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合成写真の文化 〜写真によってゆがめられた真実〜
印刷文化論
比較文化学類 2年
塩田絵美 200319008
l 始めに
人類の歴史を語る上で、写真というのは非常に有力な歴史の真実を伝える手段である。このような物的な証拠は、歴史上の人物や出来事に現実感を与え、現在の私たちの考え方や生活にも大きな影響を与える。写真の発明は人類の記憶を永遠に焼き付けるという意味で、非常に画期的な発明だったと言えよう。ところが、歴史と共にテクノロジーの進化は目覚しい発展を続け、やがて「写真が表す真実」というものに対して人間が自由にコントロールできるようになってしまった。科学の進歩と共に、写真を通した歴史の信憑性というのも疑わざるを得なくなってきた。そして、たとえゆがめられた真実であっても今となってはそれが私たちの真実となり、文化の一部になってしまっている。今回は、そんな歴史を塗り替えることを可能にする「合成写真」の文化について触れてみたい。もちろん、一口に合成写真の文化とは言っても、芸術的な観点、映画の手法としてなどいろいろな視点から分析することができる。しかし今回は、政治的な要素で合成写真というトリックを使い、歴史を作り上げていった人物などについて述べてみたい。
 そもそもこのテーマを選ぼうと思ったのも、私たちは写真の持つ説得力に踊らされてはいないだろうかと考えたからである。たとえば最近、ニュースをにぎわせている北朝鮮の拉致問題。いまだ行方不明だが、北朝鮮に生存している確率が高いとされている横田めぐみさんの3枚の写真のうち、2枚が影の向きが逆だったり、後ろにある車の大きさが不自然だったりなどで合成写真であるという疑いが強いらしい。また、いつ、そしてどこの新聞だったか思い出せないが、スペインサッカーの試合の結果を伝えているスポーツ欄の中に、一枚の大きなカラー写真が載っていた。その写真は、両チームの有力選手が、まわりに誰もいないグラウンドで二人きりでたたずんでいるというものだった。それは試合終了直後の写真で、まわりに誰もいないはずはない。読者に二人の有力選手の存在感を強く印象付けるため、意図的にまわりの人物を消した写真であった。
 このような写真のトリックは一体いつ頃から使われるようになったのだろうか。
l 合成写真の歴史
 そもそも、合成写真の概念というのは写真ができてまもない19世紀からすでにあったと言われている。ひとつの写真に、違う写真を重ねることによって、不思議な世界観を作り出すことができる。ありえない現実を作り出すものとして、多くの人に感動と驚きを与えた。では、その画像合成の技術が、政策として、また宣伝材料として取り入れられるようになったのはいつごろからだろう。それは、20世紀初頭のロシアに始まったといわれる。この頃から、盛んに政治的な雑誌や新聞に、写真というものが掲載されるようになっていた。1917年に帝制が崩壊し、臨時政府が樹立されると共にロシアの政治運動はますます活発になる。その中で最も深く関わっていたとされる左翼運動を行っていた芸術家たちが、初めてフォト・モンタージュという技術を確立させ、 それは『レフ』や『ノーヴィ・レフ』などの雑誌に掲載されるようになった。世界有数の革命家であり、独裁者でもあるレーニンも写真芸術の重要性には気がついていた。文盲である人たちが過半数を占めていた当時、写真という手段が最も状況を説明・表現するのに効果的だったのだ。
1920年末、冬宮奪取の偽画像が正式に掲載されてから、ロシア、もといソ連の画像改造の歴史が始まった。元は、楽観的に実験として作られていたフォト・モンタージュは、そこから革命家たちの政治活動に大きく影響を及ぼすようになった。ムッソリーニはこの合成写真の技術を存分に利用することになる。最初は、美貌や、構図のために、後に、政治政策として欠かせない技術として取り入れるようになるのだ。革命後は、ロシア映画にもモンタージュ論というものが確立されるようになる。世界大戦中、他にもドイツやアジアなど、世界各国でこの画像合成の技術は用いられ、当時の戦争写真や宣伝材料のために使われ始める。
