられた小口木版は大変な評判となり一般書籍・雑誌にも広く用いられていった。
明治末期になると写真による網目写真版実用化され、手間のかかる小口木版の教科書は見られなくなるが、戦後の教科書で一部見られる。
 
 
B 活字
明治31年10月文部省告示第61号でそれまで規定のなかった活字印刷に文字の大きさ、字間、行間、行長までが規定された。和文活字の文字の大きさを示す単位は号数だった。1,2・・号と数の小さい方が大きい活字となる。
活字の書体には名前があることは周知の通りだが、現在書いている文字を含め、我々がよく見かける文字は明朝体で、特に小学校の教科書に使われる文字は教科書体といわれる楷書体である。
日本において教科書に金属活字が使われたものには、3年大学東校「科学訓蒙」というものがある。この活字は東校(後の東大医学部)の写字生であった島霞谷が独自に作った活字を使っている。同じ時期に長崎県版「単語篇」という文字を覚えるための教科書が発行された。その上巻の本文は約15ミリ角の初号という木活字で印刷されている。ページに相当する丁数を示す活字などには、初号の半分の大きさである2号という大きさの金属活字で印刷されている。下巻の本文活字はすべて2号活字で、文部省で明治5年に発行された「単語篇」の内容と同じである。4号活字で印刷された「官版単語篇」というものもある。これ以降本格的に教科書に活字が採用されはじめたのは20年であった。
   現在の教科書は活字の使用はあまりなくコンピューターによる焼き付けによる印刷がなされている。
5. 教科書の挿絵
教科書を見てみると特に小学生用などはカラフルな挿絵が描かれている。この挿絵はその時代ごとに特徴があり、子供の学習理解を助け、学習意欲を向上させる働きがあると思う。国語を例にあげると、現在の教科書では一冊の教科書の中で物語ごとに挿絵画家が異なり、複数の画家で構成されている。
このことを初期の教科書で見比べてみると国定教科書から検定教科書への移行の際に大きな変化があったようである。もともと国定教科書を発行していて検定教科書に参入した「東京書籍」、「日本書籍」、「大阪書籍」の場合、挿絵画家の起用は一冊当り一人である。それに対して、もともと児童書を主に発行していて検定教科書に参入した「二葉図書」などは、一冊あたり10人前後の挿絵家を起用している。児童向けに制作しているところほど子供の感性を発達させることを考えていてこのような差が出てきたのだろうかと思った。
また、戦後から挿絵画家の水準が上がってきているといえる。これは戦争から早く回復し教育復興を考えてのことではないかと思った。
 
6.まとめ
 今回、教科書の制作上の歴史を振り返ってみてやはり、教科書は子供の人間形成において重要なものであるから、国の管理が日本に限らずどこでも厳しいことが分かった。他の出版物についても今後調べてみたいと思った。