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小宮豊隆 『漱石の藝術』 「序」――自筆原稿の手入れと初版との異同
 
 昭和17年12月9日に第一刷が出た『漱石の藝術』は、小宮豊隆が「決定版」各巻に添へた解説を(小宮としては渋々周囲の要望に応じ、多少の手を入れて)一巻に纏めたものであるが、手許に同年10月27日の日付を付した「序」文の自筆原稿が残っている。20 x 10、200字詰、枡形の岩波原稿用紙、12枚である。
 
 私は他の箇所で、小宮『夏目漱石』の初校ゲラを子細に分析しつつあるが、この大部な漱石伝の核をなすのは、全73節中、六六節「夫婦の問題」だと思われる。この節は前節『行人』の一郎、次の六七節『こゝろ』の先生という「極端と極端とに立つ人間」(小宮)を描いた小説の間に挟んで置かれるが、小宮にとって最も微妙且つ難しい記述を要する部分であったようだ。小宮は、この節へは初校段階に留まらず、昭和28年(1953)の新書版3冊に至っても、くり返し手を入れている。
 
 「序」の自筆原稿は推考の跡を多々残す文章であるが、それを追ってみることは、上の六六節における小宮の心中をおしはかる上で参考になりそうである。初校ゲラは残っていないので、そこで相当な手入れがなされたことを伺われせる初版の本文を同時に示したい。

 『漱石の藝術』の本体部分(作品解説)は、決定版を底本にしそこへ多少の加筆削除を行ったものであるが、各解説の最後に付された日付(いずれも、昭和10-12年代、つまり決定版配本に際してのもの)以外に、『行人』だけには、その名前の由来について記述した段落が追加されており、日付は「序」や奥付の日付に近い昭和17年8月13日になっている。小宮にとって『行人』は、最後まで気になる存在であったようだ。
 
 
 
自筆原稿 『漱石の藝術』 の本文
〈 〉は削除部分。下線はマス外加筆部分。
 
 
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 是は決定版『漱石全集』に添へた私の解説
を、一巻に纏めたものである。
 決定版が出だした當時、私は多くの人人か
ら、あとで解説をひと纏めにして出版する事
を、頻に勸められた。然し私は、肯はなかつ
た。私の解説を添へる事が決定版の特色の一
 
 
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つとして數へ上げられてゐる以上、私の解説
の爲だけに決定版の豫約に應じた人が、もし
一人でもあつたとすれば、あとで解説を纏め
て出版するなどといふ事は、その人に對して
濟まない事をする事になるからである。
 そのうち決定版の配本は完了した。未知既
知の讀者から、?同じやうな勸めが來た。是
は主として、十八巻に散らばつてゐるものを
一巻に纏めてもらつた方が遙に便利であると
いふ理由に基づくもののやうであつた。然し
 
 
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私は、なほ纏める氣にならなかつた。
 最後にそれを勸めた者は、岩波である。岩
波の勸めは、また別の理由から來てゐた。―
―決定版の豫約者に義理を立てるのはいい。
然し決定版以前の『漱石全集』の豫約者は、
決定版の豫約者に比べて、約十倍以上の數で
ある。さういふ人達が君の解説を要求すると
すれば、さういふ人達の爲に解説を一巻に纏
めるといふ事も、十分意味のある事であり、
ある意味から言へば、君の義務ででもある筈
 
 
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ではないか、といふのである。さう言はれて
みれば、なるほど岩波の言ふ通りであつた。
私は解説を纏めてもいい氣になつた。
〈それでも〉 然し私はなかなかその仕事にとりかか
らなかつた。といふのは、この解説は、 〈を私は當時、〉
一所懸命に書 〈き〉 かれはしたものの、毎月一巻分づ
つ、足掛三年に亘つて書 〈ひた。〉 かれたものである。方方にいろんなムラがあるかも知れない。のみならず全集
本の順序は、營業上の理由から、第一回には
『猫』を出さずに『虞美人草』を出すといふ
風に、作品の制作年代を無視したもの
 