 現在では、世界各地でコンピュータの進歩と共に都市計画など、様々なシミュレーションを想定するのにこの技術は欠かせない。映画や芸術においても、写真というリアリティーあふれる材料を利用することによって、仮想(バーチャル)現実(リアリティー)という新たな現実を作り出すことが可能になっている。
l 合成写真の技術
(ア) 修正
合成写真の技術の中で最も基本的で、頻繁に用いられた技術だと言えるだろう。世界的に有名な人間、政治の重役たちやスターたちの日常を写真に撮るとき、どうしても不都合なものがそこに写ってしまうことがある。それはたとえば、人物であったり、建物であったりするのだが、場合によってはその写真が政治的に大きな取り違えや特別な意味を持ってしまったりする。そんな事態を避けるために、画像に絵筆やグワッシュをかけて修正するのだ。これは、人物の公的な肖像画に用いられることが多い。不自然に荒のない、きめ細かな肌、しわの無い服など、歴史人物の顔はいつもどこか無機質で、現実味のないものが多い。それは、技術者たちの手であえて一寸のミスもない完璧な画像に仕上げられたものが多いのだ。これによって、肖像画はより神々しいイメージを持つ効果も持つ。
(イ) 背景の塗りつぶし 
 始めに述べたスポーツ新聞の一面で紹介された写真。対戦相手である二人の選手がコートにたたずむ。まわりにいるはずの人間は誰一人いない。これは、背景の塗りつぶしによって作られた作為的な写真だ。二人の因縁の対決を強調させるためにあえてまわりの人物は消されている。
 1968年、その頃チェコスロバキアの指導者であったクレメント・ゴトワルトがスロバキアを巡歴した時の写真がチェコの新聞記者たちによって撮影されている。しかし、現在博物館に残っている写真は、この原板とはあきらかに違う。その頃、政治的に不都合な人間は次々に抹殺されていたという事実があった。巡歴の写真の背後にその中の一人が写っていたのだろう。後の写真ではゴトワルトの背後に写っていた人間は姿を消している。そしてついでのように、ゴトワルトの右袖のずれも修正されているのだ。背景の塗りつぶしは、隠すためにも用いられるが、権力を示すためにも使われる。画面に一人たたずませることによって、その人間の力と神々しさを効果的に示すのだ。
(ウ) 切り抜き
 これは一般的に、誰にでも簡単にできる手法ではないだろうか。実際、雑誌を切り抜き、新しい紙に張るという行為は、子供の遊びや、小、中学校の課題などでも見られる。しかし簡単だからこそ、できあがりは非常に合成がばれやすいものであり、精密さには欠ける。言い方を変えれば、本気でその写真のトリックを隠すには、相当の技術を要するということだ。比率、遠近感、つなぎ目、陰影そのすべてを一致させなくてはならない。背景の塗りつぶしとの違いは、前者がひとつの視点から見た写真の修正であるのに対し、後者は2つの違う視点から見た写真の寄せ集めである点だ。この手法では、ツギハギ感や合成のわざとらしさをあえてだすことによって政治的な宣伝効果を持つことがある。ミスマッチなふたつの写真を組み合わせることによって、滑稽さがあらわになり、見る人の注目を集める。また、切り抜きの手法をばれないように取り入れるのは難しいが、成功すれば、そこには架空の新たな現実が映し出される。説得力あふれるその写真を疑うものはいないだろう。
(エ) トリミング
