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第三次全集覚書

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『岩波書店五十年』(1963.11.1)の右側ページにある岩波関係年表(27頁)の6月5日付の項には以下のように書かれている。

6.5  第3次〈漱石全集〉刊行開始――全14巻。第1次の漱石全集は主として森田草平・鈴木三重吉両氏によって編纂されたが、第2次に至って小宮豊隆氏が編纂に当たりその機会に編纂方針が根本的に検討された。第3次以後もほとんど小宮豊隆氏の独力で編纂がつづけられた。この第3次の刊行にあたっては、すでに前2回の全集によって資料はほぼ蒐集しつくされていると考えられていたのであったが、とりかかってみると依然として新しい資料が次ぎ次ぎに発見された。漱石全集は後に日本の個人全集の規範と見なされる至ったが、その確固たる基礎を作ったのは、この第3次の編纂であった。(1925.7.5 完結)。


しかしながら、上の前半部分は、実態とはだいぶ違う。このブログの読者にはおわかりになるでしょうが、第3次全集最大の功労者は、小宮ではなく裏方の店員、和田勇である。彼なしにこの全集の出版も本文の校訂も成り立たなかった。和田は、単に校正者でなく、小宮と論を闘わせる校訂者でもあった。

昭和10年決定版における長田幹雄も似た立場になったが、長田の場合、岩波茂雄が外遊中であったので、大プロジェクトの総合プロデューサーの役割も担った。