 
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〈にならざるを得なか〉 であつた。それが意識無意識に書く事に影響して、順序が狂つたり、内容が重複したりしてゐるかも知れない。勿論それらの點は初め
から十分勘定に入れ、私は注意して解説を書
いて行つた積りではあつたが、それでも一巻
一巻離して讀めば、さほど眼に立たないもの
が、 〈一巻に〉 ひと纏め 〈て〉 にして讀むとすれば 、きつと矛盾
したり、特に重複する箇所が、方方に出て來
る〉 眼立つて氣になつて來る
に違ひない。本文には出來るだけ手をつけ
ない方針を採るとしても、さういふ箇所を手
際よく除き去る爲には、必ず相當の時日を必
要とする。然もその餘裕が私に作れさうな見込が
 
 
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急には立たなかつたので、勢ひ私は二三年を
有耶無耶のうちに過ごさざるを得なかつたの
である。
 然も今年は漱石先生の、二十七回忌に當る
年であつた。實は私は、解説の筆をとる當初
から、先生の二十七回忌までには、『漱石の
藝術』と題する一巻の著述を公けにして、是
を先生の墓前に獻じたいといふ希望を持つて
ゐた。それには決定版の解説は、一度すつか
り解きほごされた上で、新しく提出されるい
 
 
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ろんな問題の項下に、それそれの位置を占め
る筈であつた。その 〈後〉 爲め私は、一度はおよその腹案を立
て、その一部を長野の教育會で三日に亘つて
講じさへもしたが、然しその後の私の身邊は
次第に多忙を極めて、竟にその先きを考へ徹
す機會がなく、腹案は腹案のままで、書齋の
棚に束ねられてしま 〈ふやうな事になつてしま〉 はなければならなか
つた。二十七回忌はおろか、この先二三年のうち
に、それが完成するかどうかも、現在の所で
は、分からない状態である。
 
 
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 それが私には、少し淋しかつた。私は、こ
の夏の休みを使つて、解説に手を入れ、それ
に『漱石の藝術』といふ名前をつけて、今年
の二十七回忌の、せめてもの記念とする決心
をした。
 仕事にとりかかつて見て、まづ氣がついた
事は、一つ一つの作品に對する解説に、繁簡
のムラがあるといふ事であつた。是は考へて
見れば當然の話で、解説の分量には、いろん
な必要から制限があつて、一巻分およそ四百字詰五十
 
 
9/12
 
枚ときまつてゐたのである。従つて一つの作
品が一巻を充たす場合の解説の分量は、一つ
の作品の爲に五十枚を費していい勘定である
が、然し二つの作品が集つて一巻をなず場合
の解説の分量は、〈そのうちの〉 一つの作品に二
十五枚以上を費す事は許されない。『心』と『
道草』とは、二つで一巻をなしてゐる。『行
人』と『明暗』とは、一つで一巻づつをなし
てゐる。然も『心』も『道草』も、解説に、
『行人』もしくは『明暗』の解説の、半分の
 
 
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分量を費せばいいといふやうな、そんな價値
のない作品ではないのである。「短編集」・
「小品」・「詩歌俳句及初期の文章」の如きに
至つては、無論中にはそれほど身を入れて取
り扱ふ値うちのないものも澤山交つてゐるとして
も、その一つに費される解説の分量は、更に
更に縮小され 〈てゐ〉 る。是では釣合のとれない事夥しい。のみならず事實上、書き足さなければならない事も澤山あつた。
 然しそれを今、必要に應じて書き足して行
つてゐるのでは、解説の原形は、恐らく見る
影もなく破壊されてしまふだらう。それは構
 
