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円本は、「大正15年11月、改造社が『現代日本文学全集』(全37巻、のち63巻まで増刊)という菊判500頁余の大冊を、1冊1円の値段で予約を募集したところ、実に35万部もの予約が殺到」(矢口進也『漱石全集物語』)して、一大ブームとなったものである。岩波書店もこれに乗り遅れるわけにはいかない。漱石の円本全集が出版されるに至った経緯については、上の矢口さんの本にうまくまとめられているので、同書を参照されたい。ともあれ、第三次漱石全集全14巻が以下のように20巻に分割されて出版された。

具体的には、第三次全集の
第1巻『吾輩は猫である』はそのまま。
第2巻「短篇小説集」を上下に分割し、2巻、3巻とする。
第3巻『虞美人艸』を4巻に。
第4巻の『三四郎』を5巻に、『それから』『門』を6巻に。
第5巻の『彼岸過迄』を7巻、『行人』を8巻に。
第6巻の『心』『道草』を9巻に。
第7巻の『明暗』を10巻に。
第8巻の『文學論』を11巻、『文學評論』を12巻に。
第9巻の『小品』を13巻、『評論』『雜篇』を14巻に。
第10巻の『初期の文章』及び『詩歌俳句』は15巻。
第11巻の『日記』及び『斷片』上巻を16巻、下巻を17巻に。
第12巻の『書簡集』を18巻に。
第13巻の『續書簡集』を19巻に。
第14巻の『別冊』を20巻にした。


第1回配本は『吾輩は猫である』で、昭和3年3月15日。最終配本は、第17巻の『日記』及び『断片』下巻で翌年、昭和4年の10月5日であったが、その10日後、10月15日に、夏目鏡子述 松岡譲筆録『漱石の思ひ出』が出版された。前年11月に改造社から出たものと同じ中身だが、値段は全集と同じ1円であった。実質的に全集の21巻目とみなしてよさそうであるが、岩波版は、改造社版にない「附 漱石年譜」を新たに付け加えた。これは漱石の年譜として公刊される最初の試みであり、漱石研究史においても画期的な出来事といえる。


これをまとめるまでには、松岡譲や小宮豊隆だけでなく、岩波書店の店員たちの並々ならぬ苦労があったようである。松岡はあとがきで、

「年譜作成に松生幸雄校正に石原健生兩君の力を多分にかり得た事を、こゝに深謝する次第であります」

と書いている。


公刊された「漱石年譜」には、前バージョンであるタイプ打ちの「漱石先生年譜」があり、さらに漱石の少年時代を直接知る人物からの手書き口述筆記、等さまざまな資料が残っている。今回のブログでは、連載第2回以降、これまで公開されていないこれらの資料の公開を主な目的としたい。