写真というのは事実を写し出す重要な証拠になるものだが、全てを映し出すものではない。そして、どんな角度で写すか、どこに焦点を当てるか、そしてどの範囲まで写すかは写真家の手にゆだねられる。この枠をどの程度まで広げるかというのを利用して事実を矯正することを狙った技法がトリミングなのだ。写真というのは、ごく限られた枠組みでしかない。私たちは、つい小さな枠にはめられた写真を事実の全てだと思いがちだが、決してそうではない。まわりの環境の状況、そしてどのような角度から撮られているかによってその写真が与える印象はだいぶ変わる。レーニンや、チェ・ゲバラなど権力を持った人たちの演説の写真には、いつも同じものが使われることが多い。威厳たっぷりに壇上で演説する姿は偉大だが、とある写真では、レーニンの演説の後ろで他の演説待ちの人が待機している姿が写っている。後にも先にもその写真が公的なメディアになったことはなかったみたいだが、それがあるだけで、人物の威厳、そして神々しさは半減してしまう。それならば、その部分は切ってしまって人物だけを大きく写しだす。見る人に与えるイメージが大きく変わるのは一目瞭然だろう。
(オ) 抹消
 最後に、抹消の技術が挙げられる。背景の塗りつぶしやトリミングでも人物を消すことはできるが、例えば2つの必要な場面の間に不必要な人間がいたり、全体の情景が写真に必要で一部だけ不必要な場合、その部分を切断し、亀裂をいれ、皺寄せをして消すのが必要とされる。技術的には末梢の技術が一番難しいかもしれない。なぜなら、消すだけでは消した後の場面がぽっかり空いてしまい、その両端の画像がうまく噛み合わなくなってしまうからだ。そこで、新たなる人物をその上に重ねたり、後ろの風景に溶け込ませたりしなくてはならない。
《黒と白のグワッシュで、代わりになる色合い、織り目、形を真似しながら、除去した人物を少しずつ覆い隠していかなくてはならず、新しい光景が全体として均衡を取り戻すようにしなくてはならない。》(ジョベール、p・10)
 ロシアの革命家、世界革命論を主張してスターリンに敗れ、メキシコで暗殺されたトロツキーはスターリンと写った写真の中で、後に後ろの階段に溶け込んでしまった。抹消の技術はこの写真が典型的な例となった。その後も様々な写真でことごとく邪魔な人物は消されるようになってしまう。
l 考察
 印刷の歴史というのは今まで次々に大きな改革を遂げ、広い範囲の人々に情報やメッセージを詳しく伝えることを可能にしてきた。その中でも、写真というものが印刷文化の一部になってからは、情報はより具体化し、たとえ文字が読めなくても写真からメッセージを受け取ることができるようになった。写真も最初は相当見づらいものから、割と明確な白黒写真、そしてやがてはカラーになって掲載されるにいたった。20世紀初頭から、様々な書物、新聞、雑誌、映画などに使用されるようになる。しかし、写真の進化と共に合成の技術というのが磨かれていったのもまた事実である。それにはよい部分もあり悪い部分もある。芸術としては、合成写真は、ありえなかった真実を作り出す、すばらしい作品となりえる。しかし、政治的な面においての合成技術は、事実の隠蔽に使用され、歴史を塗り替える役割を果たしていることを否めない。しかも、もし偽造したことに対してその証拠隠滅が完全なるものであったのならば、ゆがめられた真実がやがては本当の事実となっていたかもしれないが、世界のあちこちでは、間違い探しのように同じようで違う写真がいたるところに残っている。政治対立の厳しかった時代に、抹消されずに残った原版の写真たちは今の私たちに写真の持つ説得力は絶対ではないことを教えてくれる。
 印刷文化の中で欠かせない存在である写真。今回はその説得力が故に持つ危険性について述べてみた。今後テクノロジーが進化していくことによって写真の持つ役割がどのように変わっていくのか、楽しみである。
l 参考文献・サイト
アラン・ジョーベル著、村上光彦訳、『歴史写真のトリック政治権力と情報操作』、朝日新聞社、1989
http://www.yomiuri.co.jp/features/eank/200412/ea20041209_05.htm
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/volkogonov.htm#m1
http://www.kcg.ac.jp/acm/a5066.html