 
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はないとしても、得心の行くまで書 〈いてゐる〉 
すれば、今年の短い夏休みをまるまる潰してしま
ふとしても、到底完結する筈がないに違ひな
い。已むを得ず私は、解説の原形 〈を〉 あくまで
保存する 〈とともに、〉 事、從つて是は決定版の解説集として出版するといふ大方針の下に、最小限度に、削り又は書
き加へ、誤謬を訂正し、晦澁を平明にし、重
複を避け、全體を全體として、自然に圓滑に
讀み通せるやうにとだけを、心がけ 〈なければ
ならなかつ〉 た。 〈是〉 それがどの程度まで手際よく行
つてゐるかは、第三者の意見に俟つより仕方
 
 
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がない。はそれが割に成功して、人にくどいやうな感じ、繰り返し同じ事を言ふやうな感じを與へない事を、切に祈るのみ
〈自分でもなお心がけて重複が減少さ
れさうな氣もするが、出來るだけ原形を保存
しやうとすると、もう其次       
ない氣がするの〉 である。
 
昭和十七年十月二十七日
 
小宮豐隆
 
 
 
 
「序」 (初版の本文)
(下線部は初版との異同箇所) 
 
 
1
 
 
 是は決定版『漱石全集』に添へた私の解説
 を、一巻に纏めたものである。
決定版が出だした當時、私は多くの人人か
ら、あとで解説をひと纏めにして出版する事
を、頻に勸められた。然し私は、肯はなかつ
た。私の解説を添へる事が決定版の特色の一
 
 
2
 
つとして數へ上げられてゐる以上、私の解説
の爲だけに決定版の豫約に應じた人が、もし
一人でもあつたとすれば、あとで解説を纏め
て出版するなどといふ事は、その人に對して
濟まない事をする事になるからである。
 そのうち決定版の配本は完了した。未知既
知の讀者から、?同じやうな勸めが來た。是
は主として、十八巻に散らばつてゐるものを、
一巻に纏めてもらつた方が、遙に便利であると
いふ、理由に基づくもののやうであつた。然し
 
 
3
 
私は、なほ纏める氣にならなかつた。
 最後にそれを勸めた者は、岩波書店の主人である。岩
波の勸めは、また別箇の理由に基づくものであつた。
――決定版の豫約者に義理を立てるのはいい。
然し決定版以前の『漱石全集』の豫約者は、
決定版の豫約者に比べて、約十倍以上の數で
ある。さういふ人達が君の解説を是非讀みたいと言ふと
すれば、さういふ人達の爲に解説を一巻に纏
めるも、十分意味のある事であり、
又ある意味から言へば、君の義務ででもある筈
 
 
4
 
ではないか、といふのである。さう言はれて
みれば、なるほどその通りであつた。
私は解説を纏めてもいい氣になつた。
 然し私はなかなかその仕事にとりかか
らなかつた。といふのは、この解説は、
一所懸命に書かれはしたものの、毎月一巻分づ
つ、足掛三年に亘つて書かれたものである。方方にいろんなムラがあるに違
ひない。のみならず全集配
本の順序は、營業上の理由から、第一回には
『猫』を出さずに『虞美人草』を出すといふ
風に、作品の制作年代の順序にかかはらないもの
 
 
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であつた。それが意識無意識に影響して、書く事の順序が狂つたり、内容
が重複したりしてゐるに違ひない。勿論それらの點は初め
から十分勘定に入れ、私は注意して解説を書
いて行つた積りではあつたが、然し配本の順序の順序に解説を讀む筈の讀者に、その作品を書くまでの漱石の生活を知らせる爲には、已むを得ず重複を冒さなければならない場合も?あつた。一巻一巻離して讀めば、それはさほど眼に立たない。
然しひと纏めにして讀むとすれば、
それは屹度眼立つて氣になつて來る
に違ひない。本文には出來るだけ手をつけ
ない方針を採るとしても、さういふ箇所を手
際よく除き去る爲には、必ず相當の時日を必
要とする。然もその餘裕が私に作れさうな見込が
 
 
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急には立たなかつたので、勢ひ私は二三年を、
有耶無耶のうちに過ごさざるを得なかつたの
である。
 然も今年は漱石先生の、二十七回忌に當る
年であつた。實は私は、解説の筆をとる當初
から、解説は決定版と終始を共にするものとして、別に、先生の二十七回忌までには、『漱石の
藝術』と題する一巻の著述を公けにして、是
を先生の墓前に獻じたいといふ希望を持つて
ゐた。それには決定版の解説は、一度すつか
り解きほごされた上で、新しく提出されるい
 
 
7
 
ろんな問題の項下に、それそれの位置を占め
る筈であつた。私は、一度はおよその腹案を立
て、その一部を長野の教育會で三日に亘つて
講じた事さへあつた。然しその後の私の身邊は
次第に多忙を極めて、竟にその先きを考へ徹
す機會がなく、腹案は腹案のままで、書齋の
棚に束ねられてしまはなければならなか
つた。二十七回忌はおろか、この先二三年のうち
に、それが完成するかどうかも、現在の所
では、分からない 〈状態である〉 。
 
 
8
 
それが私には、少し淋しかつた。いろいろ考へた末、私は、こ
の夏の休みを使つて、解説に手を入れ 一巻に纏め、それ
に『漱石の藝術』といふ名前をつけて、今年
の二十七回忌の、せめてもの記念とする決心
をした。
仕事にとりかかつて見て、まづ眼に立つた
事は、一つ一つの作品に對する解説に、ひどく繁簡
のムラがあるといふ事であつた。是は考へて
見れば當然の話であつた。解説の分量には、いろん
な必要から制限があつて、一巻分およそ四百字詰五十
 
 
9
 
枚ときまつてゐたのである。従つて一つの作
品が一巻を充たす場合の解説の分量は、一つ
の作品の爲に五十枚を費していい勘定である
が、然し二つの作品が集つて一巻をなず場合
は、一つの作品の解説に
十五枚以上を費す事は許されない。『心』と
『道草』とは、二つで一巻をなしてゐる。『行
人』と『明暗』とは、一つで一巻づつをなし
てゐる。然し『心』も『道草』も、解説に、
『行人』もしくは『明暗』の解説の、半分の
 
 
 
10
 
分量を費せばいいといふやうな、そんな價値
のない作品ではないのである。「短編集」・
「小品」・「詩歌俳句及初期の文章」の如きに
至つては、無論中にはそれほど身を入れて取
り扱ふ値うちのないものも澤山交つてゐるとして
も、その一つに費される解説の分量は、更に
更に縮小される。是では釣合のとれない事夥しい。のみならず事實上、書き足さなければならない事も澤山あつた。
 然しそれを今、必要に應じて書き足して行
つてゐるのでは、解説の原形は、恐らく見る
影もなく破壊されてしまふ。それは構
 
 
11
 
はないとしても、自分の得心の行くまで書く
とすれば、今年の短い夏休みをまるまる潰してしま
ふとしても、到底完結する筈がないに違ひな
い。已むを得ず私は、解説の原形はあくまで
保存する事、從つて是は決定版の解説集として出版するといふ大方針の下
に、最小限度に、削り又は書
き加へ、誤謬を訂正し、晦澁を平明にし、重
複を避け、全體を全體として、自然に圓滑に
讀み通せるやうにとだけを、心がけ なければ
ならなかつ た。然し一番困つたのは、引用文の重複であつた。是も出來るだけ削除する事に努めたが、必要上どうしても削除出來ない箇所も幾つかはあつた。是は何等かの方法で重複する旨を斷つて、生かして置いた。それがどの程度まで手際よく
つて、讀者に冗い感じを與へないですんでゐるかは、第三者の意見に俟つより仕方
 
 
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がない。私はそれが割に成功して、人に繰り返し同じ事を言ふ感じを與へない事を、切に祈るのみである。
 
 
                      昭和十七年十月二十七日                                 小宮豐